カテゴリ:ひとり言
昨日NHKの「映像の世紀」を見ました。 途中から見たのですが、辛亥革命以降の中国から現代までのかの国の変遷が、数々のドキュメンタリーフィルムによって語られていました。 20世紀に入ってからの歴史ですから、孫文、蒋介石、毛沢東、周恩来、劉少奇、趙紫陽、鄧小平、江青(毛沢東夫人)、王光美(劉少奇夫人)といったかの国の近代史を動かした人物の映像が生々しく出て来る。 中でもひときわ目を見張ったのは、劉少奇の失脚の経緯と天安門事件。 毛沢東が主導した大躍進政策、とりわけ工業の近代化のために実施した鉄鋼増産計画。確かに計画としては悪くはなかったろうけれど、手段が前近代的といえるほどに稚拙だった。粘土で釜を築いて鉄を溶かして鋼鉄を造るという「土法高炉」を人民に強いた。また農村ではソ連のコルホーズに習い、人民公社を設立し集団農法を導入した。これにより、鉄鋼と農産物の生産が飛躍的に伸びるはずだったが。 確かに毛沢東の下には2倍3倍の計画を達成したという数字は届いたが、実際は使いようのない品質の悪い鉄鋼と、計画の半分にも満たない穀物の収穫。 それを覆い隠すように実施されたのが文化大革命。紅衛兵が毛沢東語録を片手に掲げ、文化人や知識人を徹底して罵り、糾弾した。その矛先は、「毛沢東のやったことは7割は正しかったかもしれないが、3割は間違っていた」と言った劉少奇とその妻王光美にも向けられた。その紅衛兵を主導したのは江青であったと。江青は、容姿端麗で英語・フランス語を流暢に操り、劉少奇の外交通訳として華々しく活躍をする王光美に嫉妬したのだとも。 ちなみに日本ではアメリカのことを漢字で「米国」と表記しますが、中国では「美国」と書く。この「美国」の「美」は王光美の名前からとったのだと。 毛沢東が病死し、大躍進政策の失敗と文化大革命によって大混乱に見舞われた大国の舵を取ったのは、かって自由化を標榜した趙紫陽とともに失脚したはずの鄧小平。 鄧小平は「先に豊かになったものが、貧しい人を助ければいい」と、かの国の舵を大きく右に切った。趙紫陽の名誉は復権し、若者を中心に自由ということばの意味を知った人々は、こぞって天安門広場に集った。その数30万人とも、40万人とも。 鄧小平はその押しかけた人民の姿に、かの毛沢東語録を掲げる狂った嵐のような紅衛兵の姿を思い浮かべたのだという。そして舵は再び大きく左へ切られた。 我われはこれを「天安門事件」として承知していますが、中国では「天安門事件」は存在しないというのですから驚きですね。 そしてさらに驚いたことが一つ。あの有名な戦車の前に立ちはだかる若者の映像。 この映像は「若者が戦車を止めたことを映しているのではなく、戦車が若者を轢かなかったことこそ意味があるのだ」という、天安門広場を制圧した人民解放軍高官が発したというコメント。 この映像の前後には、逃げ遅れた学生を警官が取り囲み警棒で暴打している映像が流され、この後天安門は軍によって完全に制圧されていて、かの若者が入って来る余地などまったくなかったはず。あの若者はどこからどうやって、再び広場に入ることができたのかと。かの若者の行方はその後ようとして知れないままであるとも。 正規のスクープともいわれるかの映像が、人民解放軍によるプロパガンダであるとしたら、これは驚き以外の何物でもありませんね。・・・そこまでやるのかと。 見ごたえのある「映像の世紀」でした。 にほんブログ村 FC2ブログランキング 人気ブログランキング PINGOO! ノンジャンル お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2021年08月24日 05時13分11秒
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