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2012年03月30日
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カテゴリ:歴史

春の息吹に誘われ、取材を兼ねてウロウロしております。

昨日は天川方面へ弘法大師伝説を訪ねて天川弁財天などへ~。

その弁財天がある坪内の大崩落現場

こういうところは、だいたい、迂回路になるのですが、ここは、そのど真ん中を仮道路が造られ、崩落の凄さを体感出来ます。

割と低めの所からの大崩落でも、この凄さ~、自然災害の恐ろしさがヒシヒシと~!

少々逆光で見にくいですが~!

 

坪の内崩落

今日は吉野方面の取材、丹生川上神社下社吉野水分神社世尊寺など、これも弘法大師の道に関するものです。

あまり期待していなかった吉野水分神社、その凄さに茫然と~!

詳しくは、後日報告させていただきます。

城戸から20号線に入ったのですが、この辺一帯、サンシュユの黄色い花が満開

写真は紅色と白の梅とサンシュユの黄色が見事なコントラストを描いております。

 

サンシュユ

なぜ、この辺に、この木が多いのか知りませんが、何か役に立つからなんでしょうかね?

漢字で書くと「山茱萸」、これは漢名で、そのまま読んだのが「サンシュユ」。

「茱萸」とはグミという意味で、要約すれば「山グミ」になり、その名のとおり、秋にはグミのような赤い実をつけることから「アキサンゴ」などとも呼ばれています。

この実は漢方の材料になるそうで、成熟した実を熱湯に通し、半乾きにしてから果実を抑えて種子を抜き出し、日干しにします。

これを5~8グラム、0.3リットルの水加え、水が半分ぐらいになるまで煎じて、更に濾したものを服用するようです。

効用は、不妊、生理不順、強壮、インポテンツ、頻尿、老人性夜尿などらしい。

女性を卒業した皆さんには必要ないようですが、これからどんどん老いていく私にはヨダレが出るような効用。

漢方の「八味地黄丸」に多く含まれているようです。

この「サンシュユ」という名前を口遊むと、出てくる歌が~~

庭のさんしゅの木 鳴る鈴かけて ヨーホーホイ

鈴のなるときゃ 出ておじゃれヨ

鈴の鳴るときゃ 何と言うて出ましょ

これは宮崎県椎葉村の有名な「稗搗節」。

「サンシュの木」は残念ながら「サンシュユの木」とは全然関係無く、正しくは「山椒の木」のことで、この地方の方言で「山椒」のことを「サンシュ」と云うそうです。

この「稗搗節」、本来は「夜這い節」と言われるもので、臼と杵を女性と男性にみたて「臼の中には名所がござる 杵を揃えて 搗く名所 ホイホイ」などと唄われていました。

この夜這い節を全国的に広める為に、もっと健全なものにしようと、昭和の初期、「椎葉山由来記」という悲恋伝説をもとに歌詞を変えたのが、現在の稗搗節。

おまや平家の 公達(きんだち)ながれ ヨーホー ホイ

 おどま追討(ついと)の 那須の末ヨ

 那須の大八(だいはち) 鶴富(つるとみ)捨てて ヨーホー ホイ

鶴富と大八朗の悲恋物語」と言われるものです。

壇ノ浦の戦いで敗れた平家の落ち武者は宮崎の椎葉でひっそりと暮らしていたところ、那須与一宗高に追討命令が出、病気だった与一に代わり弟の大八朗宗久が向かいました。

しかし、質素に暮らしている平家一族をみて、同情したのか、討伐することをせず、源頼朝に、全て討伐したと嘘の報告し、椎葉のすばらしさに惚れた大三郎はそのまま、椎葉に住んで、平家の人達を助けながら暮らしました。

その内、鶴富という女性を好きになり、結ばれる。

歌の最初にある「鈴の鳴るときゃ 出ておじゃれヨ」というのは「山椒の木に括り付けた鈴を夜這いに行った時、鳴らすので、出ておいでよ」と大三郎が鶴富に言った言葉。

しかし、その幸せな生活も続かず、討伐に成功したのに、いつまでもそんなところに居る必要はないと鎌倉に呼び戻され、身籠った鶴富を置いて鎌倉に戻っていきました。

よくぞ、ここまで読んで下さった。

ここから今回の本題の野迫川村に伝わる鶴(富)姫伝説」。

鎌倉に戻った大八郎は、その後、熊野に左遷され、やるかたなき慕情を胸に秘めた鶴姫は何度も「水が峯」を越え、熊野に会いに行く。

 

鶴姫墓

 

鶴姫場所写真は野迫川村にある鶴姫公園の鶴姫のお墓

鶴姫は何度も通う内に、この地で倒れたとか~。

野迫川村の解説では鶴姫が一緒に行った鎌倉から何度も熊野に通ったとなっていますが、椎葉では、鶴姫を椎葉に残したままになっている。

当然、椎葉にもお墓らしいものが残っているとか~。

こういうところが、いかにも伝説らしいが、いづれにしても悲しいお話。

この野迫川村のお墓は竜神スカイラインの傍にある鶴姫公園の一番上の方にあります。

散策するにはいい所で、お墓の横には展望デッキがあり、四方の山々の眺望は素晴らしいものです。

鶴姫公園この公園には、少し小さめですが、風力発電も3機ほどあり、その景色もいいものです。

高野山などに行った時、少し足を延ばされ、しばし、鶴姫の想いに浸って下さい。

NHKの大河ドラマ、もひとつ人気が出ないようですが、野迫川村には平維盛などの平家伝説も残っており、このドラマが盛り上がり、野迫川村に少しでも注目が集まればいいと思いますが、弘法大師伝説同様、伝説が多過ぎて~。

花のお話で、ここまで持ってこれたのが不思議。

ブログを書いていると、色々勉強になります。

おやすみなさい!






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最終更新日  2012年03月31日 07時25分54秒
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