2004/10/01(金)14:41
父親という存在
おととい旅行から帰ってきた。
そして昨日の夕方、
元夫は自分の夏の予定を色々見て行くうちに
実家に帰るのは今週しかないということで、
子供たちを連れて、12時間のドライブに旅立った。
文句はない。
私も1週間たっぷり楽しませてもらったし、
元夫だって、子供たちとずっと過ごす権利はある筈だ。
というか、子供たちのためにも
ダディとの時間は大切なもの。
旅先で、友人一家の姿を見るにつけ、
私の子供たちは、こんな風に
両親と一緒に旅行に行くという事は、
もうあり得ないんだなあ、と
今更ながら思った。
友人夫は、私が今までに直接であった中でも
本当に素晴らしいお父さんである。
いつも子供が何を欲しているのか、
何を求めているのかを頭において行動している。
私の子供たちも彼が大好きだ。
子供の歯磨きは彼の仕事だ。
丁寧にわが子の歯を磨き続けている間、
ずっと何かの創作話をしている。
私の息子たちはその話を聞くのが大好きで、
食事が終わると、彼に、
「はやくBの歯を磨いてあげて」と頼み、
話の間中、そのかたわらでへばりついて聞いている。
洞窟に入った時も、
長男は彼の側を離れなかった。
いつも歩きながら、長男にいろいろな話をしてくれるからだ。
ちなみにこの友人夫は長男のピアノの先生でもあるのだ。
この友人夫は、大学院で音楽を専攻していた。
今はエンジニアだが、何人かの子供たちにピアノも教えている。
うちも教えてもらう事になっていたが、
私の家庭の事情などが激変したので、
そのまま忘れていた。
でも長男がピアノを習いたいなあ、と言い出した時、
そのうちL(友人夫)に頼もうね、ママがちゃんとお仕事見つけてからね、
などと言ってごまかした。
ピアノのレッスンは安くない。
うちにはたまたまピアノはあるが、
私には教える事はできない。
ある日、この友人夫婦と話をした時に、
「そういえばM(長男)のピアノはどうなった?
誰か教えているのか?」と聞かれたので、
「うーん、今はまだ。もう少し先でもいいかなと思って。」
と答えたら「本人は?弾きたがっているの?」
と聞かれ、「本人はね。興味あるみたいだけど」
その時は急いでいたので、そのまま別れた。
後日、友人妻から電話があり、
「夫がね、Mくんにピアノを教えたいって。
お金はいらないって。どう?」
と聞かれ、返答に困った。
そうはいっても、そういう行為においそれと甘えるわけにはいかないのだ。
だからといって、月に100ドルの出費はいたい。
言葉を濁していると、彼女は続けた。
「夫はね、自分から習いたいっていうような子供が、
家庭の事情で習えないなんてイヤだっていうのよ。
それにうちの子供はひとりっこで、週に1回お友達が
遊びにきてくれたらすごく喜ぶと思うの。
私たちにとっても、有り難い話なんだけど。」
結局週に1回、教えてもらう事になった。
まったくタダというわけにも行かないので、
私が払える時にできるだけ払うようにしている。
息子はめきめき上達した。
毎日いわれなくても3回はピアノに向かっている。
長男の影響で次男まで見よう見まねで弾いている。
最近はこの次男もスケールや簡単な曲を教えてもらっているのだ。
私の息子たちにも父親はいる。
週に1-2回は会っている。それでもやはり家にいるといないとでは違うのだろう。別居し始めた最初の頃は、ダディが恋しくて泣いてた事もある。
母親と父親というのは何となく接し方が違う。
言葉に表すのはとても難しいが、
母親が日々の事を手取り足取り(もしくは口やかましく・笑)教えるのに対して、父親は人生をすごすうえでの知恵を授けたり、行動する事で子供たちに何かを伝えていく役割を持っているような気がする。
私の子供たちは残念ながら、時間にして
ダディと過ごす時間はとても短い。
でもその短い時間の中で、いろいろな事を学んで来る。
ダディは彼らのヒーローのような存在だ。
実際にはダディは彼らとの時間をいつも、必ずしも優先させているわけではないのが悲しい現実ではあるけれど、子供たちにはヒーローのままでいさせてあげたい。
そして、子供たちは、自分の父親以外にも、
たとえばこの友人夫や、元夫の兄たち、たくさんの教会の男性、
そして自分のおともだちの父親などを
見て接して過ごしている。
実の父親との時間が足りない分、
彼らが補ってくれているような気がして仕方がない。
こういう父親に囲まれて過ごして、
その中から自分たちなりに父親像というものを作り上げ、
やがて自分たちが父親となる日のために、
いい選択を身につけて行って欲しいと思う。