697058 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

さくらママの日記

さくらママの日記

我が家のお姫さま

我が家のお姫さま さくらちゃん

出産1週間前までチャリンコに乗って仕事バリバリやったママ。7年ぶりの出産にはかなり不安やったなぁ…。母親学級なんか忙しくって行ってないし、妊婦友達もおらへん。お産ってどんなんやったっけ…って感じでした。産休に入って、リース会社から運ばれたベビーベッドを「ヒマやし~いっちょやってみるか」と組み立てたものの、ここに赤ちゃんが寝るんやぁ~って実感なかったなぁ。家族が1人増えるってどんな感じなんやろ。自分のお母さんも、姑さんも、もう死んでおらへん。自分らだけで頑張らな!あ~あ、家におるんは苦痛。退屈。外に行きたい。まだ仕事行けるかも…って思ってた。今日もお産ないなぁ~と毎日が長く感じてた。

4月28日、「今日は何しよう、天気ええし、布団干してシーツ洗お。掃除しよ」と決め、外で布団干して掃除機かけてる時、歩かれへんほどの痛み。今日産まれるんか?やっぱりそうや、これって陣痛。シャワーしとこ。旦那に電話したらすぐ帰ってきた。夕方、病院に行ったら入院。いよいよや!これから1週間、純平兄ちゃん留守番大丈夫かなぁ。痛くて長い夜を過ごし、翌朝病院に来たパパと純平。陣痛の間は純平兄ちゃんもママの手を握り、頑張れ~って応援してくれてた。ママが「いだい~っ!」って叫ぶこんな姿は小学生の純平にはキツイんちゃうか~?と思いながらも陣痛に耐えたママ。パパの立ち会い出産。掃除機みたいな「便所のスッポン」みたいな物に吸い出され、無事さくらちゃん誕生!チャリンコ乗りまわしてたから、へその緒が、首とたすきがけと2重巻き。よう出てこれたなぁ、アンタほんまに。名前の由来は鹿児島出身なもんで、「桜島」のさくら。男の子やったら「薩摩隼人」の「はやと」やったよ。

退院してからもハチャメチャ。へその緒が取れたけどウンチまみれやったから水道で洗ってた…ら、流してもうた(涙)。パパに「なぁなぁ、あのさ~、へその緒っている?」って聞いたら「当たり前じゃ、どないしてん?」「流してもうた」「何やってんねん、あほやな~」と、パパは排水管を分解。無事さくらのへその緒が見つかりました!はずかし~(;^_^A

さくらが生まれて2ヶ月だけ育児休暇。夜は授乳で寝られへん、オッパイは出えへん、さくらは泣くし、7年ぶりの育児にとまどいながらの長い長い2ヶ月。はよ仕事復帰したい…と、しばらくはベビーカーで事務所に連れて行ってました。バンビがあるのは知ってたけど、保育料がどれくらいなのかが一番心配でした。だって、マンションの保証金を分割で毎月5万円づつ家賃に上乗せして払ってたから。いろいろ悩んだ末に、バンビに入所することを決意!

私の職場の人は、バンビができた当初のことをよく知っていて、バンビの昔の事をいろいろ教えてくれます。「昔、バンビはB2丁目のポリボックスがあるあたりにあってね、弁護士のWさんの姉さんでM中学校のY先生が自分の子どもを預けたいってことで作ったんよ。Y先生はバンビのために文化住宅を2部屋借りて、1室をバンビに貸してくれてたの。2部屋借りたのは、赤ちゃんは泣くでしょ、近所への気配り。I町のSさんの家でやったこともあったのよ」と。バンビの歴史って長いのね~。もう40年近くになるんかな?公立保育所だって、その頃のお母さんたちが「ポストの数ほど保育所を!」って署名集めて港区にも数カ所できたもんね。昔のお母さんってパワフルやしスゴイよねぇ。

7月22日、生後3ヶ月弱からバンビにお世話になり、今までママの職場でばぁさん達に抱き癖をつけられてたさくらは、泣いていても抱っこされるとピタッと泣きやんでました。抱っこコールで先生たちも大変やったやろうなぁ~と思ってました。さくらは、しょっちゅうママの仕事で夜の会議にも同席してたし、まわりに大人がいっぱいおるもんやからおしゃべりも一丁前。ホンマようしゃべります(笑)。

バンビでは生活のリズムを作ってくれ、あちこち散歩に連れて行ってもらったり、夏は昼の沐浴のおかげで汗疹知らず。入所した時は、KくんやYくんに次いで一番ちっちゃくって、みんなに「姫」のようにかわいがってもらって幸せでした。その後、同じくらいの月齢のSくんが入所。仲良しのふたりは赤ちゃん語で語りあっていたようです。Tくんも入所してきて、さくらはちょっとだけお姉ちゃんになったような…。

ただ寝ているだけやったさくらが、うつ伏せで首を持ち上げたり、飛行機ブ~ンをしたり、声を出して笑ったり、寝返り、ハイハイ、つかまり立ち…と、短い間にこんなに成長したんやなぁ~とあらためて実感。パチパチ拍手とか、おつむてんてんとか、おなかポンポンとか、いただきます・ごちそうさまとか、芸も覚えました。チュッチュ(おしゃぶり)だけは相変わらずまだ離せないようで自分で探し口に入れてるケド。ご飯だって、なかなかうまく飲み込まれへんかったり、たくさん食べへんかったりしたけど、さくらなりの量を食べ、今では上手に飲み込めるようにもなった。もし、ママが仕事をしていなくて家にいたとしても、バンビで食べさせてもらっているような手の込んだ食事はなかなかできへんと思うなぁ。一人ひとり、その時の状態にあわせて作ってくれた給食には本当に感謝しています。

ミルクを飲む量が少なかったり、離乳食もあんまり食べなかったりしても、「それがさくらの量」と安心させてくれたり、オムツ替えを嫌がって暴れて四苦八苦、「どうやったらちゃんと替えさせてくれるの~?」って思っていたら、バンビでも同じみたいで「アンパンマンの歌を歌ったらじっとしてるよ」とイイコトを教えてくれました。

純平兄ちゃんと違って病気も、ようしてくれました(涙)。喘息にRSウイルスで入院。その後、ロタにアデノ、中耳炎、挙げ句の果てには熱性けいれん。ひきつけた時には、もうどうしょうかと思った…。うろたえてしまって救急車を呼ぶ番号119番さえわからへん。2度の入院生活はママは病院にずっとつきっきり。純平兄ちゃんは先に仕事に行くパパを見送ってから、時間になったら自分でカギを閉めて学校に行っていました。本当に、家ではパパと純平兄ちゃんが一生懸命頑張ってくれました。

純平兄ちゃんは、さくらにはメロメロで、さくらが何をやっても怒らへん。「抱っこしたるわ」とさくらのヨダレでベトベトにされながらも、パチパチ顔を叩かれながらもニコニコしています。純平が言うには「さくらは何やってもカワイイ」やって。年が離れると兄妹もこんな風なんや~と自分の姉妹との関係と比べてみたり。でも、実は、純平兄ちゃんもちょっと寂しい思いをしてたみたいで、「あ~あ、さくらにママ取られたなぁ~」と言ったことも…。

最近、ハイハイをするようになって、行動範囲も広がり、心配も増えました。ちょっと目を離すと、パパのおやつ(鈴カステラ)を口と両手に持ってムシャムシャ。またちょっと目を離すとティッシュやおしりナップを全部箱から出してる…。背もたれを持って椅子の上に立ってみたり、たたんだ洗濯物の上をハイハイしてグチャグチャにしたり。「またこんな事して!」と怒りたいのをグッと抑えて、「こんな事ができるようになったの~スゴイね~!」なんてほめたりして…。育児って我慢と発想の転換が必要なんよね…。

人と会うたびに、「お父さん似?お母さん似?」と聞かれる。パパの知り合いは「お父さんに似てなくて良かったねぇ~」と言い、ママの知り合いは「パパ似やねぇ~」という。いったいどっちやねん!でも、この気の強さは、間違いなくママだ!さくらよ、強い女になれ!…でもやっぱ女の子はカワイイ方がいいのかな?パパは会社で「気の強い女は考えもんやで」と言っていたらしいから…。

バンビに入って、ホンマ、いろんな経験させてもうたなぁ。父母会なんて、初めての経験。入って2回目くらいの父母会で役交代。え~ナント私が父母会長に!ま、こんな機会もめったとないし、いっちょやってみるか…。職場では、年配の人とはよく話をするけど、子育て中のお母さんとの交流ってないし、すごく新鮮やった。父母会でみんなで決めてみんなで実行していく、なんて民主的なんやろう。チョコ販売、バザー、年末の物品販売。みんな協力して頑張ったよねぇ。対区交渉も、あんなにいっぱい来るとは思わんかった。バンビ共同保育所の運営の大変さ、みんなのバンビ入所までのいきさつ、公立に入りたくっても入れなかったこと、家庭での実態など、参加者がそれぞれの口で発言したのには涙が出そうやった。行政の冷たさを実感したし、子どもらのために、みんなで手をつないでいかなアカンって思った。バンビが私らにいろんな事を気付かせてくれて、子どもだけじゃなくって私らも育ててくれたんやって思う。

短い期間やったけど、すごく濃い時間やった。この濃い時間を共有したお友だちや父母の人々、先生たち。この関係をずっとこのまま持って育っていきたい。昔、冊子にもなったけど「バンビはつづくよ どこまでも」です。いつまでも、みんな元気でね。また会お!絶対やで!


© Rakuten Group, Inc.