★「歴史散策」トップ阪本を中心として、周辺の歴史を古老の方々からお聞きしたことを、更に、色々な文献やインターネットなどで調査し、加筆したものです。 昔のことですので、100%正しいとはいえず、又、口伝えの為、どのような漢字が正しいのか悩む事が多かったのですが、文章にすることによって、忘れ去られていく歴史を、後世に伝えることが出来れば幸いかと思います。 新たな資料・事実などの情報があれば、更にいいものにする為、ご一報いただければ幸いです。 雨乞い滝 ダムに沈んでしまった集落に古野瀬という阪本の集落がありました。明治頃の阪本の中心はこの古野瀬で、この集落の奥に雨乞い滝がありました。 「雨乞い滝」へのリンク 狐の施行 大塔の中で阪本は寒さが厳しいことで知られてます。 大寒を迎える頃、家に閉じこもる子供達を外に出すのと、食べ物が無くなる動物の為にこの行事がありました。 「狐の施行」へのリンク 十二荘の森 大塔町の名前の由来である後醍醐天皇の皇子 大塔宮 護良親王は知られてますが、長慶天皇に関してはあまり知られてません。 阪本市場のはずれにある十二荘の森の存在、由来も知られていません。時代背景も含め まとめました。 「十二荘の森」へのリンク 伊勢講と秋葉講 明治以前、庶民が旅行などを楽しむことは無く、秘境と言われたこの地では娯楽を含め旅行などはありませんでした。 各地では宗教的色彩を帯びた「講」と言われるものを組織し、その寄り合いを楽しんだり、旅行に行ったりしました。 阪本市場の講とはどんなものだったのか~! 「伊勢講と秋葉講」へのリンク 明治の大水害 北海道に「新十津川村」があります。これは、明治の大水害により、生活が出来なくなり、移住したものです。 この凄まじい水害を小簾に住んで居られた方が書き留められた貴重な記録を中心にまとめました。 「明治の大水害」へのリンク 政吉祭 ゴールデンウィークの頭に、この祭が行なわれます。 この由来は結構知られているのですが、政吉さんのお墓の横に掲示されている説明内容と少し違うようです。 説明文は結構難解なこともあり、読まれる事は無いようですので、一度、表舞台に登場させ、認識を新にしていただければ幸いです。 「政吉祭」へのリンク 天辻隋道物語 昭和になって乗り合いバスが通るまで大塔の地は十津川を含め秘境の地でした。 明治以前は五條まで当然歩いて行くわけですが、そのルートはどんなものであったのか~。 交通の発展を妨げていた天辻峠。 そこにつくられたトンネルに秘められた話を交えながら昔の道を散策します。 「天辻隋道物語」へのリンク 歴史街道 小代 向阪本から小代へ通じる道は「西熊野街道」です。歴史的街道沿いにある小代も現在では歴史の彼方に追いやられ廃村になってます。 阪本の天神社は小代との共同の神社であったことから分かるように、阪本とは強いつながりがありました。 天神社周辺の山を寄進され、歴史的にも名を残された「増田家」の足跡をたどりながら、この小代と街道を思い出していただければ幸いです。 「歴史街道 小代」へのリンク |