1656529 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

頭の中はロープウェイ!

頭の中はロープウェイ!

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

Profile

Ropewayfan

Ropewayfan

Calendar

Rakuten Card

Favorite Blog

まだ登録されていません

Comments

Ropewayfan@ Re[1]:河口湖ロープウェイの古いリーフレット(02/19) タイムさんへ コメントありがとうございま…
タイム@ Re:河口湖ロープウェイの古いリーフレット(02/19) 天上閣グリルの情報ありがとうございます…
Ropewayfan@ Re[1]:冬のロープウェイまつり 第1弾(12/07) 中谷浩之さんへ ご無沙汰しております。最…
中谷浩之@ Re:冬のロープウェイまつり 第1弾(12/07) 私が2018年に買った千光寺山ロープウェイ…
中谷博之@ Re[2]:春の索道旅回想1 16年ぶりの六甲有馬ロープウェー(04/06) 話が伝わっていないです。六甲有馬の後に…

Freepage List

Headline News

2008.12.11
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
 昨日久しぶりに神保町の古本屋街へ行って古い絵葉書を一枚入手しました。これは伊勢にあった二見浦旅客索道で昭和7年に開業したロープウェイなんです。戦前作られたロープウェイは10ケ所ぐらいしかないのですが、これはその1つになります。3線交走式で20人乗りだったそうです。今みるとゴンドラのデザインが角張っていて窓も小さくとても閉鎖的な感じがします。個人的にはやっぱり昭和30年代の丸みのあるデザインのゴンドラの方が好きですね。でもこの絵葉書で見ると伊勢湾を見渡せてさぞゴキゲンなロープウェイだったのではないでしょうか?残念ながら戦前のロープウェイのほとんどが戦争時に不急不要とされ取り壊されてしまったんです。そしてこの二見浦のロープウェイは戦後になっても復活されませんでした。戦前のロープウェイもやっぱり乗務員がガイドをしていたのでしょうかねえ?セリフが五七調だったりして。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2008.12.11 21:29:29
コメント(2) | コメントを書く


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ

利用規約に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、こちらをご確認ください。


Re:二見浦旅客索道/戦前あったロープウェイ(12/11)   フェルナンデス さん
一時期、故郷二見が浦の歴史を勉強したことがありますが、このロープウェイの運営会社の記事には誤りがあると思っています。一つには音無山の名称由来、二つ目は音無山の位置です。音無山の名称は『倭姫命世紀』という江戸時代に書かれた偽書と言われているものからの引用を根拠にしていますが、引用部分は倭姫命が佐味姫と出会った場面のことで音無山という言葉は確か倭姫の口から発せられていないと記憶しています。二つ目に関しては、音無山と呼ばれる山は二見浦にもありますが、鎌倉時代にはもうそれがどの山であるか分からなくなっているという記述が坂十仏(あるいは坂士仏)の紀行記に書かれています。また、音無山という名は各地にあるらしく、その名の由来は「こだまが返ってこない山」ということだそうです。ちなみに私は現在音無山と言われている山は、本来「佐味山」と呼ばれていたと考えています。また、そのふもとを流れて海へ注いでいる川も鮫川ではなく佐味川であると思います。参考までに。 (2018.10.08 23:10:41)

Re[1]:二見浦旅客索道/戦前あったロープウェイ(12/11)   Ropewayfan さん
フェルナンデスさんへ
いろいろと参考になりました。ありがとうございます!
(2018.10.12 09:32:27)


© Rakuten Group, Inc.