さくらカンパニー 

平和と祈りの賛美

 昨日は頭痛と高血圧による体調不良で 早くから休みさんびに参加できませんでした ”主に呼ばれなかったんだろうか 何か意味があるのだろうか”と考えながらも あまりのつらさに休んでおりました ”今日こそは”と祈りながらも また痛みがやって来ましたが 鎮痛剤を飲みながらもとても行きたくて集会へと向かいました 

 久しぶりの平和と祈りのさんびの集会でしたが 悲しいかな 私は自分のことの祈りで精一杯でした いつも揺れ動いていて肉に弱い自分が見えているからです なかなか自分を変えることが出来ません 平和を祈る余裕もありませんでした でも こんな自分をそれでも愛してくださる主の愛に触れるたびに 何かが始まる 新しくされる何かを感じ 喜びがわきます

 久しぶりに太鼓に触れて賛美しましたが ふしぎなことに 私の太鼓が軽くなってきています 静岡のリトリートで 新しい太鼓の風のような響きに触れてから私の太鼓は変わりました すごく軽くなったんです さんびに自由が与えられて さんびにゆだねて太鼓の響きを感じることができるようになりました(練習もしてないのでタダの自己満足かもしれませんが)

 技術は全く進歩してないし 楽譜も覚えていないのに さんびの中で一つに溶け 叩いているのは私なのに 私の指でないように流れるように勝手に動き出し さんびの言葉が迫り 喜びがわく とっても不思議な感触です  でも 時々われに帰って自分で叩こうとするとずれたりするのがわかります それでもさんびにゆだねると へたくそなのに どんどん軽くなってさんびと融合するような たいこの全てを使って指が一緒に賛美しているような 不思議な間隔です 喜びがわいてきます ”何事にもとらわれるな”と教えられたような気がしました
 
 肉にゆれて 肉にほだされて 肉に苦しんで 見えなくなっている私の目を 体を 主は開放してくださった 神様の前で 人間は全く自由が認められている 何の束縛もない それでも私は主だけをこの神様だけを信じる そしてあなたにすべてをゆだねます そんな気持ちが湧いてくる 

 主に出会って1年 見えなかった十字架がいつも感じられます この十字架のイエス様でないと 私は救われない 帰りの車の中で 喜びの賛美で胸が熱くなりました 本当にこんな私を愛してくださっているんだ 私には想像もつかない大きな愛で   主よありがとうございます 
 


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