2011/12/15(木)21:14
新 緑仙の日々是好日(百人一首)
街は「暮れ模様」と「新年への思い」が交錯している。
今年は、あまりにも大きな悲しみに包まれた。
とは言え、お正月はとにもかくにもやって来る。
お正月のお決まりと言えば
おせち料理、お年玉、羽根つき、凧揚げ、福笑い
カルタ取りなど、いろいろある。
しかしながら、昨今は様変わりしたお正月風景で私の
書いているような状態は「原風景」に
なっているのかも知れないが‥
そうした我家は
毎年、必ず「百人一首」で遊ぶ事にしていた。
百人一首の魅力は、なんと言ってもあの定家の
編纂能力にある。
百人もの歌の名手が登場するわけだが
時代があまりに長く、飛鳥時代から鎌倉
時代までは些か長い。
しかし、これが誠に持って上手く作っている。
藤原定家と言えば、先日、上洛した際に
少し述べている。
◇「京都嵯峨野嵐山小倉山辺り 雪虫の記事」
定家は「百人一首」を編纂するにあたって
面白い工夫をこの百枚の歌に設えている。
お暇な御仁がいらしたら、
少し調べて見るとホントに興味津々になる。
いつまで経っても色褪せないものは実に
美しい存在であると思う。
因に、私は下の句のひらがなの取り札でも絵の
書いてある読み札でもどちらでも歌留多取りが
出来る。
幼い(三歳頃)私にとっては、仮名文字も
絵も同じにしか見えなかったのかも知れない。
ゆえに、似た様な下の句でも決して間違える事は
今でもない。
字を読んでいるとか見ているのではなく私には
どうしても絵に見えてしまう。
だから、ほんの少しでも違えば絵(デザイン)の
違いは明らかなのである。
小さい頃からやっていることは
こんな年齢になっても、あまり衰えを知らない。
スポーツなど身体を動かす事は
だんだん出来なくなってくるが、頭を使うことは
いくつになっても続けられるのかも知れない。
その百人一首の歌留多探しを今日はしていた。
年賀状のソフトや住所録で慌てて
そして今度は、百人一首‥
あ~オセロもどこへ片付けてしまったことやら‥
「取りあえず、片付ける」は、やはり後々面倒です。
「老いの整理」
「断捨離」を考えつつ片付ければ良かったと
つくづく思う年の瀬‥