淀風庵の酒詩歌日記

2009/08/29(土)23:48

三島佑一先生講演「大大阪と谷崎潤一郎」

詩情俳趣(74)

 午後から府庁新別館北館のさいかくホールで「船場大阪を語る会」第152回例会に初めてゆく。  オダサク倶楽部のメンバーでもある四天王寺大学名誉教授・三島佑一さんが会長を務める会であるが、今日は先生自らが「大大阪と谷崎潤一郎」と題して講演された。  谷崎が関東大震災を逃れて大阪に来たのは昭和2年だが、当時は人口・面積とも日本一の大大阪時代、船場の御寮人(ごりょん)さんを見初めて『蘆刈』『春琴抄』『細雪』などの名作を生んだ。  本日は先生に挨拶して、サイン入りの著書『谷崎潤一郎と大阪』を買ったが、先生自身、船場道修町の薬種業の生まれで、谷崎の研究者である。講演の内容は大阪や芦屋を舞台とした作品に登場する女性と、谷崎の妻となる松子や周辺の実在の女性の関連性を興味深く語られた。  読んだことのある『春琴抄』『痴人の愛』『鍵』にしても谷崎の女性への異常な耽美、耽溺、崇拝ぶりには、何だこれと恐れ入るが、つい別の作品を読んでみたくなる魔性が潜んでいるのだ。  ただ、今日の話の中で気になったのは、谷崎が昭和7年の『私の見た大阪及び大阪人』において大阪文学の貧弱さを以下のように批判していることだ。  「もし大阪に一人でも立派な作家が住んでいたら、明治大正の間に『たけくらべ』や『すみだ川』に匹敵するような作品が一つや二つは生まれていたであろうに、それらしいものがないと云うのは、これだけの大都市の恥辱であると云っていい。 それにつけても凡ての作家が郷土を捨てて東京へ志すのは、大きく云えば、日本文学の損失であるとかんがえられる」と。  たしかに、江戸時代には西鶴、近松、上田秋成などの活躍があったにも関わらず、明治・大正時代に大阪を舞台に描いた大阪在住の大作家は見当たらないように思う。  三島先生は、この点、町人根性が強く文化意識が低かったと指摘されているが、演芸はともかく文芸に関しては今も変わらないようだ。  関西にある作家の記念館で行ったことのあるのが、直木三十五、川端康成、谷崎潤一郎、富士正晴、司馬遼太郎だが、あと田辺聖子の記念館の存在を知っているぐらいで、なんとも寂しい。  関西の作家の展覧会で参観したのも、司馬遼太郎、陳舜臣、田辺聖子といったところだ。  なお、なにわことばの中井さんとオダサク倶楽部の田中さんも聴講されていた。  今日、帰り道に天神橋筋で買った古本。今さらながら文学に飢えているかのごとし。   藤沢桓夫『私の大阪』、陳舜臣『青玉獅子香炉』、藤本義一『元禄流行作家 わが西鶴』、『昭和文学アルバム2』

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