別府 【十九】
さ よ な ら、 別 府 ふたたび防波堤へ三泊四日の旅の最後の朝。ホテルのチェックアウトまでの時間を、私はもう一度、防波堤のほうに歩いてみることにした。もしハマさんにあえたら、昨日のお礼を言おう。おかげで、うみたまごや高崎山で楽しい時間を過ごすことができました、と。もしかしたら、テトラポットに住んでいるというクロという猫に、あえるかもしれない。昨日の日曜、白い帆がいくつも広げられて、とてもまぶしかったヨットの溜り場は、今朝はもう、眠っているように静まり返っていた。平日の朝のせいだろう。何かに、高崎山は別府湾を引き締める役目を果たしている、と書いてあったが、画家の梅原龍三郎は、この風景をこよなく愛し、「高崎山」という絵をのこしているという。輪郭が単純で、絵に描けば、これほど簡単な山はないだろう、と素人目には思えてくる。それだけに、この山は私の眼にもいつの間にか親しくなっているのだった。しかし、もう、今朝でみおさめである。 ハマさんの影法師昨日の道を防波堤まで行くと、テトラポットに向かって猫の名を呼んでみた。やはり、よそ者の私を警戒するのか、何の気配もない。そろそろホテルにもどろうとしたとき、なんとハマさんが影法師と一緒にやってきた。自転車の前と後ろに釣り道具一式をくくりつけている。うみたまごと高崎山はいったかと、ハマさんのほうから、訊いてきた。このハマさんに出会わなかったら、私はうみたまごにも高崎山にも行かなかった。いや、そのまえに、観光客のあまり流れてこない、この防波堤へ続く道へ折れてこなかったら、ハマさんと会うことはなかった。いやいやその前に、ホテルで、海に面した部屋がとれていたら、私はおそらく、そこからぼんやり海を眺めていただけだろう。そうして、それに満足して、別府の旅は終わりだったろう。別府にくるまでは、別府は私の頭の中では、海と温泉の街というイメージしかなかった。しかし、実際は、人口十二万の多様な貌をもった都市である。私が見ることのできたのは、そのごくごく一部分でしかない。でも、これからは、別府という文字を眼にしただけで、別府にいろんな興味が湧くことだろう。訪れることができなかった名所旧跡、見ることができなかった有名無名のたくさんのものへ。 別府紀行 おわり