すずかけの道
以前、高野発見の道について書きましたが、それに加え、信仰の道について書くといったまま放置していました。現在、ブログから役に立つ記事を抜き出し、加筆修正した小冊子をつくっています。その中に「すずかけの道」を書き加えましたので、そこからの抜粋ということで紹介させていただきます。抜粋ということで、少々文章がぎこちない感じになっています。それと、今回は真面目な記述ですので、ふざけた内容はありませんので、念の為に!すずかけの道「吉野高野信仰の道」とは、「すずかけの道」と言われている高野大峯街道です。この「すずかけの道」は、現在、県道53号線と言われるもので、高野山から野迫川を通り、大塔町、天川村洞川に続くものです。 昔の道は、この県道より左右にづれていたり、上の方を歩くルートでした。阪本周辺のそのルートは~ 天川広瀬付近から山の上の方に登り、塩野→塩谷→簾を通り、ここで川沿いに下り、阪本→古野瀬→宇井野→小代下へと続きます。小代下からは中原川沿いに進むのですが、この辺は急激な谷の為、再び登り、現在の中原開拓付近から中原に進みます。今井付近から川沿いに進み、「上」集落の先にある高野谷から再び急登で天狗木峠に至り高野山に向かいました。「上」から天狗木に向かう道は、「高野大峯歴史街道」として整備されています。以上のルートは上の図面の「すずかけの道(古道)」と書いているルートです。現在の県道53号線は載せていませんが、県道は天の川と中原川に沿っていますので、それを基準に古道の位置関係を理解して下さい。このコースを二日間で歩るくのですが、そのほぼ中間地点にあたるのが阪本、宿場として栄えました。写真は、ダムに沈む前の旅館「いずみや」。私の実家でもあります。玄関の奥に、タカばあちゃんが座っているのですが、少々暗くてわかりにくくて残念!阪本以外にも中原や広瀬などの街道沿いにも宿があったようです。このコース、広瀬までの天川区域は川沿いに歩くルートで、細い木橋を渡り歩く大変なコースだったようです。この木橋は、増水などで度々流される為、和田から天和山の方に上り、天和山手前の川瀬峠から尾根伝いに滝山→高野辻→唐笠山→行者山→小代→小代下→中原の尾根コースも利用されました上の図の「すずかけの道山越えコース」です。大塔の名所である大峯奥駆道を一望できる「高野辻」の名前の由来が、これで理解できます。又、行者山には岩場があり、そこには朽ちた祠も残っており、山の名前は、行者が修行したところから付けられたと思われます。祠の裏の方には麓につながる深い穴があると言われており、右の写真は、その穴を確認すべく覗き込んでいる長老。 この山越えコースは平地コースの整備が進むにつれ、段々使われなくなり、それとともに、道沿いの唐笠や小代という集落も消えていきました。。小代は、昔「小田井」とも言われ、五條から十津川に向かう西熊野街道と交差する要所でもありました。空海の名残このすずかけの道を空海も行き来したようで、それにまつわる話が色々伝わっています。天川村は洞川のある方面を「天川郷」と呼び、西側にある庵住、籠山、山西、広瀬、滝尾、塩野、塩谷を「三名七か村」とか「三名郷」と呼ばれていました。この「三名」という言葉の語源の一説に、弘法大師縁の名前が三か所あったところからきているというものがあります。籠山の覗き岩=大師が籠り、道場となったのが籠山,そこにあるのが覗(のぞき)岩白井谷の白井滝(紫流滝)=籠山の横にある白井谷の滝。 この谷には大人一人が横たえることが出来る岩があり、それを仏棚といい、大師が仏様を彫ったと伝えられています。広瀬の鏡岩=弘法大師が衣で岩を撫でると、鏡になり、修行でどれだけやつれたかを確認したそうです。この岩がどれなのか探してみましたが、分かりませんでした。広瀬には他の伝説も残っています。 川沿いにある弘法大師伝承の菩提樹。大師が地にさした杖が根付いて大きくなったと言われいるもの。写真は、その菩提樹。この伝承は各地でも残っており、広瀬の伝承では、この辺りの天の川の川音がやかましく、昼寝も出来ないので、大師が杖で地面を突いたら、静かな流れになり、逆に「音無しの淵」と呼ばれるようになったとさ!中原の磨崖仏中原から少し西の方に行ったところにある岩谷山の通称イノン谷と言われるところに、大師が一夜で仏を彫ろうとしたが、間に合わず、片足を彫り残したままになっている仏さんが残っています。私が覗き込んでいる奥の方の岩肌に、その仏様があります。片足ということで、足の病気の仏様といわれ、お参りされる人も多かったようです、でも、足の悪い方がここまで登ってくるのも大変だったと思います。右の写真の黒っぽいところが仏様です。昔の街道は、この辺りから先、ハッキリしなくなります。県道53号線の拡幅工事で削られてしまった為で、今井あたりから、53号線沿いに見え隠れします。 中原を通る街道の少し上の旧中原小学校の跡地に見事な「長寿桜」があります。街道を行き来する人達の安全を願い、見守ってくれた桜です。中原を過ぎ、野迫川村に入り、今井を過ぎ、柞原にあるのが野川弁財天。大師が高野大峯往来の時に泊まったと言われ、同じ境内にある妙音院の本尊、大弁財天女像は大師の手によるものだと伝えられています。このすずかけの道、現在でも山伏姿の修験者が時々通ります。山道では無く、53号線を歩く為、一日で歩けるようです。未明に出発し、阪本天神社境内で昼食、夜遅く到着するハードな1日コースになっているようです。昼食前、法螺貝を吹くので、来たことがわかります。