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カテゴリ:ガーコとの愛の日々
毎年出席するようになった、音楽会。
音楽は私にとって、屈折した部分を甦えさせる。 まして、オーケストラは、音の1音1音を読み込んでいる自分がいて、 どうしても楽しめないときがある。 どちらかというと、苦しいかもしれない。 幼い頃から、母親から与えられたフルート。 何気にキレイなものを手にする喜びを感じ自然と音を奏でることを 覚えた。週に1度訪問してきてくださる先生が大好きで、 うまくなることなど考えたこともなく、先生に会えるのを楽しみにしていた 子供の頃。楽譜など読まずに音を読み取ることを教えられた。 中学校に入り、吹奏楽部に入部した。 もちろん楽器経験者であったので、コンクールにも先輩達と出場することができたり ソロコンテストで1位を取ったり、、、そんな中音楽大学へ行くことを子供ながらに 思っていた。熱心にピアノの練習をしたり、、、そんな日を送っていたが、受験時に 父の転勤が決まった。九州へ。先生との別れ。友人との別れ。 そして、このときからフルートを余り手にしなくなった。 既に音大への道はあきらめていた。いや、もう考えてもいなかった。 変わり身が早いのは、昔からかもしれない。 ただ、フルートとどんな形でも、付き合えたらいいと思っていた。 大学時代も期間集中で社会人楽団に入ったり、セミプロの楽団でも楽器を 触る努力をした。 自分が不真面目なわけではない。 ♪を読むより音を聞いて吹く癖がついているので 人一倍個人レッスンは必要だ。 ただ、優先順位が一番が音楽ではなかった。 みんな「本気」なのです。 パートがファーストかセカンドか、、、だけでもちょっと怖い空気です。 下手ではなかったので、それなりのポジションに就くことになっていたが それも、恐ろしい妬みがついてくる。 ソロの部分は誰が吹くか。。。もかなりもめていた。 残業や他に用事があって練習に出席できないなどは ご法度。 皆の目が三角です。。。。。。 色々な人の陰口も聞くようになる。 その中でのケンカも耐えなかった。 「私は自由に吹ければいい。。。」 そう思い4年間続けたが退団した。 それから、私にとってフルートは、 大切な記念日だけに 大切な人のために 吹くこととなった。 練習もしていないで、だんだん音色が汚いのも分かる、 でもいいんです。それが私のフルートだから。 昨日の音楽会では、運命的ななにかを感じた。 音楽について、排他的な私が毎年足を運ぶピアノとバイオリンのデュオ。 レセプションで配布されるパンフレットも、毎回バイオリニストのコラムが 綴られている。毎年、ツツつと読んで終わり。 今年は、彼女のコラムをいつもどおりツツツと読んだが、最後の文章の一文を 読んだとき、自分の中で何かが崩れていった。 18年一緒に居た飼い猫の死について書いてあった。暖かな優しい文章で。 そういえば、ガーコが亡くなったとき、すぐに海城さんに連絡した。 彼はエジプトに行っていた。12月に帰国し電話をくれた。 「ガーコ、死んじゃったんだよね。。。」 一言いうのが精一杯でそれ以上は言えなかった。 そのとき、「そういえば、バイオリニストの彼女も猫が死んじゃったって。。」 などと言っていたな。。。。と思い出した。 私は彼女の(ガーコ)死について語るような勇気も力もなかった。 一言言うだけで、涙が溢れてきてしまう。 「いい歳」なので、 涙が溢れて良い相手は世の中そういないのだ。 私はいつも笑顔でいなくてはいけないのだ。 演奏が始まってから、終わるまでの2時間、涙が止まらなかった。 文章の最後はこうだ。 「時を選び、方法を選んで、別れをかけがえのないものにしてくれた彼に 教えられたことは大きい。終逝を迎えるということ、それを見送るということ 見送られるということ。」 どうしてそんな悲しい想いがあって、演奏ができるのだろうか。。。 そんな気丈にされているところも、又涙がでてきてしまう。 演奏会後、皆が口を揃えて「今日の演奏は、ものすごく良かった」 と言っていた。音楽批評が嫌いな私だが、「うん、そうだね、」 それだけ答えた。 11月29日 津田ホール duo ヴァイオリン 東 彩子 ピアノ 藤井 一興 19:00~ 人気blogランキング お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2006年12月01日 13時34分26秒
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