氷山の楽書き帳(あれから6年)
もう6年という歳月が流れてしまった。あの東日本を襲った地震と津波は忘れようにも忘れられない。あれから、防災意識が随分と変わり、いろいろなことが進歩してきた。特に、防災グッズなどは日進月歩の勢いで便利で快適なものが作られている。しかし、それがどうしたというのだ。「備えあれば憂いなし」それはそうであるがそれは、ものではないように思う。どんなに便利なものがあったとて、いざ、あんなにすごい地震が津波を伴ってやってきたら誰しも為す術がなく、それは、場所も時間も一切が闇の中で分からない恐怖である。高い防潮堤は、半世紀の歳月をかけてそこに住む人々を守ってきたわけだが結局、あまりに高いので津波の海水はなかなか引いてはくれず、津波に備えて整備した道路は津波の都合の良い通り道になってしまった。防風林、防砂林の松林もあっという間に一飲みにされてしまった。人々は、家族を救いに慌て、家族どころか自分の命さえ落としてしまった。津波の速さは、ジェット機並みのスピード。津波の高さは、10メートルを超えたところは数知れず、40メートル近い高さの津波が襲った場所もあった。日本は四方、海に囲まれている。津波がどこからやってきても不思議ではない。体育館や学校に避難してそこがまた地震で崩れる。高いところに逃げると言っても、その高台に逃げる道がない。地盤沈下、液状化現象、原発事故‥そして、風評被害にイジメの問題。もうあれから6年も経つというのになんにも元になど戻っていない。海の中をきれいに浚ったわけではない。空から見れば、海は青々として美しいけれど被災地周辺の海の中は、まだまだ瓦礫でいっぱいである。福島の原発の避難区域に指定された場所にどれだけの人が戻るだろう。人々が戻らなければ、町を新しく作ったとしても活気を取り戻すまでには次世代、いや、そのまた次の世代に任せなければならないかもしれない。あれから6年の間に日本の至る所で自然の災害が起きている。その規模は大きく、避難所生活を余儀なくされる人たちも増えている。大事なことは、防災グッズなどではなくどれだけ危機管理能力が各自有るか無しかである。覚悟しておきたいことは、もしその時、誰にも助けを借りることができなければ自分で一歩、這い上がることである。自分の命は自分で守る。2017年3月11日、今日は言いようもない天気晴朗の春のきらめきがより一層の悲しみと苦難を感じさせながら、一筋の希望の光をあたえてくれる青い空が広がっている。にほんブログ村にほんブログ村