カテゴリ:本
今読んでいる本。浅田次郎 著 「五郎治殿御始末」。 時は幕末維新の激動期、武門の矜持にこだわりつつも時代の趨勢に抗じきれず、刀を置き髻を切らねばならなかった侍、とりわけ下級武士の葛藤を描かせたらおそらく浅田の右に出る者はいないだろう。 題名になっている「五郎治殿御始末」は、明治の御代になって元桑名藩上士岩井家の末裔が、孫に語り聞かせた己が祖父・岩井五郎治の話。 「わしは丁度お前が歳のころ、死に損のうたことがある」と語り出したその話とは・・・。
幕末の京で会津藩とともに薩長に抗ったがために、朝廷に弓引く逆賊の汚名を着せられ攻め立てられた桑名藩。桑名城を開城し北越柏崎に拠って新政府に抗おうとした藩主の後を追った五郎治の息子はすでに亡く、岩井の家を残さんとする五郎治は、幼い孫をつれ孫の母方の縁を頼って尾張に赴こうとする。 わしは子供ながらに爺様(五郎治)が腹を切るだろうことがわかった。その前に薩長に組した憎き尾張に土下座して孫の命を託そうとしているのだと、祖父は語るのであった。 桑名から船で熱田湊の宮宿まで渡ったものの、そこで路銀が費えてしまった二人には、ただ行くあてもなく街道のはずれの立ち枯れたすすきの原に彷徨いこむ。 「お爺様、このあたりでようございます」 「気丈なやつめ。わしもじきに参るでの。先を急がず待っておれ。よいな」 五郎治が脇差を握った手に力を入れようとしたその刹那、まぼろしのごとく響いた名古屋訛りの叫び声。 「待って頂戴すばせ。何をしやぁすば」 「だちかんぜえも、岩井様」 名古屋訛りの語り主は、その昔岩井家と親交があった宮宿で旅籠を営む尾張屋忠兵衛。 わしは命を拾うた。わしはの、あれから侍であることを忘れて、尾張屋に奉公した。学校にも行かせてもろうた。 一方、あの晩から数日してようとして姿をくらました五郎治であったが・・・。 時は流れ、明治も10年の西郷征伐の年。一人の軍人が尾張屋の門口に立つ。 その軍人の口から告げられたこととは?はたして五郎治は己にいかなる始末をつけたというのであろか? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年02月12日 16時47分16秒
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