BerryCafe

2012/04/09(月)23:55

戻ってきてしまった心配性☆でも、それがどうした?☆

最近の出来事(104)

物事には絶対確実ということはあり得ません。今の自分の仕事、生活、人間関係すべてがこのまま継続していくという保証もありません。 私は4年前にパートナーを亡くしましたが、突然このような形で別れがくるなどとは夢にも思っていませんでした。むしろこれからずっと夫婦続いて死ぬまで一緒のような感覚すらありました。そして数日前の空き巣事件です(しつこいって・・爆)。平穏無事という生活のイメージが奇しくも崩れました。更に仕事もそうです。定年まで無事に勤め上げることすら今の私には保証はありません。そう考えると、なにやら急に目の前が暗くなってきました。 そんな気分でなんとなく、もりけんさんのHPの「もりけん語録」を見ていたら、「幸福論」と題した書き込みがありました。そこには「それがどうした?」というフレーズが出ていました。 私の場合は、ちょっとしたことでも落ち込みやすいタイプなので(苦笑)、無駄とわかっていても先を考えてしまいます。ある意味心配性かもしれません。ここしばらくは、その心配性はどこかに行っていましたが、きゃつは空き巣事件で私のところに戻ってきてしまいました(笑)。仕事、生活、すべての面で先の保障なんてまるでないではないか、ときゃつは強く訴えます。 そんな時ふと引っかかったのが「それはどうした?」でした。 確かに先のことをきちんと準備するのは大事です。この社会で少なくとも食いっぱぐれないためにも、仕事は大事です。生活の安全面も大事です。こういうことをきちんと準備していくことは重要ですが、やっぱり「それがどうした?」です。言い換えれば、それがすべてではないはずなのです。 感覚的な話しをします。仕事の継続性、生活の保障などつらつら考えているときの私は、とてもシニカルで、暗くて、疑心暗鬼が全面に出ています。ところが、一言、その私が「それがどうした?」とつぶやいた時点で、何かこういう問題はとてもつまらないことに思えるようになりました。何に比較して、ということではなく、一体今の自分は何を問うているのか、というスタートラインに引き戻されてしまうからです。 そもそも自分が何で自分であるのか、自分が生まれてくる前、その先もわからない、この状態こそが一番不安定なはずなのに、そこを外して、自分の立つ所だけを確保しようとして、それがどうした?なのです。昨日私は強烈な孤独感に襲われました。すべてから見放され、途方にくれる自分、先が全く読めない自分、そんな自分がいました。その感覚が襲ってきたのは、現実面での不足、欠乏感のなせる業です。 きっとまだまだ何かに固執しているのだと思います。それを一つ一つはがしていくキーワードが「それがどうした?」だと思います。 「・・で、何が問題なの?」、「そう・・で、それがどうした?」。 すべてのことはこの瞬間の感情に素直になることから始まると思います。今孤独の最中にあっても、その感情に浸りきる前に、このキーワードをつぶやくと、何か気持ちがリセットする気がします。それは私と「何か」がつながったということではないか、とふと感じています。

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