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カテゴリ:歴史
結構大きな杉に囲まれ、いい雰囲気の祠。 廃村になった小代村の取り残された小代弁財天堂です。 いつ頃からあったのか知る術はありませんが、祠の中に置かれた修理札を見ると江戸時代の「天保四歳」との記述、西暦でいえば1833年、約200年ほど前に修理されたことになります。
上の写真は、拝殿から参拝道をみたもの。 杉葉に被われてますが、手前の方には石段があり、神秘的雰囲気に思わず心が奪われます。 弁財天は七福神の一つで、神社の祭神として祭られることがあるそうですが、小代の神社は阪本と共有の天神社ですので、弁天堂と呼ばれ、弁天さんとして親しまれたようです。 長老のお話では、野迫川今井、天川の弁財天とともに三大弁財天と呼ばれていたとのこと。 今井や天川は立派に残ってますが、西熊野街道沿いにあった小代村が、道の変遷とともに消えていったように、この弁天堂も移設されること無く、放置される運命になったようです。 この弁天堂のある地は、氏子代表として小代下の増谷さんの名前で登記されており、その増谷さんが、このまま放置していいのか悩まれ、どうしたものかと弘一長老に相談されたそうです。 弁財天と、それを収めている厨子がきちんと残っているのであれば、移設保存も考えようかと、今回、調べに行ったのですが、長い年月の放置でバラバラになっており、そのまま自然に任せることになりました。
弁財天堂の場所は向阪本から続く西熊野街道(地図上の黒い破線)を進み、小代道全寺跡を通り、少し行くと斜め上に行く小さい道があります。 この斜め上に上がって行く道が西熊野街道の第一ルートと言われる一番古い道で、斜め上に行かず直進し小代トンネル手前の芝崎谷に出るのが、その次に古い第二ルートと言われてます。 弁財天堂は、一番古い第一ルート沿いにあります。このルートの先はまだ歩いたことはありませんので、詳しいことは分かりませんが、弁財天堂の横を直登し、30分ほどすると横道になり唐笠の方に向かうようです(途中、道は崩落しているようですが、後日、チャレンジします)
祠の中に残されている修理札には「十津川谷瀬」の文言があり、吊橋で有名な谷瀬の大工により修理されたようです。 この大工さん達は、「谷瀬(たんぜ)大工」と呼ばれ、かなり有名な存在で、宮大工的な仕事もしていたようです。 弁財天堂のいいショットの写真を紹介してきましたが、拝殿も含めた全景が下の写真。 長い間放置され、荒れた状態になっていることが分かります。 でも、昔は堂の前に立派な屋敷が建っており、かなりなものだったようです。 餅撒きなども盛大に行なわれ、阪本の子供達も駆けつけたとのこと!
最後の写真は拝殿とその前横にある網目模様にからんだかずらです。 このような木が数本あり、からまれた木には気の毒ですが、美しい模様になってます。 これをうまく切りはがすと、いい置物になるのではないかと思いますが~!
先日、猿谷隋道出たところにある唐笠女滝(とがさめだき)、通称「小姫滝」の上の方の唐笠谷を歩いてきました。 川沿いに木場道らしい、いい道続いており、この道が上述の第一ルートと交わるらしいので、いづれ、道の解明をしたいと思ってます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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