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2019.01.04
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カテゴリ:カテゴリ未分類
平成30年 12月29日(土)
11月より体調を崩していた母ですが、とうとう力尽きました。
94歳 大往生だったと思います。

28日は私達の問いかけに少し反応があったものの、
人口呼吸器でどうにか命を繋いでいる状態でした。
29日は問いかけにも一切反応がなく、人口呼吸器から送られる酸素で
無理矢理呼吸をしているようでした。

朝から長男に連絡するも中々つながらず、やっと連絡がとれたものの
博多から京都まではかなりの時間がかかります。
母には、長男が帰ってくるまでもう少し、もう少しだけ頑張って、と言い続けました。

モニターの数値が悪くなると警告音が鳴ります。
恐怖を感じるとても嫌な音です。
同じ音を何度も聞いている内に、この程度の数値ならまだ大丈夫なんだと
勝手に解釈して、少し安堵したり、また音が鳴るとビクッと慌てふためいたり。

娘と次男と私の三人が代わる代わる母の手を握り、
冷たくなった頬をさすり頭を撫で声を掛け励まし続けました。
母が呼吸をするタイミングに合わせるように私も呼吸をしているようでした。

午後2時19分、モニターの動きが停止しました。
一瞬の出来事でした。
生まれて初めて、人の呼吸が止まる瞬間をみました。

孫に会うために必死で頑張っていた母。
祖母に会うために息を切らして廊下を走ってきた長男。
あと20分早く着いていれば、そんな僅かな時間でした。

幸い私は母の人生の半分以上を同じ屋根の下で過ごすことができました。
喧嘩をしながらも、ほんの少しの親孝行は出来ていたのかなと思います。
でも、まだまだ足りなかったなあとも思います。
ごめんね。許してね。









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最終更新日  2019.01.26 06:45:35
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