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カテゴリ:人生
時が、そこの部分だけ麻痺して止まってしまったような悪夢のようなあの日。 2011.3.11 PM2:46 思い起こせばいろいろなことがあった。 今年は、我が街がどうだったのかを思い出してみた。 茨城県は、震度6強の揺れだった。 国道、県道、市道など道には至る所に 「マンホールキノコ」が出現した。 住宅街にもニョキニョキ生えるマンホールキノコ‥ 道路がまともなところがほとんどなく、車の運転は危険で その上、しばらくの期間、ガソリンの購入が出来なかった。 石岡駅は線路が蛇のようにグニャグニャ曲がって使い物にならなくなった。 ライフラインが完全に復旧するまでにはかなりの時間を要した。 小学校の運動場には亀裂が入り、電柱は倒れ、 送電線が道路で飛び跳ねていた。 高速道路も地盤沈下で酷い有様だったが、福島まで行く命の綱の常磐高速は 異例の速さで復旧したが、それは、自衛隊の車や救護関連、物資供給関連の車を通すためで 一般の車両の通行は、禁止されていた。 海に目をやれば、 瓦礫の山が延々と続いていた。 我が家も、あちこち壊れた。 お雛様が飾ってある広間も京壁が崩れ落ち、 居間の天井は落ちて、塀も壊れ落ちた。 家の修理だけでも費用はだいぶかかった。 勿論、地震保険には入ってはいるが、こんな程度では 一部損壊なので保険金額は50万円しか支払われなかった。 近所、親戚、友人、皆、暗い表情が長い間続いた。 毎日、空にはCHやC1がひっきりなしに飛んで行った。 地震から三日目に電気が通った。 涙が出るほどうれしかった。 それまでは、薄暗いろうそくの下での夕食だった。 断水は随分と続いた。ガスは5〜6日でOKになった。 あれから7年。 防災の意識は高くなるばかりであるが、 結局のところ、またこんなことが起きれば肝心なのは自分自身である。 先ず、大事なことは、「自分が逃げよ!」である。 次に大事なのは、「火、水、金」である。 「火」がないと寒いし不衛生であり 「水」がないと生きてゆけなく 「金」現金はいくらかでも持っている方が心持ちが強くなれる。 防災グッズとか、防災の知識だとか、便利用品などは その後に考えればよいと思っている。 地震は恐怖だ。そして津波を伴い、それは日本地図を変えるほどの 脅威の自然の力である。 今、新燃岳が活発に火山活動をしている。 東北地方太平洋沖地震のなんらかの影響で 日本の火山活動は激しくなっている。 過去において、世界中、マグニチュード8以上の大きな地震があったところでは 必ず、火山が爆発している、ただの一つの例外も無い。 マグマの力も地震と同じように自然の営みであるが 溶岩や、火砕流などの怖さは津波よりも始末が悪い。 波は寄せて返してだんだん小さくなってゆくのが予想されるが 溶岩の流れが止まるのが何時だが分からないというところが恐ろしい。 茨城県沖の本震は未だ揺れていない。 千葉県沖の本震も同様であり、東京直下型の地震がくれば 関東地方はアウトであり、また、富士山が噴火しても都市機能はほとんど失われる。 「押さない、走らない、喋らない、戻らない、とにかく逃げよ!」 あの揺れ、あの津波、ライフラインが途切れた心細さ、不安と恐怖。 何もかも忘れてはいない。 決して忘れることもできない。 今日は、鎮魂に日、静かに心の底から手を合わせる。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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