2008/10/25(土)02:31
芸術の秋8 「佐伯祐三展」
今日は、この間まで大阪市立美術館で開催されていた
「佐伯祐三展」について。
佐伯祐三「広告貼り」
この展覧会、本当はもっと早く感想を書こうと
思っていましたが・・・
kuro♪さんと一緒に、
楽しく、かつ丁寧に鑑賞しすぎて(笑)
感じたことの多さに、
すぐにはUPすることができませんでした。
でも、そろそろ、書いておかなきゃ、
その時の気持ちを忘れちゃうよ、ってことで、
いつも以上に、まとまりはございませんが
今日あたり、UPしておこうと思います。
*
この展覧会は、
佐伯祐三さんが30年という短い人生の間に
描いた作品、約110点を展示していました。
佐伯祐三
今回展示されている作品の中には
これまでに観たことのある作品も割とありましたが、
ここまで年代を追って、
彼の作品を丁寧に展示した展覧会は
初めてでしたので、
なかなか興味深く鑑賞させて頂きました。
*
私、以前より彼の絵が好きでした。
彼の、ごつごつとした職人気質?の「無骨」な絵が、
こだわり&ポリシーゼロの私と
正反対に感じられて、
すごく惹かれてしまうのです。
彼の絵からは、彼の執念や信念が、
あふれ出ているように思うのです。
*
しかし、こうやって年代を追って
彼の作品を追ってみると、
画風が、途中、色々と揺れていたことが
よく分かりました。
特に初期の作品には、
まだまだ「執念さ」は感じられず
試行錯誤、模写などを繰り返しながら
進むべき道を画策していたのがよく分かりました。
彼の絵から、魅力が溢れ出すのは、
自分の作品に自信を持ち出した、
第1次パリ時代後半(1925年頃)からですね。
全身全霊で絵を描いていたというのが
ガンガン伝わってきます。
よく言われることですが、
まさに「命を削って絵を描いていた」・・・です。
ここで印象的なカラーは、
深く吸い込まれそうな濃緑とレンガ色
多くの作品に、これらの色が使われていました。
きれいでした。
*
1926年に彼は、いったん日本に帰国し、
日本の風景を描きます。
ご本人も言われていたように、私も
彼の画風と、日本の風景は
合っていないように感じました。
絵が、風景よりも
「力」を持っているのです。
どんなに抑えめに描いても
絵が余ってきて、
絵からすごく「窮屈さ」を感じました。
また、私は、この時代の絵にたくさん描かれた
「電柱」がすごく印象に残りました。
描かれたこの電柱は、
上に上に、外に外に伸びていきたかった気持ちを
表していたのか、
或いは、
電柱を描くことで、物が囲まれることになり、
それが、彼の「閉そく感」を表していたのだろうか・・・
などと勝手に!想像しています(笑)
彼は、当時の(田舎の)日本とは画風が合いませんでしたが、
今の時代の、混沌とした日本(都会に限る)なら
どうだろうか・・・
私は、魅力的な絵を描いてくれそうな気がしています。
*
1927年に、再びパリに戻った彼は、
これぞ「佐伯祐三の真骨頂」と言われる作品を、
お亡くなりになる1928年まで次々と
生み出されます。
その絵からは、その前の帰国時代に描かれていた
「窮屈」さは、全く感じられず
絵をどうやったらよく見せられるだろう
これにもあれにも挑戦してみようといった、
作家の挑戦心が感じられました。
また、私は、この時代の彼が意識的に「黄色」を使って
絵を描いていたように感じました。
(それまでには、あまり使っていないように思うんです)
最晩年に描かれた「黄色いレストラン」は
もちろんのこと、
上に貼り付けている本の表紙になっている
「ロシアの少女」のバックも黄色ですし、
「カフェ・タバ」という絵の屋根?も黄色。
「黄色」って私の勝手なイメージなんですけど、
「元気」「輝き」「希望」
って感じがするのです。
(キリスト教では、黄色は嫌われているみたいですけど)
こういった「パワー」のある色を持ってくるって
その時の佐伯祐三さんは、精神的にすごく乗っていたか、
あるいは、体調を崩した自分自身を鼓舞する為に
あえて使用したのかなって
これまた、電柱に引き続き、
勝手に想像しています(笑)
*
結局、3時間近くも鑑賞していた私たち。
気がつけば、閉館間際になっていて、
常設展を駆け足で見る羽目になってしまいました(笑)
kuro♪さんに色々と解説してもらいながらの
鑑賞でしたので、勉強にもなりました。
ありがとう