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2017.06.18
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カテゴリ:日記
キーツの墓はローマ郊外のプロテスタントの墓地にありますが、墓石には「ジョン・キーツ」の名前はありません。その代りに、
「その名を水に書かれし者、ここに眠る (Here lies one whoes name was writ in water)」
の文字が刻まれています。

「水に書かれた文字」なんて、透き通った水が揺れている光景姿が想像され、さすがロマン派の大詩人キーツらしい、なんて思うのですが、
これは彼のオリジナルでなく、
ボーモント&フレッチャーの悲喜劇「フィラスター、愛は血の中にあり」の中にある「そなたのしたことはすべて、水に書かれた文字なのだ」という台詞からの借用だということです。
しかし、その言葉を選んだのはキーツですよね。
墓に刻まれたその言葉はとても美しいのですが、内容は悲痛です。
「水に書かれた」というのは「水に書いた文字のように、自分の名前は残らない。何も残さなかった」という意味です。もし他人がこんなことを自主的に刻んだとしたら、それはひどい話です。
実際には、キーツの死後、彼の名前は水に消えるどころか、その名声は広がりました。今では、大理石に刻まれた名前よりも確かな存在で、詩の歴史の中で一段と大きく輝き、その詩は私達の心を打ちます。

ジョン・キーツが亡くなったのはわずか二十五歳。彼の詩は新聞で発表されたり、詩集もありましたが、そのたびに、ひどく非難されました。ですから、彼の死後、大詩人として世に知られるようになるなんて、本人も、親しい友達も思ってもみなかったのでしょう。
キーツから墓石のことを頼まれたのは、画家のジョセフ・セヴァーン(1793-1879)という友人で、イギリスからキーツとともにローマにやってきて、死ぬまで看病をした人です。

キーツはバイロンやシェリ―のように名門でも、金持ちでもありません。
キーツの父親は厩舎(下宿屋?)を経営していたのですが、キーツが八歳の時、町中での落馬事故で亡くなり、そのために、母は再婚、離婚、そして彼が十四の時に結核で死亡。特にかわいがっていた弟も、結核で亡くなっています。
彼は奉公に出され、一度は医者の助手の道へ進もうとしますが、バイロンの「貴公子はハロルドの巡礼」に魅了され、詩人になろうとします。詩人として生きたのはわずか五年、いつも貧乏と病気に苦しめられ、「死」はいつもそばにありました。
そんな人生でしたが、友人には恵まれていたようです。セヴァーンは父親と大反対されながらも、キーツと一緒に、ナポリに、そしてローマに来たのでした。
セヴァーンは墓石にその言葉を刻むにあたって、そんなことを書いたらキーツに申し訳がないと思ったのでしょう、墓には説明をつけ加えました。
         
黄色い線の中が、キーツが頼んだ言葉で、それは墓石の下部に刻まれています。
上には、もっと大きく、「若き英国の詩人」と刻まれ、
「死の床で、悪意のある敵の力に心を痛めながら、この言葉を墓石に刻んでほしいと切望した」と続いています。「悪意ある敵の力」について説明しましょう。
彼の詩が執拗に叩かれたのは、詩がのこうのというのではなく、政治的な問題でした。出版元のリー・ハントという十一歳年上の詩人は、超リベラル派で、投獄もされたことのある人でした。それで、保守派はその出版物を執拗に嫌い、そして、キーツの詩を辛辣に、非難し続けたのです。

後年、セヴァーンは余計なことを刻んでしまったと後悔したそうです。
確かに、墓石に、キーツが望んだ言葉だけが刻まれていたなら、それはもっとセンスのあるものでした。
しかし、今、それを見ると、キーツがひとりで死んだのではないこと。そこに友情があったとわかって、なんかほっとします。

下はキーツの墓です。

左の竪琴が刻まれているのかキーツの墓です。竪琴の糸が半分しか張られておらず、それは人生途上で亡くなったことを語っています。
その隣りがジョゼフ・セヴァーンの墓で、パレットに筆がたくさん描かれています。それは、その後、彼は画家として成功したからでしょう。セヴァーンの墓石には、自分の名前の上に、「キーツ」の名前が刻まれています。
セヴァーンは看病をしたのに結核は移らず、八十五歳まで長生きしました。真ん中の小さな墓は、幼くして亡くなったセヴァーンの子供のものてす。

セヴァーンはキーツの肖像を何枚も描いています。

1816年のデッサン


1819年、
キーツって小柄で、152cmくらいだったそうです。



1821年、「死んでいくキーツ」
彼は「死」に関する詩をいくつも書いています。
中には、死に憧れた詩もあるし、「死んではいけない」という詩もあります。
短い人生だったけれど、子供の時からずうっと死を意識して生きてきた人。
疲れたんだろうね、おやすみなさい、ってこの顔を見て思います。

下の二枚はキーツが死んでから描いたものです。

1821-23年、
キーツはこんなふうにして本を読んでいたのでしょう。大詩人でも、読書の時には、頭に手をやるのですね。


「ナイチンゲールを聴くキーツ」、1845年。
描かれている場所は、ロンドン市の北にあるハムステッド・ヒース、
丘陵が多く、原生林が残っており、現在は市内から地下鉄、バス、などで簡単に行けます。
ハムステッド・ヒースで、キーツはハンツの知り合いのビジネスマンのチャールズ・ブラウンの家に居候します。家の隣りにはファニー・ブローンが住んでおり、ふたりは愛し合うようになり婚約しますが、結婚はできませんでした。ここで、1818年からの二年間、彼はたくさんの美しい詩を作りました。

彼の住んでいた家は再現され、「キーツハウス」として公開されています。でも、毎日公開されているわけではないので、出かける時には確認が必要です。念のため。






最終更新日  2022.01.28 00:26:49
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