9/27 神戸で行われる中学校の同窓会に参加するため、前日(9/26)京都で友と待ち合わせて「新島襄旧邸」を見学!
新島旧邸は 2013年NHK大河ドラマ「八重の桜」の放映に伴い特別公開中に付き、
事前の予約が必要だったので、友と三人で申し込みました
青々と茂る木々に囲まれた京都御所。
その敷地を横目に寺町通を北へと歩いていくと、途中に武家屋敷を思わせる立派な門構えが目に入ります。
門の向こうにあるのは、これまた大きな和風建築...ではなく、バルコニーを備えた白と茶のモダンな洋風の建物です。
新島旧邸は、同志社の創立者である新島襄(にいじま・じょう)と、その妻である八重が暮らした家「新島旧邸」です。
台所
当時京都の民家で一般的だった土間形式ではなく、床板の上に流しやかまどを置き、現代の住宅とほぼ変わらない
近代的な台所です。また井戸も室内にあり外へ水くみに行く必要のない合理的な造りになっています
食堂
台所と食堂の間にハッチ式の配膳棚を付けたのも当時の住宅としてはモダンでした
茶室
新島の死後八重は一階洋間を改造して「寂中庵」を作りました。
この茶室は会津出身の八重が新島の死後に洋風の生活から純和風の生活へと回帰していったことを物語ります
書斎
壁一面に書棚があり8割が洋書、でした
同志社の学生は図書館のように利用していたといわれます
応接間
玄関右の18畳ほどの洋間。
教室、職員室、会議室、大学設立募金事務室、教会の集会室など多目的に使われていました
女紅場跡の大きな門は・・・
現在は京都府立鴨沂高等学校( おうきこうとうがっこう)の校門として利用されているそうで1872年日本最古の
旧制高等女学校として創立した京一女(京都一女)を前身とする伝統校。
卒業生の中には山本富士子さんがいらっしゃるそうです
和に洋を取り入れた建築様式で暖炉(セントラルヒーティング)がされていたり、日本では初期の洋式トイレを
使われていたようで新島襄と八重が新婚当初から暮らした様子が偲ばれました
昨日(9/29)の「八重の桜」では新島旧邸でのお話だったので大変参考になりました!