カテゴリ:遊遊漢字学が楽しみ♪
毎週日曜日のお楽しみ、漢字学者阿辻哲次氏の日経連載「遊遊漢字学」。 今週阿辻先生が取り上げた漢字は「画餅」でした。 今日では、「画餅」を「ガベイ」と耳で聞くと、その意がすぐに頭に浮かぶ人は少ないのではないか? 「えっ、ガビョウ(画鋲)? 」などと、二度・三度聞き直すことになるかもしれませんね。(笑! しかし、「絵に画いた餅」といえば、大概の人ならすぐにわかろうというもの。比較的よく使われることばといえましょう。 我われが普段日常でよく使う「絵に画いた餅」の由来が、古の中国の三国時代、魏の文帝の発したことばにまで遡るとは、まったく知識の外でした。 「選挙莫取有名 名如画地作餅 不可啖也」 「(人材を)選び挙ぐるに名有るを取る莫(なか)れ。 名は地に画きて餅を作すがごとし。啖(くら)うべからず」 文帝は優秀な人材を集めるにあたって、このように言ったと。 ・・・なるほど。私もこういうことばを発してみたいものですな。(笑! ところで「餅」といえば、我々は日本人ですから正月に雑煮にして食べる「もち」のことだと、誰もが承知していますが、古代の中国では「餅は小麦粉をこねて蒸した、今でいうところの蒸しパンのようなもの」であったと阿辻先生はおっしゃっておられます。 漢字の読み書きこそ小学校の時の書き取りテストよりこの方苦手としている私でありますが、パンか餅かというようなことになれば、これは粉食と粒食の文化の違いということになりますから、常日ごろ小麦粉やそば粉を扱う者としては、黙って見過ごすわけにはまいりません。 古の中国三国時代に魏が支配したのは、黄河より北の中国北方の華北と呼ばれる地域。この地域は今でもそうですが乾燥した地域で、米作りには適しません。米作りに適した地域は、温暖で雨量の多い長江より南の地域になりますが、この辺りは当時蜀が支配していた。 したがって、魏では主食が小麦であったと想像されます。ご存じのように麦は粉に挽いて、パンや麺にして食べますね。一方わが国がそうであるように米は普通粉に挽くというようなことはしません。粒のまま煮たり炊いたりして食べます。 もし「画餅」を口にしたのが魏の文帝でなく、蜀の劉備玄徳であったとしたなら、「餅」は蒸しパンやビスケットではなく、文字通り「もち」であったろうと思うのです。 阿辻先生、いかがでしょう。 にほんブログ村 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2020年12月24日 11時43分43秒
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