カテゴリ:読書
家庭問題を抱え別居状態の我が家族、別居から2ヶ月ちょっと経過した。
だから、家族とは何かを考えるために、ブックオフでこの本を手に取り、パラパラとめくり、半ば期待せずに購入した。 「家族という病:幻冬舎新書 下重暁子」 結論から言うと、私が求めている事柄はほとんど書かれていなかった。 求めていたのは夫婦関係と子供との絆を考えることであったが..... ゆえに、第2章までは我慢して読んだが、第3章を流し読みし、第4章は読んでいない。 著者の下重暁子氏は、結婚しているが女性として自立し、夫婦関係はつれあいとの共同生活という割り切った考えの持ち主のようだ。 テレビによく出て来る田嶋陽子氏をおっとりさせた感じなのかな? 子供もいない。それは彼女が仕事と私生活を重視した結果で、彼女自身が選んだものだ。 太平洋戦争時代に疎開していたというから、私の父親よりちょっと上の世代だ。 よって、この本は家族や子育てで悩む方向きではなく、親が亡くなっていく世代に対し、家族のあり方を問うものだ。 但し、一つだけ納得したのは「夫婦は他人であり決して分かり合えるものではない、そして夫婦(家族)生活そのものがストレスだ」ということだ。 自分とは何かということすら分からないのに、他人であるパートナーのことなど完全に理解出来る訳がないし、理解し合える訳がない(努力はするが他人なんだから限界がある)。 理解しようとするから諍いによりストレスが生まれる。 だが、夫婦(家族)関係を否定するものではない。 そのあり方を見直すべきではないかということだ。 私に当てはめれば、子供たちのために元鞘に戻った場合、妻とのストレスのある生活を送ることが自分にとって本当に良い生き方なのかということだ。 自分を犠牲にして子供たちのためだと考える生き方がどうなのかということなのだ。 このことはこれまでずっと考えて来たが、心の揺れ動きにより定まっていない命題だ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.04.22 13:37:14
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