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西條剛央のブログ:構造構成主義

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2014/02/27
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カテゴリ:東日本大震災
先日、大川小学校検証委員会の最終報告が行われました。

しかし、室崎委員長も「一定以上の限界があった」と認めたように、残念ながら、なぜ大川小学校の悲劇が起きてしまったのかを解明するには至りませんでした。

僕もご遺族の要請を受けて独自に大川小学校の研究を進めてきましたが、これまで、国に真相解明を望む遺族の気持ちに答えて欲しい、遺族が納得のいく解明をして欲しいという気持ちから、検証委員会の動向を見守ってきました。

室崎委員長とは何度かやりとりさせていただきましたが、少なくとも室崎委員長はできる限り真摯に調査、対応されようとされていたと思います。

特に、11月の中間報告で専門家等から69ものパブリックコメント↓が寄せられたことは大きな転機になっていたように思います(僕も記述の根拠や出典を明示しないと科学的検証にならないことを論証する意見論文(60番目)を提出しました。結局出典等の根拠が明記されることはありませんでしたが)。

http://www.e-riss.co.jp/oic/_src/sc502/81u8E968EC08FEE95F182C98AD682B782E982C682E882DC82C682DF81v82C98AEE82C382AD88D38CA981y8DB782B591D682A694C581z.pdf


それによって、それまで一切触れられることのなかった山に逃げようと進言した子ども達がいた話なども不十分ながらも取り上げられるようになるなど、検証内容に一定以上の修正はなされたように思います(その前後の検証結果を比較するとわかります)。
http://www.e-riss.co.jp/oic/

また実質的に事務局や調査委に任せていた委員の先生方も、本腰を入れ始めたためか、委員の検証にかけるエネルギーも密度が濃くなっていったようにも感じました。

実際、検証委員会が公式に「学校の防災対策の問題点や、同校が避難所に指定されているのに行政からの災害情報の伝達が不十分だったことも指摘した」ことは、今後の学校防災を考えれば大きなことだと思います。



しかし、「報告書では、避難開始の意思決定が遅かったことと、津波を免れた裏山ではなく、危険な河川堤防近くを避難先に選んだことを「最大の直接的な要因」と結論づけた」わけですが、それは様々な報道でも言われていたように、検証委員会前にわかっていたことでした。

飛び降り自殺により生徒が亡くなった事故になぞらえれば、ご遺族が知りたいのは、「なぜ自分の子どもは飛び降りざるを得なかったのか」なのです。それに対して生徒が亡くなった「直接的要因」は「飛び降りたこと」といわれて納得できる遺族はいないでしょう。

「なぜ裏山に逃げず校庭に留まり続けたのか、堤防の方に向かってしまったのかを、学校文化や人間関係も含め踏み込んで明らかにして欲しい」というのが遺族の願いであり、実際、前回前々回と検証委員会で遺族との意見交換の場が設けられてからも、ずっとそれだけを言い続けてきたといってもよいです。

しかし、それに答える踏み込んだ調査はなされなかった。だからこそ、ご遺族が「原因の核心部分はなく、重要な証言が出ていない」という話になったのでしょう。



津波の情報はラジオで聞いており、証言が得られているだけでも、教頭先生、教務主任、安全主任の先生とその場にいたトップ3の先生が、山に逃げようと言った。この3名は前年の津波の防災研修も受けています。

迎えにきた保護者や地域住民の中にも津波がくるから逃げてといっていた人達もいた。

6年生の児童の中にも山に逃げようと強く進言していた子達もいた。

実際、1分あれば逃げることのできる傾斜の緩い裏山があった(1枚目と2枚目の写真はその裏山から撮った写真です。1枚目の右下の青いテープが津波到達地点です。誰もが逃げれることがわかると思います)。

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だからこそご遺族は、子ども達は裏山に逃げて助かっているものと信じていた。

しかし、実際には意志決定することができず、津波が目前に迫る校庭に50分間留まってしまった。

そして最終的に河川堤防近くの三角地帯と呼ばれる場所に向かったが、移動して1分たらずで津波の飲まれてしまい、74名の児童が死亡・行方不明となり学校管理下にあった95%の児童が亡くなるという戦後最大の悲劇が起きてしまったのです。

だからこそ、助かった命ではないか、どうして我が子は死ななければならなかったのかを解明して欲しい遺族は望んでいたわけです。

それを明らかにしなければ、また同じことが起きて、自分達と同じような悲惨な目にあう人が出てきてしまうからです。

しかし、検証は遅々として進みませんでした。それどころか11月の中間報告では「逃げられなかった要因」だけが取り上げられ、「裏山への避難道がなかった」とされていました。

僕はできるだけ建設的に検証委員会の動向を見守っていこうと思っていましたが、これにはさすがに戦慄しました。

あたかも「仕方なかったのだ」と結論づけようとしているかのようにみえたためです。



それによって、危機感を持ったご遺族は佐藤敏郎さんを代表とする「小さな命の意味を考える会」が立ち上がりました(佐藤敏郎さんは石碑のプロジェクトで防災甲子園グランプリをとった女川中学校で防災担当をしておられます)。
http://311chiisanainochi.org/wp/

ここには検証結果に対していくつもの重要な提言が書かれています。

たとえば、そこには検証報告書の一部が掲載されており、その語尾表記の形式をとりあげて「「ほぼ間違いない場合」は「推定される」なのだそうです。違うと思いますが…。「ほぼ間違いない」と書けばいいのに」とまっとうな指摘がされています。

本当にそう思います。

辞書で「推定」を引くと、「はっきりとはわからないことをいろいろな根拠をもとに,あれこれ考えて決めること。」ありますが、一般的に「推定される」という言い方は確度が高いときに使わない言葉です。

読んだ人は誤解するでしょう。まさに誰に向けての何のための検証結果なのかということです。



あと全体に渡って違和感を感じるのは、「可能性は否定できない」という語尾を、証言もあり確度の高い事象にも使われているところが散見されることです。

たとえば「地震後にラジオを持ち出し、聞いていた可能性は否定できない」とあります。

「可能性は否定できない」ということは=ゼロではない、ということであり、いってみれば、ほとんどゼロということです。

「あなたが明日死ぬ可能性は否定できない」といったときには、「理論上はありうるが実際にはない」ということを意味します。

しかし、市の教育委員会の報告書だけでも、「ラジオから、「津波警報」と聞こえていた」(1年生存児童)、「教頭先生がラジオを聞いていた」(5年児童)という証言があるのに、なぜ「可能性は否定できない」という書き方になるのかなと思います。

そうした指摘に対しては「聞いていなかったという証言があるから」という返答が帰ってくるのですが、防災無線も聞こえていた人と聞こえていなかった人がいます。

聞こえていない人がいるからといって、複数の聞いたという人の証言が「防災無線を聞いた可能性は否定できない」とは書かないのになぜラジオはそう書くのだろうかということです。

そもそも、震災の直後に行われたインタビュー調査結果よりも、震災から2年以上が経過してからの証言のほうを重視(優先)しているのですが、これ自体妥当なことなのか疑問です。

僕も震災のときのことは、当時書いたTwitterなどをみれば正確な情報が載ってますが、今思い出してもぼんやりと不正確なことしか思い出せないです。子ども達だって迎えにきた保護者だって同じじゃないでしょうか。



学校側はマニュアルも作成しておらず(教育委員会にはやったと虚偽の報告をしていたことが明らかとなっていますが)、津波に対する訓練もしていませんでした。

たしかに誰もが経験したことがない津波です。ハザードマップでも津波は届かないとされており、津波の被害に遭ったことがない地域でもありました。そのことが学校の防災に対する意識に影響を与えていたことも十分考えられます。

他にも同じように避難訓練していなかった学校もあったのも事実です。だから学校の防災のあり方だけが今回の悲劇をもたらしたとはいえない。

しかし、他方で、一度でも裏山に避難する訓練をしていたならば、検証委員会でも指摘されている「意思決定の停滞」自体が起きませんから、全員助かったことも確かなように思います。

そして校長自らも認めているように、引き渡しのためのカード作成も当時の校長になってからは「怠慢」により止まっていました。

僕が遺族なら、もし震度5以上のときは迎えに来るようにという決まりが通達されていたなら、這ってでも迎えに行って我が子の命を助けることはできたのに…といういたたまれない気持ちになると思います。

そもそも遺族は学校に子ども達の命を預けたのです。学校管理下においては子ども達の命を守る義務がある以上、子ども達の命が亡くなったことの責任の一端は学校にあると思うのですが、今回の最終報告では責任の所在は明記されませんでした。

そのため、一部の遺族が「裁判などしたくなかったが、責任の所在をはっきりさせるため裁判に踏み切る」とのこと。

裁判などしたくないからこそ、今まで裁判に踏み切ることなく、粘り強く検証委員会に真相を明らかにして欲しいと求めてきたのに、司法の場に訴えるほかなくなったわけです。

我が子を失ったご遺族は、調査メモを廃棄するといった市の教育委員会の不適切な事後対応に追い打ちをかけられ、何度も何度も心を折られながらも、亡くなった子ども達の命を無駄にするわけにはいかないと、真相解明を訴え続けてきました。

ご遺族が、これからも長く苦しい戦いを強いられること、それをこれまでの事情を知らない世論に「仕方がなかったのにごねている遺族がいる」といった心ない批判をされる可能性を思うと胸が痛みます。



これはダイヤモンドオンラインで連載されている大川小学校に関する記事です。
http://diamond.jp/articles/-/48702

これを読むと検証委員会立ち上げの時点で、遺族が「ハザードマップの作成にかかわった東北大の教授は委員に入れないで欲しい」と要請していたにもかかわらず、東北大の首藤名誉教授が委員となったばかりか、その娘のやっているコンサル会社が事実上の検証を担う事務局となり、5700万円で検証が発注されることになった経緯などが書かれており、これを読むとなぜ遺族は不信感を強めざるをえなかったのかもよくわかります。



僕がずっと話を聞いてきたご遺族は子どものことをすごくすごく愛しているのが伝わってくる本当に心優しい方々ばかりです。

一般の人にもぜひこの記事を読んで、正しく何が起きているのかを把握し、我が子を失ったご遺族を傷つけることがないようにしていただければと、心よりお願いしたいと思います。


2014.2.24.早稲田大学大学院商学研究科ビジネス専攻専任講師・ふんばろう東日本支援プロジェクト代表 西條剛央


大川小学校の検証委員会について正しい情報を共有するため、もし共感していただけるようでしたらシェアしていただければと思いますm(__)m







Last updated  2014/02/27 08:18:05 PM
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