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岐阜市。そこは昔、若き日の父が、農林省試験研究所から派遣されて働いた事のあるところである。 そんな事で何時か訪ねて見たいと思っていた。 何年も前、地球環境(「地球温暖化」といっても人々はピンと来ない頃だった)に係わる仕事を手伝っていた時、岐阜を訪れる機会に恵まれた。 JR岐阜駅に降り立った時、何となく父の面影が走ったのを覚えている。駅は思ったより小さかった。 仕事が予想外に早く終わり、駅の観光案内所で蚕で由緒あるところは無いか聞いてみた。聞いて訪れたのが「蚕の寺」として有名だという「美江寺」だった。 由来について何の知識もなく突然行ったので、若い日の父も訪れた事がだろうかと思いながら、お寺の周りを歩いただけで帰った。 ところが、今日の日本経済新聞の「文化」欄に、「美江寺」の由来が書かれており、嬉しく読んだ。 きもの研究家、松岡美沙氏の「衣の歴史紡ぐ全国行脚」と題した散文の中の一部に書かれている。 以下、「美江寺」に係わる所を抜粋して紹介したい。 岐阜市内の「蚕の寺」の美江寺には興味深い由来がある。奈良時代の美濃ではしばしば木曽川、長良川が氾濫して桑畑が水害にあいそのため養蚕が不作で、絹織物の献上が滞った。 女帝である元正天皇は、絹織物への関心が高かったのだろう。重臣の長屋王に命じて、水害から守るための勅願所を建立。そこに伊賀国の伊賀寺から十一面観音を移した。 この勅願所こそ美江寺で、名前には「川の水美しかれ」との願いが込められている。 松岡未紗氏は、数年前「余命五年」という重い病気にかかってから、「何かを残したい」として、衣服にまつわる歴を調べて、全国を行脚されているという。それから五年以上活躍されている。 「まだ、九州が残っている。衣の神様、両親、友人達の守られたお蔭様の私の一人旅は、まだまだ続く事になりそうだ」と、この散文を締めくくっている。 何かを成し遂げたいとする人の、生命力の強さを感じる。 ー感謝ー お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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