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武蔵野航海記

武蔵野航海記

千日回峰

皆さんご無沙汰しています。今はあまり時間的余裕がないのですが、「千日回峰」のことを書きたくなってしまいました。

時間を見つけては書いていきますね。

先日、比叡山の大阿闍梨で千日回峰を成し遂げた方とお会いし直接話をうかがうことが出来ました。

千日回峰は非常な荒行として有名で、私の読んだものの中には「不眠不休で、険しい山道を飛ぶように走っていく」と普通ではとても不可能な行だと書いているものもありました。

私は天狗のような超能力者を予想していたのですが、お目にかかった大阿闍梨は普通のジイサマでした。

天台宗の僧侶であれば誰でも「千日回峰」に挑戦できるわけではありません。

まずは「十二年籠山」を達成しなければなりません。

12年間比叡山の山の上で生活し麓には下りないという行をしなければならないのです。

標高800メートルの比叡山は冬は非常に寒く湿気も多いので、それだけで非常に厳しい行になるようです。

最澄は比叡山の山の上で生活して体が衰弱し死期を早めたということです。

12年籠山の行を達成した僧侶が「千日回峰」の行を願い出ると、比叡山の幹部が会議を開いてこれを認めるか否か協議をするそうです。

今まで千日回峰を成し遂げた阿闍梨は50人程度だということですが、私が直接話を聞いた大阿闍梨の話と付き合わせるとつじつまが合いません。

そこで調べてみると、織田信長が比叡山を焼き討ちした際に、千日回峰の記録が焼失してしまい、約50人というのはそれ以後の記録だと言うことが分かりました。

400年で50人ということは8年に一人で、私はその数字に納得しました。

千日回峰は、延暦寺の開山者最澄の弟子の時代に始まり、1100年以上続いている行なのです。

千日間ブッ続けで比叡山の峰峰を巡るという印象を受けますが、そうではなく一年に100日ないし200日間回峰するのです。

3月28日にその年の回峰をスタートし、100日ならば7月まで、200日ならば10月までで、冬はしません。

私が話を聞いた阿闍梨は5年間でなしとげたので、毎年200日の間、峰峰を巡ったことになります。

一日に歩く距離は約30キロで、真夜中の12時半に起き、2時に回峰をスタートし、朝の7時か8時には自坊に帰ります。

軍隊の移動距離は一日25キロか30キロで、兵隊は20キロ以上の荷物を背負って歩くわけですから、行者がいかに坂道とはいえ身軽な服装で歩くのですから、過酷とは言えません。

しかも冬はやらないわけで、普通の人間でも出来る範囲です。

体力的にしんどい時は、小僧たちに後押しさせたり両脇から支えさせたりすることも出来ます。

ただし、100日か200日の間、一日も休んではならないというルールがあり、これが厳しいのです。

1000日の間には当然、病気になったりケガをしたりします。しかしそれでも休んではならないのです。

そして一日のノルマを達成できない時は自殺しなくてはならないルールになっています。

だから行者は木の枝に吊るして首を吊るロープと目隠しの布を毎日持って峰峰を廻るのです。

私が話を聞いた阿闍梨も下痢が一週間続き何も食べる事ができなくなり、普段は朝の7時には終わるのに夕方暗くなるまでかかり、小僧に介添えをしてもらったこともあったと言っていました。

そしてそのときには、何回も首を吊ろうと思ったというのです。

私は大阿闍梨がする荒行のお話をただ感心して聞いていたのですが、回峰を続けられない時は首を吊って自殺しなければならないという掟を聞いて、「チョット待てよ」と思いました。

「行を続けることが出来ない時は自殺すべし」というルールはどうもお釈迦様の教えとそぐわないと感じたのです。

お釈迦様は北インドの釈迦族という部族が作っていた国の貴族でした。

王子様だったという説もありますが、当時のインドには後世の王国というものはなく、順番か選挙で王を出す複数の家柄があった貴族制の社会だったそうです。

お釈迦様の一家もそうした大貴族の家柄であったのですが、彼がそのまま将来は王様になるとは限らなかったようです。

いずれにしてもお釈迦様は大貴族の地位・妻子と多くの妾を捨て、出家したのです。

彼はそのとき29歳でした。

最初は当時の有名な先生に就いて学んだのですが、その教えに納得がいかず苦行者の群れに身を投じました。

そして6年間、ミイラのようになるまで苦行をしたのですが、悟りを得ることが出来ませんでした。

死にそうになりながら、彼は「何故ここまで苦行をしても悟りを得られないのか」と悩んだそうです。

二つの理由が考えられます。一つは苦行が十分でないという可能性です。もう一つはそもそも苦行によっては悟りが得られないという可能性です。

お釈迦様は非常に真面目な方で、苦行を真剣にやりましたから、「苦行がまだ足りない」ということは無いと自分で思いました。

ですから「苦行では悟りを得られない」という結論しか考えられないのです。

そこでお釈迦様は苦行を中止し、川で身を清め、スジャータという村娘が差し出した乳粥を食べて元気を取り戻しました。

そして菩提樹の下で定(瞑想)をして悟りを得たのです。

つまり「無理な苦行は意味が無い」というのは仏教の基本的な考え方なのです。

精神的・肉体的な限界まで頑張るというのは仏教的な合理主義と反するのです。

「限界まで頑張ってもまだ十分でない時は死ね」というのは非常に非合理でお釈迦様のセンスと合いません。

仏典に行のために自殺するという記載があるか調べてみました。

大乗涅槃経には「雪山童子」の話があります。

雪山とはヒマラヤのことです。

お釈迦様はその前世で何回も生まれ変わり修行をしたのですが、その前世の一つに雪山童子というバラモン仙人となってヒマラヤで修行をしていたことがあったそうです。

仏教の経典という悟りの教科書が出来る前のことですから、雪山童子は法(教え)を求めてヒマラヤをさまよっていました。

このとき帝釈天は、雪山童子が命を捨てる覚悟で法を求めているか試すために鬼の姿となり、偈(真理を含んだ詩)を与えるから、お前の体を私の餌にしないかという交換条件を提案したのです。

雪山童子はこの取引を承知し、偈を聞かせてもらった後に、崖から身を投げて自分の体を鬼に与えようとしました。

帝釈天が雪山童子を助けてめでたしめでたしになったのですが、この場合は自殺というより真理を得るために自分の命を犠牲にしたという感じです。

またジャータカ物語という釈迦の前世物語があるのですが、前世の釈迦は飢えたトラに餌をやるために、わが身をトラに与えました。

これは、布施という行を行ったわけでこの布施物が自分の肉体であったということです。

これら二つの例は、行を行い悟りに近づくために、手段としてわが身を犠牲にしたということです。

一方、千日回峰のノルマが果たせない時は首を吊れ、という場合は少し違うようです。

千日回峰自体が行であり、少しでも悟りに近づくためにするわけです。

その定められたノルマが達成できないとして首を吊れば行を完遂できず、悟りに近づくことが出来ません。

「首を吊れ」という掟は悟りを如何に得るかという観点からではなく、別の観点から出てきたような感じがします。

例えば、比叡山のメンツとかそういったもののために命を捨てるということかもしれません。

比叡山がどう考えてこのような掟を作ったのはわからないので、最終的な判断はできないのですが、私は否定的な印象を持ちました。

この「千日回峰」を調べるために比叡山関係の情報を集めていたら面白い記事に出会いました。

二年前に比叡山で、日本一のヤクザ組織である山口組の歴代の組長の法要が行われたのです。

滋賀県警はじめ各方面からこの供養の中止要請がありましたが、比叡山延暦寺はこれを無視し法要を予定通り執り行いました。

大勢のヤクザ幹部がこの法要に参加し非常に盛大だったそうです。

その後各方面からの非難が続いたので比叡山は、「今後はヤクザの法要は行わない」という声明を出したそうです。

織田信長は比叡山の傍若無人ぶりに腹を立てて焼き討ちを敢行したのですが、こういう比叡山の発想は当時も今も変わらないのだなと思いました。

比叡山の高僧に何人かお目にかかりましたが、みな知的で教養のある方々でした。

学歴も立派で東大や京大を卒業した後に、ドイツ・フランスの大学やアメリカのハーバード大学などに留学しています。

仏教を哲学的に探求するのは西洋の宗教的理論と仏教の教理の整合性・比較が必要なのです。

比叡山には昔から学僧が大勢いて、織田信長のときもそうだったのです。

一方で非常に高度な仏教の研究をしていて、もう一方で傍若無人の振る舞いをするという面白い性格の宗派なのです。

今回の山口組歴代組長法要の件の理由を考えてみたのですが、「一切衆生悉有仏性」が原因の一つではないかと思えてきました。

今日は「一切衆生悉有仏性」のことを書こうと思います。

一切衆生とは全ての人間ということです。

これが悉(ことごとく)仏性を有しているというのです。

仏性というのは「仏になる可能性」ということです。

ですから「一切衆生悉有仏性」とは、「どんな人間でも仏になれる」ということです。

殺人鬼でもヤクザでも人間であればいつか仏になれるわけで、それが生きている間なのか生まれ変わった後の遥か先の話かは分からないが、とにかくいつかは仏になれるということです。

この考え方は、お釈迦様が仏教を説いたときにはまだなくて、数百年たって大乗仏教が出来てこういう考え方が生まれました。

大乗仏教の全ての宗派が「一切衆生悉有仏性」を唱えているわけではありません。

唯識法相宗という大乗仏教の宗派では「五性各別」といって、人間にはランクがあってとても仏になれる素質がない連中もいるとしています。

また華厳宗では、「山川草木悉有仏性」といって、人間だけでなく動植物や山・川などの自然物も仏性を持っていると主張しています。

鎌倉初期の明恵上人などはこの考え方で、月を友達だと本気で思っていました。

日本人は「山川草木悉有仏性」に共感を覚えると思います。

なにしろ自然を友とするという感性を持っていますから。

比叡山天台宗は、「一切衆生悉有仏性」を唱える法華経を聖典としていて、この考えを支持しています。

平安時代から鎌倉時代に広く信奉された仏教は天台宗と華厳宗で、そこから「一切衆生悉有仏性」と「山川草木悉有仏性」という考え方が日本人の心に深く根を下ろしました。

特に天台宗は日本最強の宗派です。

天台宗から分かれた宗派が、浄土宗・浄土真宗・曹洞宗・臨済宗・日蓮宗です。

つまり今の日本の仏教のほとんどは、天台宗から生まれたもので「一切衆生悉有仏性」を主張しているのです。

「一切衆生悉有仏性」とは、全ての人間がいずれは仏になれる、という意味です。

こういうことを聞くとほとんどの人は、「だったら苦しい修行をしたり正しいことだけをするように努力する必要などないじゃないか」と考えます。

実際に比叡山の僧侶も大部分がそういうように考えました。

中でも真面目なお坊さんは真剣に悩みました。

「なんで苦しい修行をしなくてはならないのだ」

こういう真面目なお坊さんの中に法然上人、親鸞聖人、道元禅師などがいました。

かれらは考え抜いた末に、「何故修行をしなくてはならないのか」という問題の結論を出し、その考えを外部に説き始めました。

これが鎌倉仏教で、現在の浄土宗、浄土真宗、曹洞宗、日蓮宗などの大宗派になっていったのです。

新興宗教である創価学会や立正佼成会も日蓮宗の分派ですから、もとを辿ると比叡山に行き着き「一切衆生悉有仏性」の信奉者となります。

日本における比叡山天台宗の影響力の大きさが分かっていただけると思います。

さて真面目なお坊さんは真剣に悩みましたが、そこまで思いつめない凡人の僧侶は、「怠けていても何時か仏になれるのだったら、真面目に修行しなくてもいいや」と思ったのです。

こうして比叡山の堕落が始まりました。

これに腹を立てたのが織田信長でした。

最近、比叡山は日本最大のヤクザ組織である山口組の歴代組長の法要を行いましたが、これが「一切衆生悉有仏性」という思想から出てきたことをもうお分かりと思います。

「どんなヤクザでも仏性を持っており、頼まれれば彼らの法要をするのは当然だ」と比叡山のお坊さんたちは考えたのです。

これは一つの宗教的な信念であり、考え方です。

そうであれば、この思想を堂々と日本中にアナウンスすべきだったと私は思います。

しかし比叡山はそうせずに、事後に「今後はヤクザの法要はしない」と反省の弁ともとれる発言をしています。

「一切衆生悉有仏性」の思想に基づいて、比叡山がヤクザ幹部の物故者の供養をしたのは、理論的に一貫しています。

しかし、まだ二つの問題が残されています。

一つは、「本当に全ての人間は仏になれるのか」という問題です。

人間には持って生まれた素性・素質があるのではないかという疑問です。

仏教は輪廻転生を認めていますから、どうしようもないヤクザでも気の遠くなるような時間をかけ、何回も転生を繰り返してそのたびに苦労すればいつかは仏になるだろう、という理屈は成立します。

しかし、いま問題にしているのは、どうしようもないヤクザがそのまま短時間で仏になれるかどうかということなのです。

こういう意味で、全ての人間はすぐに仏になれる、という考えは少数派だと思います。

お釈迦様が教えを説いた時にはそのような考えは無かったようですし、大乗仏教の中でも、「どうしようもない連中もいるものだ」という考えもあるのです。

ただ天台宗とその分派が日本を宗教的に支配してしまったために、今の日本人の多くがこの「一切衆生悉有仏性」に違和感を持たないだけです。

仏教以外の宗教に眼を転じても「全ての人間は天国にいける」という考えは余りないようです。

キリスト教は「予定説」で、神は予めその人間が救われるかどうしようもなくなって、暗闇に生滅してしまう人間かを分けています。

悪いことをした人間は地獄に堕ちっぱなしだと言うほうが、一般人の賛同を得られやすいですね。

もう一つの問題は、この「一切衆生悉有仏性」は、いったいどっちを向いて話をしているのだ、ということです。

「この世に肉体を持って生きているということは仮の姿であってそれがどのような生活であっても大した問題ではなく、本当に大事なのは魂の状態なのだ」と宗教は教えます。

これは仏教もキリスト教も同じです。

大金持ちで安楽な生活をするのと、強盗に殺されるのとでは、大した違いは無いのだというわけです。

しかしこういう説に多くの人は納得できないと思います。

仏教が生まれた古代のインド人も納得せず、もっとこの世での生活を重視する仏教であって欲しいと思ったのです。

そういう願いによって出てきたのが大乗仏教で、この俗世間で生きていくことが即ち修行なのだと主張したわけです。

だから修行の内容も、人里はなれたところで座禅をするのも良いが、もっと簡単に出来ることも効果のある修行法だということになりました。

この世で生きていくには仕事をしなければならないし、子供を生み育てなくてはなりません。

敵が攻めてきたら、戦って相手を殺さなければなりませんが、これは仏教が禁ずるところの殺生をおこなうということです。

こうして、念仏を唱えるなどの簡単な修行で良く、厳格な戒律を守らなくても良いことになっていったのです。

こういう簡単な方法で悟りが得られるということを説明するために、「一切衆生悉有仏性」だれでも仏になれるのだという思想が生まれたのです。

ところがこの発想は、先ほどの比叡山のようにヤクザに盛大な供養をするということになってしまいます。

これを見た子供たちは、「仏教の教えを守らず、人を脅かして豪勢に生活しても極楽にいけるのだ」と思うでしょう。

そうして真面目に働かずにヤクザになるわけです。

そうしてこの世はヤクザであふれ、この世は非常に過酷な場所になります。

この世を少しでも暮らしやすいようにしようと思って出来た大乗仏教が、この世を悲惨なところにしてしまうのです。

私が前回の日記で、「どっちを向いているのだ」というのはこういうことです。

あの世を向いているのか、この世に眼を向けているのかということです。

こういう事態が起きることを予想していたのでしょう。

初期の大乗仏教は戒律をしっかり守り善悪のケジメをつけなくてはならない、としていました。

しかし厳しい修行が嫌な僧侶は、大乗仏教の一部だけを取り出して戒律・ルールを甘くしていったのです。

この問題は非常に複雑で、私もこれからこの辺を調べていこうと考えています。


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