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今夜は夫がまたまた夜勤でいません。8時半に電気を消して子供たちを寝かしつけようと添い寝をしたのですが、いーちーじーかーんーたっても3人ともお目目がパッチリ。おいおい、一体どうしたんじゃい。
イライラしてきたので、いらいらするくらいなら、と“一時間一緒にいたから、お母さんはあっちのお部屋に戻って用事するね。子供たちだけでねんねしなさい”と言って部屋を出た。 もちろん三男は大泣き。ずーっとすごい声で泣き続けていた。長男があやしていたらしいが、顔中鼻水だらけになったので、居間に連れてきた。三男は顔が腫れるほど泣いていた。 可哀想だがここで折れるわけにはいかない。顔をふいてやり、寝室に戻すが、またしばらくして出てくる。ま、当然だろうと思い、また洟をふいて、今度は10分だけ一緒にいたげるから、と言って寝室に行く。 10分たっても誰も寝ない。もう10時半やで、どないしたんや。で、また出て行く。今度は次男も大泣き。そんなこんなで、やっぱり添い寝して、11時過ぎにやっと全員寝る。 私は添い寝が悪いとは思わない。が、ウチのように子供の年が離れていて、そうそう何年も添い寝してられへんなあと感じるなど、添い寝にイライラするのなら、やめたって害はないと思うようになった。 これは母子密着と育児障害という本を読んだことも大きい。大人と子供は違うんだということを示すために、子供の時間が終わったら、子供は寝に行くという規則を作るのも必要かと思う。 一人で寝かすのは淋しいかもしれないが、ウチは幸か不幸か三人兄弟、仲間がいるのだから、少しづつ慣らしていこうと思っている。 少しずつお母さんなしでも寝られるようにしようね、と言い聞かせながら寝かした。また、三男はのべつまくなし私の胸元に手を突っ込んでおっぱいをさわるのがクセなのだが、これも、最近はひっかいたり、力いっぱい引っ張ったりするので痛くてたまらない。 腹が立ってくるので、怒るくらいならやめさせようと、寝ながら手を突っ込もうとしてくるのをガードした。三男はわんわん泣いていた。 可哀想だけど・・・私ばかりが一方的に辛抱して言いなりになっている親子関係もおかしいと思う。三男には“おっぱい引っ張られたら痛いからいややねん”と言ってさわらせないようにした。 “子供へのまなざし”の著者の佐々木正美氏によれば、子供の要求はすべて満たしてやるべきだそうなので、私のやっていることは間違っていることになる。 でも私一人で3人の子供の要求をすべて満たしてやることなど、どだい無理な話だ。出来ないことは出来ない。 子供たちには、“お母さんは用事もせんなあかんから一緒に寝てあげることはでけへんけど、あんたたちのことは大好きやし、あんたたちが本当にやりたいと思ったことはやらせてあげられるようにしていくからね”と言った。 次男は“これからもずーっと一緒にねんねしてな”と私の話などまるで耳に入ってない様子だったが・・・。 ・・・ 私は別に“子供へのまなざし”に書かれてあることが間違っているとは思わない。著者の佐々木氏は児童精神科医で、不登校、援助交際等の“問題”を起こした子供たちの治療(カウンセリング)をされている。 そういう子供たちの声を聞く中で、“親はもっと子供を無条件に受け入れてあげて”という主張されるのは、とても理解できる。 また、この本自体が保育園の保母さんなどへの講演をまとめたものなので、つまり対象になっている家庭が“お母さんも働いている”=母子が一日中べったり一緒ではない、という場合を想定している場合が多いのではないかと思う。 母子密着~の場合も、はっきりと“専業主婦で一日中子供の世話をしているなら”添い寝は不要と書いてあった。 そして私は・・・母子密着~を読んで気がラクになった。子供の要求を全部受け入れないと、とへとへとになる必要はないのだ、とわかったからだ。これはただ単にこの本にそう書いてあった、というのではなく、この本の主張にハタと思い当たる部分があったからだ。 でもその一方で、“子供へのまなざし”を読むと心が安らぐ。しつけなきゃ、親がちゃんとやらな、とカリカリせんでも、子供ってただ可愛がってあげたらそれでええんやな~、とこれはこれでホッとするのだ。 ちょっと矛盾してるけど、でも、多分両方必要なんだろう。厳しさも、やさしさも。 昔は厳しさは学校の先生やお父さんの役目で、お母さんは優しさだけでよかった。それが現代は両方ともお母さんがやらないといけない(場合が多い)ように思う。それが現代の育児を難しくさせている原因ではないだろうか。 ・・・・ 小学生の頃、次郎物語という本が大好きだった。もう長いこと読んでないが、今でも好きだ。 主人公の次郎は母親とうまくいかない。その母親が結核で死ぬ前、赤ん坊の頃の次郎を育てたお浜という女性に、“子供ってただかわいがってやればいいのねえ・・・”と言う。 当時から母親とうまくいってなかった私は、このセリフがとても印象的だった。 ただかわいがって欲しかった。テストでええ点取ってきたからとか、親の言いつけを守って友達と遊ばなかったから(私は、友達とは蹴落とすものです、仲良くなるものではありませんといって育てられたのだ!)とか、そういうことではなくて、無条件に私をかわいがって欲しかった。 そのセリフを読んだとき、自分の子供はただかわいがってやる、と決意したのを今でも覚えている。 現実は・・・なかなかそうもいかないが、それでも私は子供たちに“あんたたちは、お母さんの子供だからかわいいんだよ”と、時々言う。そのときいつも次郎のことを思い出す。 息子たちに、どんな風にこの言葉が響いているのかはわからないけど・・・。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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