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リバーサイド

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相寄る魂

  青春のよはひはすぎて秋ふかくこの恋ごころかりそめならず
 きち女は「相寄る魂」という言葉が好きだった、と親友矢島けいが書いている。すぐさま晩年の道ならぬ恋と関連付けたくなるが、実はきち女はその恋の始まる前からこの言葉を登場させていた。けいに宛てた手紙に「相寄る魂っていゝ言葉だね」と書いたのは昭和十年、恋が始まる前年である。この相寄る魂の出所は、つぎやんという友人がもっていた生田春月の小説の題名だという。

 その小説『相寄る魂』だが、三年の歳月をかけてようやく完成した(大正十二年、きち女が十歳の頃)三巻もの長編と知って、私ははなから読むのをあきらめてしまった。どうやら、ついには心中に至る純愛物語のようだ。それに主要人物の厭世ぶりは生半(なまなか)ではなさそう。きち女は恋愛ものが好きで、厭世家、そして読書好きだったから、身近な友達がこの一昔前の人気小説を持っていたとすれば、それを借用して長さなどものともせずに読了していたかもしれない。

 ちょっと調べただけでも、春月の小説以外に、書籍、日本映画、洋画、芝居等々、タイトルに「相寄る魂」のついたものがけっこうある。見た限りいずれも春月の小説の初版より後のものだ。

 そんななかに(あらすじを読んだだけだが)これまたきち女が興味をしめしそうなアメリカ映画があった。原題はEver in My Heart。これを『相寄る魂』と訳した人は、やはり春月の小説のタイトルが頭にあったのだろうか。
 片方がドイツ出身というだけで周囲から憎まれなけれならなかった男女の、愛するがゆえの悲劇で、結末はやはり死。無理心中だという。
 制作は1933年(昭和八年)で、日本での公開年は不明。きち女が生きていた昭和13年ころまでを考えると、時局がら―アメリカはまだ開戦していないが日本は日中戦争のさなか―この映画は彼女が観るどころか、当時はまだ日本に上陸すらしていなかったのではないだろうか。

 評論家亀井勝一郎の『人生論集』(大和書房 昭和四十二年)のなかに<相寄る魂について>という一文がある。読んでみて、次のくだりで思わず知らず肯いてしまった。

夫婦として長い生活を続け、それぞれに仕事で苦労したり、或る場合は浮気を起したり、貧乏したり、様々の曲折を経た後、やがてごく素直にそれを回顧し、「お互いに苦労かけたなあ」などと言いあうその状態を、私は「相寄る魂」と言いたいのです。言わば病める魂の抱擁を意味しているわけで…。

 きち女と密かに恋愛関係にあった男性の、きち女亡きあとの歳月をふと想像していることがある。そのたびに形の曖昧な旧い屋敷が浮かび、家の中にはきち女のことで傷つけ傷つけられた夫婦がいて、冷たくて暗い空気が流れているばかりだった。それが、そうとばかりは限らないのだということに、いま気づかされたのである。夫婦は時間とともに縒りを戻していき、いつしか亀井のいうように”相寄る魂”状態になり、知らぬ間に”偕老同穴”となっていたということだってありうるのだ。想像するだけでなんだかホッとする。

  ここで、きち女の<男性に宛てた遺書>をあらためて見てみよう。 

生きるならきっぱりと 生きなければいけないものを、所詮、生まれついた厭離の念から抜けがたい命は、何の創造もありえないでせう、あなたのためにこれまで生きたいのちでこそあれ、あなたのために死ぬのではないことは幾度もくりかえした通りです、単純な定見から決してご自分をお責めにならぬやう お悔ひになることのあらぬやう祈つてやみません、
      島本融編著 『塔影詩社蔵 江口きち資料集成』(不二出版) 

 きち女の自殺には、道ならぬ恋の前途を悲観してとか、男性を愛するがゆえに家族のもとへ返すため自分を犠牲にしたのだとか、男性がらみの推測がいくつかある。一方、恋愛云々は自殺決行の時期には作用しただろうが死の原因ではない、きち女の自殺は遺書にある通りもともとの厭世からだと言い切る人もいる。真相は本人のみぞ知るで、永遠の謎である。そうではあるけれども、私の気持はいまようやく遺書を額面通りに受け取るほうに傾きはじめている。理由のひとつは、想像する男性とその妻の”相寄る魂”状態や”偕老同穴”がより現実味を帯びてくるからだ。

  小説『相寄る魂』を書いた生田春月が、<孤独の結末>と題して、こんな言葉をのこしている。

どんな孤独者でも、その孤独の重みに堪へられなくなる時が来る。そのときは、彼は恋愛するかも知れぬ。自殺するかも知れぬ。ことによると、卑しいゴシップメーカーの中に入つて、ゴシップを楽しむかも知れぬ。恐らく、孤独の対症療法としては、この最後の方法が、最も賢明なものであらう。 
               阿呆理詰(Aphorismen)より 

 春月もやはり恋愛と自殺を連関させてはいない。追い詰められた孤独者の選択肢として並列させている。
 実は春月自身が孤独な厭世家だった。不倫を重ね、しかしそれに心から癒されるということはなく、三十八歳のときに播磨灘に身を投げている。つまり彼は、三つの選択肢のうち”最も賢明なもの”を選ばず、あとの二つを選んだのだった。
 彼女もまた春月同様、”最も賢明なもの”を外したことになる。それは、当然かもしれない。厭世家は、だいたいが自身のゴシップにも傷つきやすいゴシップ恐怖症なのだから。

 こうしてみると、貧乏、家庭不和、疎外感などでこの上なく孤独だったきち女が、自分の店の客だった村の紳士でインテリでおまけに十八も年上の頼もしい男性に恋心を抱いてしまったのも、自然のなりゆきだったのだ。男が心を動かし向き合ってくれたので、きち女はどんなにか相寄る魂を実感したことだろう。しかしそれさえも彼女の厭世観を破壊する力にはならなかったのだ。
 
 さて、きち女の好きだった言葉「相寄る魂」から、生田春月にも少しふれてきたが、ここに、きち女の師・河井酔茗が登場すると、だんだんにさかのぼって石川啄木のところまでたどり着けることがわかった。
           


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