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カテゴリ:本
今読んでいる本、北川 哲史 著 「江戸城案内仕る(将軍の朋友)」 江戸城に240人もいたといわれる坊主衆。家臣の介添えなくしては着替えすら出来なかったという大名が、江戸城で何かと頼りにしたのがお坊主衆と呼ばれた同朋衆。その坊主衆を束ねる同朋頭・藤田輝阿弥(ふじたきあや)の活躍を描く「江戸城案内仕る」シリーズ第2弾。
第1弾「将軍の朋友」では,4代将軍家綱の後継問題が舞台でした。京の宮家より将軍を招き己の権力の維持を図ろうとした大老・酒井忠清と、一度は決定した宮将軍の案を土壇場で覆し、綱吉を将軍に就かせた老中・堀田正俊の争いに巻き込まれた輝阿弥の活躍が描かれていました。 今回は綱吉の将軍就任により、酒井忠清は失脚。幕閣の中でただ一人綱吉を将軍に推した堀田正俊が権力を掌握し大老の座に就いたのだったが・・・。将軍親政にこだわる綱吉と従来どおり幕閣による政治体制を維持しようとする堀田正俊との間には微妙なズレが・・・。 この後歴史書によれば、時の大老(堀田正俊)が将軍御座所近くの部屋で、若年寄(稲葉正休)により刺し殺されるという大事件の発生を伝えていますが、筆者はこの刃傷事件と同朋頭・藤田輝阿弥を巧みにフィクションで結び付けている。 歴史書によれば、堀田正俊を刺し殺した稲葉正休は、居合わせた他の老中により滅多切りに遭い死んだことになっています。そもそも江戸城においては、脇差の濃口を切っただけでもその身は切腹、お家は断絶というのが定法。 稲葉正休を取り押さえればいいものを、どうしてを定法を犯してまでその場で殺さなければならなかったのか?本著はこの疑問にも輝阿弥を使って答えてくれています。 「江戸城案内仕る」・・・、輝阿弥は誰を江戸城のどこへ案内したのだろうか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年08月03日 12時48分08秒
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