545102 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

武蔵野航海記

武蔵野航海記

飼い犬の交通事故

武蔵野から昨年末に宇治川べりに越してきたのですが、通常の引越し以上に大変なことになりました。

私は犬を飼っていまして名前を「タロウ」と言います。

武蔵野にいるときは手元に置けなかったのですが、このたびは飛行機で運んできて一緒に住むことになりました。

ついでにピアノも持ってくることにしたのです。

借家で、ピアノと「犬」を置くというのは大変に条件が厳しく、なかなかありません。

そしてろくに下見をしないで借家を決めたのですが、これがかなりの「ぼろ家」で家主の代理人と色々修理の交渉をしている最中です。

引っ越して3日目にタロウを宇治川べりに散歩に連れて行ったのですが、ここでこの犬が車に轢かれてしまいました。

骨盤と足の骨を折る重傷でとりあえず獣医に入院させました。

幸い手術後今はリハビリの途中ですが、この顛末は次回以後においおい書いていきます。

こういうハードワークを高血圧治療のためにダイエットで力が出ない状態で行ったのです。

血圧は努力の結果、上は60、下は40ほど下がりました。

なにしろ、酒断ち・昼飯抜きを実行しているのです。

体重は7キロぐらい減りました。

こんなわけで「西洋哲学を読みました」を中断して一ヶ月以上になってしまいましたが、再開には今しばらく時間がかかりそうです。

引っ越して三日目の12月24日にタローを運動させようとして、宇治川べりに散歩に行きました。

広々としているので、自由に走り回らせてやろうと綱を外したのが失敗で、乗用車に轢かれてしまいました。

隣家に獣医を教えてもらい電話して、現場に横たわっているタローを病院の車で運んでもらいました。

私は一時間ぐらいあとからその病院に行きましたが、その間にタローのレントゲン写真が出来ていました。

骨盤と後ろ足が派手に骨折していて非常な重傷だとのことでした。

タローは事故直後もその病院の中でも、意識はしっかりしていて別に鳴いたりもしませんでした。

女医の話を聞きながら、私は「タローは自分の運命をすでに承知しているのだな」と感じました。

命だけが助かっても身動きできない生活などタローも望まないだろうと考えたのです。

私に状況を説明し終わった女医は、「内蔵がやられているかどうかわからないし、全体にどうなるか分からないから3日後の27日に結論を出しましょう」と私の心中を察した様子で言いました。

私もそれに同意し病院を後にしました。

そのときの私の心境を正直に言うと「犬は人間とは違うのだ。変な倫理的拘束がないから命の本来の目的と考えて結論を出すべきだ」と考えていたのです。

事故の翌日の25日にタローを病院に見舞いに行きました。

彼は淡々として表情で私を見つめるだけで、喜ぶでもなく苦しさを訴えるわけでもありませんでした。

私は、「動物の最後は静かな威厳のあるものなのだな」と感心しました。

翌26日に見舞いに行ったときは、かなり元気になっており身動きは出来ないものの内蔵は大丈夫なように見えました。

これを見て、私は急に「出来れば何とかしたい」と気持ちが180度変わっていくのが自分でも分かりました。

翌日27日は獣医とタローをどうするかを決定する日です。

その日の午後、私がまだ病院に行く前に獣医(後で分かったのですが、最初に会った女医の夫でした)から電話がかかってきました。

「今日の夜、タローちゃんの手術を行います」といきなり言うのです。

私はその瞬間になんと言うかものすごく嬉しくなりました。

「タローは回復するのだ」と感じたのです。

「大変な手術で私だけでは無理なので、仲間の獣医を二人応援してもらって三人で手術します。

皆が時間のとれる夜9時から行い、3時間ぐらいかかります。」というのです。

ですが3日前の結論は今日どうするかを決定するということでした。

私は「とにかく状況を説明してください」と言い、夜7時に病院に行くことにしました。

この辺の微妙な獣医とのやり取りを友人の医者に後から話したのですが、「医者は患者の様子を見ているのだ」とこの外科医は言いました。

病人に回復の希望がなく、家族が疲れきって金も尽きた様子だったら、彼は黙って点滴の量を減らしていくのだそうです。

私は彼の態度をもっともと思いました。

まして動物の場合は、何が何でも命を助けるという社会的な圧力がないので、飼い主の気持ち次第です。

獣医は私に電話をし手術の可能性を探ったのです。

夕方、病院にいくとなんとタローは私を見て笑ったのです。

私はタローの手術をお願いしました。

手術は夜9時から深夜2時までかかったそうです。

タローは12月28日の未明に手術しその後も病院に留まり、1月4日に退院しました。

今は自宅にいます。

朝晩に10分間ずつリハビリをしています。

首の綱とお腹に通したタオルでタローを持ち上げて、立たせたり歩かせたりします。

今は前足と右後ろ足の三本足で立つ事ができます。

左後ろ足は損傷が激しく先端も骨折しているので、よほどのことがない限り地面に着けようとしません。

姿勢を変えるたびに痛むらしく「キャワ、キャワ」とうるさく、夜中にもやられるのでまいっています。

まあ、全体的には少しずつ良くなっているようです。

明日、獣医が往診にきて、抜糸をしその後の経過を見る予定です。

さてこれから、この「お犬騒動日記」の主題に入っていきます。

私は、今回の騒動を通じて自分の精神状態に対する認識を改めさせられました。

それは同時にこの度、武蔵野からわざわざ京都郊外まで引っ越してきた理由と大いに関連するのです。

偶然といえばあまりにタイミングが良すぎる感じもします。

飼い犬は確かに可愛いのですが、事故前や事故直後は、飼い犬の事故によって自分の精神状態が大きく乱されるとは思っていませんでした。

ところが今回の事故によって、私は大いに取り乱してしまいました。

そして私は今、自分の精神を分析し始めています。

私は今まで仏教に対して偏見を持っていたと、近頃感じるようになりました。

「四苦八苦」という仏教用語がありますが、生きること・老いること・病気になること・死ぬことは苦しみだとお釈迦様はおっしゃったそうです。

病気になることが苦しみだということは素直に納得できますが、老いていくこと自体が苦しみだというところまで言われると納得できません。

生きること自体が苦しみだというのも、「少し違うんじゃないか」と考えてしまいます。

生きていること自体が苦しみだというお釈迦様の思想は、一般的に原始仏教(小乗仏教)と呼ばれています。

この小乗仏教というのは、出家した僧侶が厳しい修行をして、自分だけがこの苦しさから脱出することを主たる目的としています。

即ち、修行によりダルマという宇宙の根本原理を会得し、生まれ変わってまた苦しい生に戻ってくるというサイクルから脱出することを目指すのです。

生きることが苦しみなのだから、この世に生まれてこないようにすれば良いのだということです。

完全に消え去ってしまうことが幸せなのだというなんとも暗い思想です。

厳しい修行をするのも自分だけが苦しみのサイクルから逃れるためで、別に他人を救ってやろうというのが主目的ではありません。

小乗仏教というのは非常に個人主義的な宗教です。

この小乗仏教に対して、後に大乗仏教というのが出てきました。

これは、自分が苦しみのサイクルから抜け出すためだけでなく、衆生(多くの俗人)も救ってやろうという、凡人には非常にありがたい宗教です。

凡人は自分で修行しなくても「南無阿弥陀仏」と生涯に一度唱えれば極楽往生できるなど非常に容易に出来ています。

私は、「生きることは苦しみだ」という小乗仏教の暗い思想に納得しませんでした。

また他人の努力によって安易に救われるという「大乗仏教」の考え方は、もはや仏教ではないということで無視していました。

日本の仏教は大乗仏教ですから、最近まで私は真面目に考えることをしていなかったのです。

お釈迦様の唱えた小乗仏教(原始仏教)は、生きることは苦しみだと激しく断定しました。

この苦しみは執着から生まれるというのです。

生命に執着するから、それが危険にさらされるとそれが失われた時を連想し恐怖を感じて、結果として苦しみが生まれるというのです。

子供や女などへの愛に執着するとまた苦しみが生まれるわけです。

しかしそういった現象は全て幻だとお釈迦様は教えるのです。

何物も変わらないものはなく、万物は流動し変化する(諸行無常)ので、そういったものに執着するのは合理的でないのです。

こうして、お釈迦様は「全ての欲望を捨て執着を絶てば、苦から逃れることが出来る」というのが結論です。

しかし、私は思うのですが欲望を全て絶つのは100%不可能です。

一番基本的な生命を維持するための欲望=食欲を絶つことは不可能です。

肉食を止め菜食に徹したとしても、食欲という欲望を満たし続けているわけで、植物の生命を自分の命のために犠牲にしているのです。

「全ての欲望を捨てる」というのは不可能だと私は思います。

また、「生きることが即ち苦しみである」という発想も納得できません。

私が育ったキリスト教の環境では、そういった発想はありません。

現在の日本にもありません(日本の伝統的な仏教である大乗仏教では、生きることを苦しみだとは考えていないと私は思っているからです・・・この点は後から説明します)。

結局、「生きることは苦しみである」という発想は多くの日本人には違和感があるのです。

この発想に違和感を感じたのは日本人だけでなく、古代のインド人も同じでした。

お釈迦様は今から2500年ほど前の人ですが、それから500年後の紀元前後のインドに竜樹という高僧が現れました。

彼も「生きることは苦しみだ」という発想に違和感を持ったようです。

タローの話ですが、昨日抜糸しました。

毛も少し生えてきています。

相変わらず三本足でやっと立てる状態ですが、左後ろ足も動かせるのでつま先の部分の骨折が直ったら四本足で歩くことが出来そうな具合です。

小乗仏教は生きることが苦しみで、たとえ死んだとしてもまたどこかに生まれ変わって別の苦しい生を送らなければならないという説です。

死んでも問題は解決しないわけで、生きているうちに再生しないように修行しなければ苦から逃れられないのです。

この世は幻でまともに愛相手にする値打ちのないものです。

ところが大乗仏教では、この世をまともに相手にしようとします。

大乗仏教の一派であるチベットのラマ教では、男女が絡み合っている像が「歓喜仏」として仏像や絵になっています。

日本の真言宗の一派の立川流も同じです。

真言宗でもっとも良く読まれる「理趣経」の最初にはこう書いてあります。

「妙適清浄の句は是れ菩薩の位なり。欲箭清浄の句は是れ菩薩の位なり」

妙適とはエクスタシー、欲箭とは男女の抱擁を意味します。

男女が肉体を通じて愛し合うのが清浄だと主張しているのです。

私は、「理趣経」はこの世の活動全般を男女の抱擁で代表させているのだと解釈しています。

この世での活動自体を認め、正しいとしているのです。

ここには、小乗仏教の「生きることは苦しみだ」という思想と反対のものがあります。

この大乗仏教の創始者は、インドの龍樹(ナーガリュージュナ)だといわれています。

彼は紀元200年ごろの人で、お釈迦様から700年ぐらい後の人です。

昨日、私は紀元前後の人だと書きましたが、私の記憶違いだったようです。

この竜樹も「生きることは苦しみだ」という発想に違和感を持ったのでしょう。

大乗仏教が出来た理由には色々なものがあると思います。

現世を否定するという小乗仏教の発想がインド人に合わなかったのではないかと私は感じています。

現在のインド人の宗教はヒンズー教ですが、現世を非常に重視している宗教のようで「歓喜仏」と同じような像もあります。

大乗仏教とは原始仏教がヒンズー化する過程で生まれたものだ、という見解もあります。

また原始仏教が現実的でなかったという理由もありそうです。

古来からインドでは、原野を遊行する修行者の伝統がありました。

しかしこれは、結婚し子供を育てた後晴れて隠居になった身分の者がなったのです。

若いときは社会を支えた現実的な力だったのです。

ところが原始仏教では、若いときから修行者になって社会から離脱することを制限する発想がなかったようです。

お釈迦様自身が王子様で、彼の弟子には貴族や富豪が多かったのです。

生活や社会をどうするかという発想が十分でなかったのではないでしょうか。

在家の俗人は、修行に専念する僧侶を支援するだけで仏教の恩恵に浴することが少ない消極的な存在ということになります。

僧侶がこういう態度では、俗人も支援に力が入らなかったでしょう。

僧侶を経済的に援助することにより、宗教的な救済が得られるというギブアンドテイクの関係を構築する必要があったのでしょう。

俗人は現世の活動に一生懸命で修行をしているわけではありませんから、現世の活動を肯定し修行しなくても救済が可能だという理論が必要になります。

この理論を作り上げたのが龍樹だったのです。

物事に執着するのが良くないというのが、お釈迦様の重要な教えです。

この「執着するな」という言葉を逆手にとって、大乗仏教は小乗仏教に反論しました。

小乗仏教の僧侶は、あらゆる欲望を消すために一所懸命修行をしたのですが、大乗仏教側は「お前たちは欲望を消すことに執着している」と主張したのです。

このように修行に執着するのも「執着」の一種ですから、小乗仏教の僧侶は輪廻のサイクルから脱出できないことになってしまいます。

実際、最初の大乗仏教では「小乗仏教では輪廻を解脱できない」ということになっていました。

その後、大乗仏教では「二乗作仏」と言われるようになりました。

二乗とは声聞と縁覚で、お釈迦様の教えを聞いた直弟子(声聞)と独自に悟りを開いた弟子(縁覚)を言います。

声聞や縁覚のような修行に執着した者たちさえ輪廻から解脱できるという考え方で、彼らより大乗仏教の信者の方が極楽への近道を歩んでいることは当然です。

この大乗仏教の発想を「空」で理論化したのが、龍樹だったのです。

欲望の否定に執着する小乗の態度はよくないのです。

そうは言っても、現世の欲望に執着するのが良くないことは言うまでもありません。

現世のことは全て幻だと知った上で、現世の欲望を肯定するというのが「空」の思想です。

これは一種の弁証法です。

否定・・現世の欲望を否定

否定の否定・・現世の欲望の否定に執着する態度を否定

空・・現世の欲望は、はかないものであることを承知した上で、現世の欲望とほどほどに付き合うのは良いが、それに溺れてはならない

龍樹によって現世の欲望が肯定され、現世で欲望を持って生活する俗人も輪廻のサイクルから解脱することが理論的に可能になったわけです。

小乗仏教では、僧侶が厳しい修行をするのは自分が苦しみであるところの生のサイクルを脱出するためで、他人まで面倒をみる気持ちはあまりありません。

一方の大乗仏教では、僧侶は自分だけでなく俗人も救済するのが大きな使命になっています。

そして俗人もその魂を磨き輪廻転生によって苦しい生に戻るのを防ぐことを理論的に可能にしたのが龍樹の「空」です。

現世の幸せを追い求めるのは必ずしも悪くないので、俗人にも救済が可能になったのです。

しかし俗人は厳しい修行をすることが出来ませんから、別の方法で魂を磨かなければなりません。

お釈迦様は魂の存在を認めていないので、人間に魂があるか否かは仏教では非常に大きな論点になっています。

しかし私はここでは、人間の精神の働きを「魂」という言葉で表現することにします。

俗人は現世の営みと両立する簡略化した修行で魂を磨くことになります。

その後次第に簡略化した修行がさらに簡略になり、偉いお坊さんの話を聞いたり、善行を積むとか念仏を唱えるだけで良いというようになっていきました。

こういう修行ともいえないようなことで人間の魂が磨かれるのは、人間に本来的に仏になる素質が備わっているからだというのが大乗仏教の主張です。

人間に本来備わっている仏の魂を「仏性」と言います。

実に「仏性」」は「空」と並んで大乗仏教の重要な考え方です。

大乗仏教の初期に出来た「法華経」というお経には、「すべての人間には仏性があり、釈迦はその救済を保証する」と書いてあります。

この段階では仏性を備えているのは人間だけです。

その後、仏性を備えるものの範囲が拡大していき、「華厳経」では「一木一草にいたるまで仏性は備わっている」としています。

さらには動植物以外の山川・月などの天体まで仏性を備えているというところまでなっていきました。

「仏性」という概念によって、人間は動植物や自然と同じレベルだということになっていったのです。

仏の魂である「仏性」は全ての人間に備わっており、これによって全ての人間をお釈迦様はお救いになると初期の大乗仏教の経典である「法華経」には書かれています。

その後この「仏性」は人間だけでなく、動植物や自然などの無生物にも備わっていると範囲が広がっていきました。

このことを明確に宣言したのが明恵上人です。

彼のことを私は以前このブログで書いています(明恵上人、北条泰時、貞永式目)ので、時間があったら読んでください。

明恵上人が華厳宗の高僧であったことと、彼の主張は関連しています。

多くの仏教は、インドから支那を経由しそこで支那的な味付けをしたうえで日本に伝わっています。

古くは奈良時代に南都六宗が支那から伝わっていますが、平安時代に天台宗・真言宗・浄土信仰が伝わり鎌倉時代に禅宗が日本に来ています。

明恵上人の華厳宗は、天台宗より新しく出来た支那仏教です。

華厳宗は早く奈良時代に日本に伝わったのですが、天台宗は最澄により平安時代に伝わったので、日本への伝来の時期が逆になっているのです。

華厳宗は新しい宗派だけあって、大乗仏教の特色が天台宗より強く出ています。

天台宗の根本経典は法華経で仏性は全ての人間に備わっているとだけ説いていますが、華厳宗の根本経典は華厳経で仏性は動植物にも備わっているとしています。

明恵上人は、仏性は動植物だけでなく山川や島・月などの無生物にもあるとさらにその範囲を広げたのです。

彼は月を友とする名歌を詠んだ歌人で、故郷の海にある島に対して手紙を書いています。

明恵上人にとっては、月や島も魂を持った友人で人間と変わらないものなのです。

彼は、自然物だけでなく国家や社会といったものも仏性を持ったものと考えています。

承久の乱後、鎌倉幕府の執権となった北条泰時が京都にやって来て、明恵上人と親交を結んでいます。

この泰時に明恵上人は政治上のアドバイスをするのですが、国家を人間の体と同じように考えて扱うのが良いと教えています。

「道理だけで政治を行ってもうまく行かないことがある。仏法に則って行えばうまく行く」とも言っています。

「道理」というのは儒教道徳など正義の原則を指しています。

そして「仏法に則る」とは、人間や動植物・自然に備わっている仏性を尊重せよということなのです。

人間やその集団たる国家、動植物、自然などは全てみ仏の慈悲に包まれており、その広大な慈悲のなかで自分の役割を果たせば仏様は守ってくださる、ということです。

この世の自然はみ仏の慈悲そのものであり、自然が持っている秩序に無欲に従って自分のいるべき場所に居るのが正しいと考えるのです。

この発想は、日本人であれば誰でも「その通りだ」と思わず叫びそうになるほど説得力があります。

明恵上人の教えは、彼の弟子である北条泰時によって「貞永式目」として法制化され、日本人に浸透していきました。

また、浄土真宗などの仏教によっても「全てのものには仏性が宿っている」という考えが日本人に染み渡りました。

私はこの明恵上人の考えを「あるべきようは」と名づけましたが、これこそ日本人の根本的な発想だと確信しています。

「あるべきようは」という日本人の根本的な発想に気が付いた時、私はそれがどういう経緯で出来たのか分かりませんでした。

ただ明恵上人が華厳宗の高僧だということをヒントに仏教の勉強を始めました。

そして「仏性」というものに思い至ったのです。

そうなるとなんとかして「仏性」を理屈ではなく感触で感じたいと思うようになり、仏教の本場である京都に移住しようと考えたのです。

京都郊外に引っ越して三日目に飼い犬のタローが瀕死の重傷を負いましたが、このときに私は予想外にうろたえました。

単なる動物だとそれまでは割り切って考えていたのですが、実際に飼い犬の運命を決断する時になって、見捨てることが出来なかったのです。

ペットに関してはよく「ラブ・ロス」という言葉が使われていますが、わたしの場合は相手がペットだという感覚ではなく、タローの命がかけがえのないもののように感じました。

うまく表現できないのですが、このときの私は「タローは犬で私は人間だ」という区別をしていなかったようです。

私がタローに感じたのが、仏教でいう「仏性」なのかどうかいま少し考えてみる必要はあります。

しかし、引っ越した直後に「仏性」を深く考えさせられた事件に遭遇したわけです。

なにか「仏性」や「仏教」の方から私に接近しているような具合になっています。

こういった事情なので、いまだにゴタゴタとした状態ながら「飼い犬騒動記」をブログに書きました。

「西洋哲学を読みました」は中断したままになっています。

私の頭の中は「仏教モード」になってしまっていますが、落ち着いたらがんばって「西洋哲学を読みました」を再開します。

その後、京都市内で四季折々に感じたことや仏教のことなどを書いていこうと思っています。

インド、東南アジア、支那、朝鮮、日本は同じ仏教文化圏だという説がありますが、これはとんでもない誤解だと思います。

インドには仏教は残っていませんし、東南アジアの小乗仏教は日本の仏教とは別のものだと割り切ったほうが良いと考えます。

支那で仏教が盛んになった時期は確かにありましたが、これは3世紀~10世紀ぐらいまでで、現在の支那に仏教はありません。

この時期、支那を支配したのは北方の騎馬民族で、彼らは儒教などに関心を持っていませんでした。

そこで従来からの知識階級は、儒教を学んでも実際の政治に役立てることが出来ず個人的な出世にも役立たなかったので、儒教から仏教に一時的に鞍替えしただけのことだったのです。

朝鮮では統計上仏教徒は全人口の20%弱となっていますが、実態がどうかは疑問です。

現在の南朝鮮では30%がキリスト教徒だと統計上はなっていますが、これに関しては斉州島出身の朝鮮人で日本の大学教授をしている呉善花は、「あれは新興宗教だ」と明言しています。

朝鮮では政治・経済的な活動が宗教の衣をかぶることが歴史的に多いのです。

この件に関してはもう少し情報を集めてから判断をしようと思っていますが、朝鮮では「仏教徒」の方が「キリスト教徒」より少ないわけで、朝鮮が「仏教国」とは言えません。

いずれにしても、現在日本で行われている大乗仏教は日本だけのものだということを、はっきりと認識しておく必要があります。

もう一つ日本の仏教の特徴として、古くからの宗教である神道の発想を大いに取り込んでいるというのがあります。

日本では古代から、恨みをのんで死んだ人間やこの世に未練を残している魂は怨霊になると考えられています。

この怨霊を祭って鎮魂し良き神にして人間に幸福をもたらすようにするのが、古来の神道の重要な役割でした。

仏教が入ってからこの鎮魂の役割を仏教が果たすことになりましたが、こういう類のことは本来の仏教の使命ではありません。

先祖を祭るというのも同じことで、先祖の中にはこの世に未練や恨みを持つものがいるので、彼らを祭って祟りを起こさせないようにするわけです。

これも日本では仏教の役割になってしまいました。

というより今の日本の仏教が主として行っているのは先祖を祭ること(供養)になっています。

このように日本の仏教というのは、本来神道が行うべき役割を果たすことによって日本の社会に受け入れられていきました。

今の日本の仏教というのは色々問題を抱えていますが、大乗仏教の教えそのものは良く考えられた宗教だと私は思うようになりました。

そしてこの大乗仏教が日本人の発想である「あるべきようは」を形成していったのです。

「あるべきようは」という発想は非常に良い面がありますが、同時に大きな弱点を持っています。

こういうわけで、仏教と「あるべきようは」をこれからもっと勉強しようと考えています。


© Rakuten Group, Inc.