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武蔵野航海記

武蔵野航海記

JR西日本

先月末、痛ましい鉄道事故が起き、百人以上の方が亡くなってしまいました。

亡くなられた方々のご遺族に対して深い追悼の意を表します。

この事件は日本中の注目を集め、今でもテレビや新聞で大きく報道されています。

私にとっても、この事件は非常に重大な出来事です。

それはこの事件に対するマスコミの報道に対して、私は大きな「違和感」を感じたからです。

事故直後にJR西日本の従業員が、宴会をしボーリングやゴルフをしていたことが大きく報道されました。

更には、役人や国会議員が現場近くでゴルフをしていたことも報道されました。

マスコミは明らかに彼らの行動を非難していました。その結果、五十代後半と思われるJR西日本の管理職は、テレビで謝罪しました。

彼は、事故とは関係のない部署の責任者で、仕事を終えた後、部下と宴会をした人物です。社長という会社全般に責任を持つ人ではありません。

マスコミは、「誰々が、どういうことをした」と事実を伝えた後、彼らを非難しています。ところが、それが如何なる罪であるかは説明していません。

一体、彼らが如何なる罪を犯したというのでしょう?

事故に対して、彼らは刑事上の責任を追求される立場にはいません。
仕事中にサボって遊んだわけではありません。
会社の金を使い込んだというわけでもありません。

マスコミは私の疑問に対して「大きな事故を起こした会社の従業員として、しなければならない謹慎をしていない」のが罪だとしか言いようがないでしょう。

これは、JR西日本の従業員であることが罪だということになります。
父親が犯罪を犯したら、その家族も肩身が狭いというのと同じ理屈です。

昔はどこの国でも連座制がありましたが、近代になってからは犯罪を犯した当人だけを罰するように変わってきています。

「親の因果が子に報い」という言葉は、一見仏教の教えのようにも見えますが実際は無関係です。お釈迦様はもっと理知的な方です。

日本人が企業と一体感を持ち、「会社のために一所懸命」働いたことで今日の日本を築いたことは、世界中も誰も否定できない事実です。

これは良き伝統です。しかし一方でそこで働いている人は、一般の市民であることも事実です。

市民としてのJR西日本の従業員に対しては、市民として接するのが妥当だと、私は思います。

会社に対する忠誠心と市民の感覚の両方のバランスが必要だと思うのです。

更に彼らの「不謹慎な態度」により、人が神経を逆撫でされたということで、この罪が確定したのでしょう。

では誰の神経を逆撫でしたのでしょう。一番騒いでいるのは新聞やテレビの記者で、一般の国民は冷静であると私自身は感じています。

新聞やテレビの記者の神経を逆撫でしたのだと思います。

個人個人が自己の基準でJR西日本の従業員の行為を判断することと、マスコミがそれを論じることはまるで異なります。

マスコミが評価するには、それなりの明確な基準が要求されます。

JR西日本の従業員は犯罪を犯していないので、非難されるとしたら道徳的な非難しか出来ません。

勿論、どこの国でも反道徳的な行為に対して非難が集まりますが、宗教の教えという明確な基準に立脚していることが大多数です。

日本のマスコミは、如何なる立場にたっているのでしょう?

事故直後に宴会をすることが、道徳的に優れているとは誰も思っていません。
問題になるのは、それが社会的に非難されるほど重大か否かです。

彼らも一般の市民であり、他の人たちにとっては、「明日はわが身」という問題です。

JR西日本の管理職の大部分は常識をわきまえた方々だと思います。

その方々が以前から予定されていた宴会やゴルフを中止しなかったということは、マスコミの基準が決して一般的なものになっていないということだと思います。

まして政治家は世論を気にするのが商売です。彼らにとっても「寝耳に水」だったわけです。

私にはマスコミの態度は納得できません。

今日の私の文章は、表現が少しきついと感じられるかも知れませんが、それは論旨を明確にするため意図して行った事です。大目に見てください。

日本国籍を持っていない私が、これを書くべきか迷っていました。

しかし皆様のご意見を聞いてみたくて、今日この文章を書きました。

あまり楽しくない話題なのですが、許してください。

多くの方のコメントを待っています。


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