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2012年04月13日
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カテゴリ:歴史

昨日は今年最高の気温となり、我が室内でも24度ぐらいになりました。

桜前線もスピードアップしているようで、阪本ダム湖畔の桜も急に開き始めました。

 

4月13日

急激に気温が上がった昨日、我が兄貴が来るので、天川洞川の弘法大師関係の調査に行く予定をしておりましたが、中原のFさんから、お電話をいただき、椎茸狩りに来たら~とお誘いいただきました。

急遽予定変更し、長老もお誘いし、兄貴共々椎茸狩りをさせていただきました。

さすがFさん、椎茸園はかなり広く、しかも、すばらしい椎茸が豊作。

採るのに必死で、肝心の写真撮るのを忘れており、最後に、思い出したように撮影したのですが、いいアングルのものが無く全てボツ!

折角来たのだから、この辺で唯一残されている弘法大師伝説がある中原の奥にある不動明王さんに取材を兼ねて、お参りさせていただきました。

中原春樹写真は兄貴が撮影した取材中の私~!

視線の先にあるのが、弘法大師さまが岩盤に一夜で彫られた言われています不動明王様がおられます。

以前にも報告させていただきましたが、後日、報告させていただきます「信仰の道」で詳しく述べさせていただきます。

この祠の近くに中原の水源地があり、その掃除を兼ねて、Fさんも同行してくれました。

 

弘一福西さん

 

その道すがら、そのFさんがキョロキョロ~!

どうやら、「万年草」というものを探されているようです。

懐かしそうに話されたのは、「少年の頃、この万年草をいっぱい採り、籠に背負い、15キロほど先にある高野山に行くと、買ってもらえ、当時のお金で500円~1000円にもなり、そのお金で少年少女雑誌などを買い、日帰りで帰ってきたのが懐かしい」。

この持ち込んだ万年草に染料をかけ色付けして販売していたようだが、なぜ、そんなものが売られていたのかなど、詳しいことは覚えていないとのこと。

この万年草、山を歩くたびに注意してみているが、最近では、ほとんど見かけなくなったと淋しそうでした。

不動明王さんにお参りした帰路、ご利益なのか、数本だけ見つけられました。

 

万年苔

帰宅してから調べると、正式には「高野万年草(こうやまんねんぐさ)」というらしい。

「万年草」で調べると、出てくる写真は、いわゆる「多肉植物」といわれるものばかりで、写真のものとは全然違う。

「多肉植物」とは葉や茎に水を溜める為、その部分が厚くなっている植物で、少々環境が悪くても生き延びるので「万年草」と呼ばれる所以。

更に調べていくと、写真の「高野万年草」は、正確には「高野万年苔」と言われるだそうです。

苔と言っても、写真でもわかるように、10センチほどの茎を出し、羽状に枝を出すのが特徴で、あまり苔らしくない。

枯れたように茶色くなっても、水をかけると生き生きと緑色に蘇るので、万年苔と言われるようになりました。

高野山で、大々的に売られていたわけは~~

奥之院に弘法大師御廟があり、その昔、毎年、その周囲に万年草が降ってきたそうです。

その御廟の万年草は人の寿命を占うのに利用され、当時の女性達は干した万年草を手道具箱などに忍ばせておき、夫などが旅に出て、音信不通などになれば、この万年草を水に入れ、もし無事であれば、万年草は青々と息を吹き返すらしい。

こうして占いとして脚光を浴びていた万年草も、電話で安否確認出来る時代になり、その役目を終え、観賞用として売られるようになりました。

勿論、御廟の万年草では無く、高野山周辺から集められたものです。

中原のFさんが持ち込んだように~!

数本ほど束ねて、ゼンマイの根などの根株を軸として売られていたようで、観賞用として人気が出ると、更に、顔料の入った桶に漬け込み、青々と見えるように着色までされたようです。

この万年草も乱獲や植林などの影響もあり、中原同様、自然界では、ほとんど見かけることは無くなりましたが、屋上の緑化対策として、この「高野万年苔」が使われるようになり、アマゾンなどのインターネットでも販売されています。

この高野山の万年草が有名になったのは、先程の占いに利用されたのに加え、近松門左衛門の「高野山女人堂心中万年草」という浄瑠璃があった為です。

話せば長くなってしまいますので、簡単に紹介しますと~~

播州飾磨の久米之介が12歳の時、闘鶏がらみで揉め、友達を殺害。

本来なら切腹だが、温情で、出家することを条件に許され、高野山に入りました。

高野山の入り口にある神谷の宿の雑貨屋に、用事で行くようになり、そこのお梅という女性と恋仲に~。

そのお梅に縁談が持ち上がり、お梅は久米之介に連絡しようとしますが、そこは女人禁制の高野山、うまく連絡がとれません。

その時、たまたま故郷の播州から墓石を納めに来た人に久米之介が頼み、その人達にまぎれ、高野山を出て会いにいきました。

それを知った住職や播州の人達は、出家を目指すことを条件に許したのに、なんて事だと追いかけ、追い詰められた久米之介とお梅は女人堂で自害するというお話。

 

中原のFさんの想いで話から、高野万年草(苔)を知ることになり、それも弘法大師さんにからんでいるのだから、嬉しい限り。

ありがとうございました。

高野山霊宝館にもこのような事が紹介されているようですので、近々、訪ねてみます。






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最終更新日  2012年04月14日 10時41分22秒
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