シングル母のアメリカ暮らし

2004/07/17(土)12:52

もう一人の母

コドモの話、親の話(60)

今日した事と言えば、 朝起きて、ご飯食べて (朝起きた時にご飯ができてんのよっっ) 毛染めをしながら楽天やって、 シャワーあびて、 ちょっと仕事して、 ランチ食べて、 プールで泳いで、 買い物行って、 夕飯食べて、 またプール。 はああ、お気楽だ。 では今日はお義母さんの話をしよう。 彼女は、三人娘の三女として生まれて育ち、 妻として母として祖母として 一生を終えるであろう人だ。 どこからどこまでもが、「女」なのだ。 背が高くスラっとした彼女は、 死ぬほどお洋服を持っている。 決して高価ではないだろうが、大切に着るので痛まないのだ。 おまけに体型も変わらないし。 何かでバチっと決める時の義母は、ハっとするほど優雅だ。 60代の今でも、 週に1回、美容院で髪を整え、 朝からうっすらと化粧を施し、 家族のために一日、専業主婦をしている。 お料理は、いまいちだが、 掃除と洗濯はばっちりである。 何よりもとてもやさしい。 この人が、人の事を悪く言ったり、罵倒したりするのは ほとんど聞いた事がない。 時には少女のようにかわいらしく純粋である。 こんな彼女にも欠点はある。 人をイライラさせるのが得意なのだ。 例えば一緒にスーパーに行くとする。 「得する」事が大好きな義母は、 歩きたくないわけでもないのに、できるだけ入り口の近くに 車を止めようと頑張る。 「あそこ、空いてるよ」と言っても、聞こえないようだ。 とにかく、近くに止めたいのだ。 レジで待つのがイヤなので、 少しでも列の短いレジに移り変わる。 その移動のさいの素早さは 普段のおっとり加減からは想像もつかない。 玉ネギ一つ選ぶにも3分はかかる。 スイカだって、ひととおりたたきまくるのだ。 メロンなんかいちいち匂いを嗅いでいる。 (10個も20個も、だぞ!) こんな調子で毎日の食事を用意しているのだ。 私がヨーグルトを食べようとする。 すると「どのスプーン使いたい?」 といろんな柄のスプーンをさしだす。 その儀式に何分もかけるのだ。 一事が万事、すべてにおいてこの調子だ。 アイスクリーム屋に連れて行くと フレーバー選びに10分くらいかけるし、 ファーストフードに行けば、 お持ち帰り用ケチャップや、砂糖をふたつみっつ失敬する。 それを決して使わずに、貯蔵庫に貯めているのを私は知っている。 そんな彼女も、この10年ですっかり年を取ってしまった。 最近は家ではノーメイクでいる事も多いし、 目がどんどん悪くなってきていて、 孫たちに本を読んでやる事もできなくなった。 彼女は遺伝的なものから、あと10~15年くらいで ほぼ失明すると言われている。 それが現実になってきているのを目の当たりにすると、 本当に胸が痛むのだ。 初めてあったとき、野生のサルを初めて見るような 物珍しげな目で、遠くから私をチラチラと見ていた彼女。 まともな外国人にはあまり会った事がなかったのだ。 だんだん、会う回数を追うごとに打ち解けていった。 長男が生まれた時には3週間滞在してくれて、 毎日冷凍のラザニアを用意してくれて、 正直とても辛かったが、好意は有り難く受け取った。 夏休み、クリスマスと帰省すると、いつも暖かく迎えてくれた。 離婚騒動の時には毎日のように電話をよこし、 時には一緒に泣いたり、励ましてくれたり、 とにかく心配してくれた。 離婚が決まってからも、変わらない。 先日オレゴンに行った時は、 でかける前の晩に電話をよこし、 明日は何時に発つのか、何処に泊まるのか、 ついたら電話しろなどと言ってきた。 本当に母親のようだ。 法律上ではもう何の縁もない。 でも未だに私は義母だと思っているし、 向こうも私を娘のように扱う。 これで、元夫の新しい嫁さんがこの国に入ってきたら、 また多少状況は変わるだろうが、 少なくとも、会えなくなるような事もないだろう。 人は善意で動いている。 義母を見ていると、本当にそう思う。 私がこの結婚で得た、子供の次に大事な宝かもしれない。

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