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武蔵野航海記

武蔵野航海記

シェイクスピア

シェイクスピアは、1564年生まれでエリザベス一世とちょうど同じ年代です。

当時はちょうどイギリスが発展し始める時期で、日本で言えば明治維新にあたります。

かれはストラットフォードという田舎町の出身で若くしてロンドンに出てきました。

領主の狩場で鹿を密猟したので町を追い出されたというのです。

いや8歳年上の女と駆け落ちしたのだという説もあります。

いづれにしても結構俗っぽい男だという印象を私は持っています。

彼の作品を始めて読んだのは高校生の時でした。

400年以上前の言葉ですから、理解できるかどうか非常に不安でした。

第一幕では真夜中の城壁の上にハムレットの父王の亡霊が現れます。

ベルナルドとフランシスコの二人の番兵が交代するところから第一幕は始まります。その時の会話の原文が下記です。

BERNARDO : Who's there?

FRANCISCO : Nay, answer me: stand, and unfold yourself.

BERNARDO : Long live the king!

FRANCISCO : Bernardo?

BERNARDO : He.

FRANCISCO : You come most carefully upon your hour.

BERNARDO : 'Tis now struck twelve; get thee to bed, Francisco.

思ったほど難しくありませんでした。

400年前と今の英語は基本的な構造がほとんど変わっていないのです。

肝心のハムレットはあまり面白くなかったので、それっきりで終わってしまいました。

その後、世界の文豪の作品を読みました。

ゲーテ「ファウスト」、セルバンテス「ドンキホーテ」、プーシキン「青銅の騎士」、コルネイユ「ル・シッド」、夏目漱石「三四郎」、森鴎外「舞姫」

まあそれなりに面白いのですが、「皆が大騒ぎするほどの事もないな」というのが、私の正直な感想でした。

長すぎて途中でいやになり、投げ出したのもあります。

こういう大文豪の面白さを理解する神経を私は持ち合わせていないのだろうと思っていました。

ところが何年か前、私も含めた4人ぐらいのオジサンたちが雑談をしていたとき、全員がシェイクスピアは面白くないと言い出したのです。

シェイクスピアだけでなく、ファウストもドンキホーテも大したことないというのです。

面白くないというよりくどいと皆が感じたのです。

「ロメオとジュリエット」など猥雑な言葉が次々と飛び出してきます。

文豪の作品を鑑賞する能力がないのは私だけでないことが分り、安心しました。

もっとも彼らとて私同様芸術的センスに優れているというわけでもないので、やはり不安は残っていました。

その後、イギリスのおじさんの相手をしなければならない羽目におちいったことがありました。

お互いに話題を見つけるのに苦労したので、私は思い切って件の話をしました。

するとそのおじさんは「その通りだ。君達は良いセンスをしている」というのです。私より15歳ぐらい年上の人でした。

私達は一気に盛り上がってしまいました。

そのおじさんも同じことを感じ、あるときシェイクスピアの権威に恐る恐る尋ねたそうです。

「シェイクスピアを面白いという若者を私は信用しない」というのが、その権威の回答だったそうです。

シェイクスピアの作品は模範文例集だというのです。

当時のイギリスはまさに封建時代から統一国家への移行の時期でした。

田舎の紳士も花のロンドンに出て社交をしなければならない時代になったのです。

当時の劇作家は、この共通語の先生だったというのです。

自国の言葉の持つ深い意味合いを大切にしようとする気持ちはある程度の歳にならないと出てこないというのです。

その歳になって初めて文豪の作品の価値が分るのです。

私は納得しました。

シェイクスピア・ゲーテ・セルバンテス・プーシキン・コルネイユ・夏目漱石・森鴎外。

彼らは皆、一つの国民が出来上がる時にその国語を作り上げた人たちだったのです。

ドイツ語は二段階で出来上がったそうです。

ルターが翻訳した聖書のドイツ語がベースになり、ゲーテが完成させたのです。

日本語はその親戚の言葉がないそうです。

コリアンと親戚だというのは俗説だそうです。

似ているとしたらそれはコリアンが日本語を取り入れたというのです。

「朝鮮民主主義人民共和国」という国名の中で、「民主主義」「人民」「共和」「国」は日本語だそうです。

これらは全て英語の翻訳です。Democracy, people, republic, nation という言葉を明治の人が訳す時に作り出した言葉なのです。

これはチャイナも同じで「中華人民共和国」の「人民」「共和」「国」は日本語です。

Nationを国と訳したのは日本人で、チャイナでは本来は「邦」です。

日露戦争後、チャイナから日本への留学生は最盛期5万人いました。

明治時代に日本人はヨーロッパの言葉に対応する日本語をたくさん発明しました。それがチャイナに渡ったのです。

当時、電話帳ほど厚い日本語辞典がチャイナにあったそうです。

江戸時代以前の日本語とコリアンはとても親類の言葉ではありません。

アメリカに言葉の年代測定をする方法があるそうです。

その方法を使うと、沖縄弁と京都弁は数百年前に分かれたという結論が出ました。

その方法で測定したら、日本語とコリアンは4500年と出たそうです。

要するに違う系統だということです。

「おとうさん」「おかあさん」という言葉は、明治政府が作りました。

それまでは「母上」と「おっかさん」しかありませんでした。

それで政府が「おかあさん」で統一しようとして、小学校で教えたのです。

当時、山の手の「母上」達が、「下品な言葉を教える」と学校に怒鳴り込んで大変だったそうです。

小学唱歌も日本語を統一しようという政府の努力の一環ですね。

「♪春の小川はさらさらいくよ」は日本語としておかしいですね。川は流れるのであって行くのではありません。

この唱歌が出来たときは「流る」だったのです。

ところがこの古典的な言い回しが文部省の気に入らず、すったもんだの末「いくよ」になったのです。

私は唱歌が好きです。昔の日本のイメージです。しかし実はこのイメージの多くは百年前に政府が作ったものです。

NHKで東京弁を全国に通用させようという努力も標準語化の政策の一環ですね。

チャイナの北京官話は東京弁の発想を真似したものです。

言葉は、どんな言葉も意識的に作られたものです。

古今集や新古今集は「勅選和歌集」です。

天皇の政府が日本語を積極的に作り上げようとしたわけです。

この伝統を遡ると万葉集にたどり着きます。

万葉集は大伴家持が編纂しました。

しかし大伴家持は古代からの名族大伴氏の当主です。

そして5世紀後半から8世紀半ばまでの三百年以上に詠まれた4500首の歌を収録しています。

これはもう当時の支配者がその必要を感じて編纂したものです。

9世紀初めの平安時代に「新撰姓氏録」が書かれましたが、これによると当時の近畿の氏族の三割が「諸蕃」に分類されています。いわゆる渡来人です。

日本全体ではこの比率はもっと下がるでしょうが、外国語を話す者がいたのです。

この渡来人はチャイナ起源ですが、ご存知のようにチャイナの言語は何種類も系統がありますから、お互いに通じません。

さらに原日本人の言葉も多くの方言に分かれていました。

この「諸蕃」と「原日本人」が入り混じり、当時の日本には統一された日本語がない状態でした。

このような状態では中央集権国家を作ることは出来ません。

そこで模範文例集を作り日本語を作り出そうとしたのです。

これが万葉集です。

編纂者の大伴家持は、日本に統一王朝を建てた天武天皇の子供の世代です。

まさに統一王朝のニーズに応えたものなのです。

万葉集は漢字で書かれています。初めの頃は漢字の意味に注目して歌を記録していたので読みにくいのです。「天海丹 雲之波立」を「あめのうみ に くものなみたち」とよむのです。

それが終わりの頃になると、漢字をかなとして使っています。

「可豆思加乃 麻万能宇良未乎」 を 「かつしかの ままのうらみを」と読みます。

このように万葉集を編纂する過程で日本語を作っているのです。

そして日本人の感性も作られていったのです。

日本人が万葉集に美を感じるのも、これが日本人の美意識の基になっているからです。

同じことが明治になっても行われました。

夏目漱石や森鴎外の作品を愛する人が多いのも、彼らと美意識を共有しているからでしょう。

私は万葉集を美しいと思いますが、明治の作品には感動しません。

もしかしたら、私は古代日本人そのままなのでしょうか。


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