カテゴリ:ひとり言
長かったシルバーウィークも23日の秋分の日で終わり、この国は連休中の大騒ぎがウソのように、また元の仕事モードに戻ったようです。私らが子どものころは、祝日ともなればどこの家でも玄関の軒先に「日の丸」の旗を掲げたものでしたが、この連休中に「日の丸」を掲揚してある家は、ほとんど目にすることが出来ませんでした。・・・時代が変わったのかなという思いを強くします。 さてその国旗と国歌ですが、私個人としては、国旗は「日の丸」であり、国歌は「君が代」だと思っているのですが、卒業式で教職員に国歌斉唱や国旗に向かっての起立を指示した校長の職務命令は、憲法違反(19条・思想・良心の自由)だとして、司法で争われたこともあったようですから、必ずしもそうではないという方もたくさんおられるのでしょう。 国旗掲揚時や国歌斉唱時に起立しない教職員は、「日の丸」は国旗ではなく、「君が代」は国歌ではないという信念を貫いておられるのだと想像しますが、では彼らは彼らが国歌であるという歌を斉唱するとしたら、国旗と認める旗を掲揚するとしたら、起立するのだろうか? どうもそうではないような気がしてなりません。 以前私は、アメリカのオレゴン州からの友好姉妹都市使節団が当地を訪れたときの歓迎式に参加したことがありました。当然会場には両国の国旗が並んで掲げてあり、式の最初には両国の国歌が斉唱されました。このとき私の両隣のアメリカ人は、二人とも驚くほどの大声で自国の国歌を最後まで歌いきり、歌い終わるや大きな拍手をしながら満足の表情を浮かべて、私の方を見て微笑んだのでした。 さあ、次は君たちの番だ、君たちの国歌を聞かせてくれと言わんばかりの様子に、私はいささか戸惑いました。・・・あんな大声で歌えないぞと。 散々迷ったのでしたが、いつもよりは大きめな声を出したような気もしますが、依然としてか細い声で君が代を恥ずかしげに歌った私に、今度は彼らが驚きと戸惑いの表情を浮かべたのはいうまでもありません。 その後の懇親の時間には、ただただ自国の国歌を真摯に斉唱できなかったことを見抜かれたのではないかという思いが頭を占めて、彼らといったい何を話し、何をしゃべったのか、まったく記憶にありません。 国旗、国歌の問題が論じられるとき、いつもこの時の気まずい思いが自責の念とともに思い出されるのです。しかしよくよく考えてみると、私のこのほろ苦い経験ですが、この問題の解決の糸口にならないでもないような気がしてきますが、皆さんはどのようにお感じになられましたでしょうか。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年11月25日 12時31分04秒
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