カテゴリ:蕎麦屋さん
本日の日経最終面文化欄、「早大生と歩んだソバ屋 憩いの場・三朝庵112年の歴史にひっそり幕」の見出しに目がとまりました。 所用で東京へ出かけることがあるときには必ず一軒でも老舗のそば屋さんに寄るのを常としてきた私ですが、三朝庵さんのことはこの日経の記事を読むまで知りませんでした。 三朝庵さんについて調べてみると、 卵とじカツ丼やカレー南蛮の発祥の店とありました。もともとはそば屋さんであったものが、早稲田の学生の利便のことも考えて、いわゆる大衆食堂のメニューも扱うようになったのでしょう。 そういえば、私が初めて「ざるそば」なる食べ物を口にしたのも町の大衆食堂でした。 ・・・残念ですね。そんなことなら一度でも立ち寄っておくのだった。 店主の加藤峯子さんによれば、この店に嫁いで60年。その間この店の常連となったひいきの著名人数知れずとあります。 「人生劇場」で知られる文豪尾崎士郎は、三朝庵の二階の座敷を自分の家みたいにしてものを書き、宇野千代とデートを重ねていたとか。当時幼かった加藤さんの息子さんを膝の上に乗せてよく面倒をみてくれたそうです。ただ、息子さんに酒ををなめさせるのには閉口したと。 そば屋の2階でデートとは、いかにも大正ロマンの香りがしますね。大正ロマンは鰹節のだしの臭いがするってところか? 井伏鱒二はいつもざるそばとカレー南蛮を注文したのだが、カレー南蛮は麺がでろんでろんに伸びきるまで手を付けなかったと。加藤さんはそんな食べ方が嫌いで、井伏のことを今でもはっきり覚えていると。 ほぉ~、してみれば井伏は猫舌だったのかな。(笑! 竹下登、小渕恵三といった多くの政治家を輩出した早稲田の雄弁会についても言及しておられます。2階の座敷はまるで雄弁会の部室のようであったと。 最期に加藤さんは、「早稲田の入り口にある店にいつまでもシャッターを下ろしておくわけにはいかない。三朝庵復活の夢は息子に託したい」と書いておられます。 息子さんの手によって三朝庵さんが復活した暁には、ぜひその歴史と由緒ある暖簾をくぐりたいものだと思います。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018年08月29日 11時50分08秒
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