ヒヨドリにかげぜん
ヒヨドリが巣立ってから、そろそろ一月になります。巣立ってからしばらくは、親鳥が雛を引き連れて、日に何度も庭にやってきて、にぎやかで楽しい光景を見せてくれました。それが、行動範囲がひろくなり、まだクチバシが黄色くてもなんとかエサがさがせるようになったのでしょう、だんだん庭にやってくる回数が減り、やってきても、一羽だったり二羽だったり。どの子がどの子だかまったくわからないので、そのつど、ほかの子は無事かしら、と心配になるのでした。数日前、雛だけでしたが、四羽がそろってやってきたときは、それはうれしかったです。目頭が熱くなりました。それにしても雛の成長の早いこと、驚くばかりです。そしてまた、いや、前よりもさらにヒヨドリのやってくる回数がすくなくなり、ついに途絶えてしまいました。(野鳥大好きさんのご推察のとおりでした)鳴き声も、あたりからはほとんど聞こえてこなくなりました。これでいいんだ、これが自然なのだと自分にいいきかせながらも、さみしいものです。夫はけさも、新しいジュースとブドウをチーちゃんの形見の器に満たしてフジの枝にかけました。わたしには、それは今はもう、ヒヨドリ一家の無事を祈る「かげぜん」のように見えてなりません。 夏の暑い暑いさなかを命がけでがんばったお母さん。せめて、おまえだけでも、またうちの庭にもどってきてね。私たちは、おまえをチーちゃんと思っているのだから…。ヒヨドリが抱卵しはじめたころ、私は、近所の猫好きな人たちに、「ヒヨドリが無事に巣立つまで、もしかしたら猫ちゃんを追い払う私の大きな声が聞こえるかもしれませんが、決して虐待しているのではないので、心配しないでくださいね」と冗談交じりに断っておきました。 さいわいというか、不思議というか、それ以来、近所の放し飼いの猫ちゃんたちは一度も我が家の塀の上に姿を現しませんでした。きっと、それとなく協力してくださっていたのだと思います。その協力者の一人(70代の女性)に道で、お礼をのべたところ、彼女は「ああそれはよかったよかった、あ、ちょっとまって」、と返事もそこそこに家の中に飛び込み、両手にかわいいものを揺らしながら出てきました。そして、わたしに「これ、トイレででも使ってね」それはタオル地の手ぬぐいで作った、その方お手製のお手ふきでした。「ふたつもですか!?」ヒヨドリのことで感謝している私のほうが…、とうれしいやら、申し訳ないやら。 かわいくてもったいなくて、それに、あのヒヨドリたちに無関係ともおもえなくて、飾っておくことにしました