カテゴリ:教育&子育て
3月の『別れ』の涙を流さなくなって何年になるだろう??
最後の現場をやめたのが『ねんど途中』だったので、4年くらいなるのだろう。 保育園や学校と言う職場は「子供の成長」が嬉しくて、そのエネルギーを貰いながら仕事をしていた気がする。 自分が関わった子どもはいとおしく情もあってなかな離れがたい。 嬉しいはずの成長が『卒業』と言う言葉で悲しい別れになる。 1ヶ月もたたない内に新しい出会いがあるのに。 『卒業』していく子供たちとの別れは仕方がないが、まだその時期を迎えない子供たちとの別れはとても辛い。 『卒業』まで見届けたいと思うのは保育士や教師のエゴだろうか? 一人の人間が大人になっていく過程でより多くの人(大人)と出会うことは良いことだと思うが、かと言って毎年毎年教育現場での『親』が変わって良いものか疑問に思うのは私だけだろうか? 私の尊敬する『園長』=『私立保育園』の言葉に、 保育園での保育士は家庭での親と同じであるから、毎年『担任』を変わるというのは可笑しいと思う。 0歳児を担任したら、その、年度児が卒園するまで『責任』をもって、担任を続ける=いわゆる『持ち上がり』をするのがほんらいと思う。 発達過程でのつまずきやその時の保育のあり方を集団で見直し、一人一人に合った保育を展開して卒園=入学を皆で喜び合う保育。 これこそが「0歳から5歳までの一貫保育」だと思う。 私は子の話を直接聞いたとき『目からうろこ』状態だったことを覚えています。 「一貫保育」こそが、保育の真髄ではないだろうか。と思っています。 『親』は「この子と気が合わないようだからこの子の親を誰かに代わってもらいたい」と例え思ってもそんなことが出来ないわけです。 しかし、保育士や教師は「自己都合」と言う聞こえの良い言葉を残し子どもの保育や教育を平気で放棄するのです。 4年前の私自身がそうだった(悔) 親は自分の子育てを『失敗』だったと思ってもその時は子供自身随分と成長して、子育てのしなおしなんてできないのです。 保育士や教師は『反省』して次年度への教訓にすれば良いのですから。 親や子どもは『保育士や教師』を選べない。 だから、保育士や教師は「パーフェクト」を目指して欲しい! 「パーフェクト」でなくていいのです。 目指して欲しいのです。 目指して努力をしていれば子どもは必ず応えてくれます。 保護者も必ずわかってくれます。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
|
|