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March 26, 2008
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カテゴリ:ひとりごと
前日の3月25日は,亡き母のバースデーでした。

母が好きだった紅茶を入れて,亡き父と二人で写っている写真の前にお供えしました。

そして,娘子と二人で,『お誕生日おめでとう!!』と,話しかけて,お祝いをしました。

ほっそりと小柄で,美しくて優しくて賢くて,そして,自分が末期ガンだと知りながらも周囲の人たちに対して常に笑顔で気遣える,とても強い人でした。

3歳の頃からバレエを続け,結婚するまでは,バレリーナとして舞台に立っていたそうです。
白鳥の湖のプリマドンナの写真がたくさんありました。
身体がとても柔らかく,私が子供の頃,よく夜に,和室をきれいにほうきで掃いて布団を敷いたあと,その上に立ってしなやかに後方にくるりんとブリッジ経由の回転を見せてくれたりしました。

いつでもお父さんを立てて,家族のために尽くしてくれました。
働き者で,絵に描いたような良妻賢母。
一方で,英文科卒で,自宅で英語を教える,評判の先生でもありました。
今でも私は,とてもかなわないなあと思うのです。

49歳の若さで亡くなってしまいました。
自分がその年齢に徐々に近づいていくに従って,私はもっと長生きしなければと思います。
母はあそこまで献身的で勤勉な人生を送ることで,命を縮めてしまったのではないかと思え,
もっとゆったりと過ごして長生きしてほしかったなと,今となっては繰り返し思うのです。

母の病気が分かるまでは何不自由ないお嬢さん育ちだった私でしたが,ある日突然,母が末期がんで余命1ヶ月だと知らされてからは,私の生き方もすっかり変わりました。

どんな手を使っても,絶対に死なせてなるものかと,無我夢中で看病しました。
当時,薬学部を出て薬剤師の資格も取り,研究所勤務だった私は,仕事もやめて24時間四六時中,母のそばで,母を助けるためだけに過ごしました。
自分の命に代えてでもと,祈るような気持ちで一日一日,一分一秒をかみしめて過ごしていました。

外科に入院しても手遅れ過ぎて手術もできず,抗がん剤治療も放射線療法さえもできず,何の治療もしてもらえない,ただ大学病院で死ぬのを待つばかり・・・
そんな状態に耐えかねて,いてもたってもおられず,私は自分で,ガンの食事療法(ゲルソン療法)をメキシコのレシピを参考に毎日毎日実行し,薬剤師の資格も使って個人輸入でビタミン・ミネラル療法も行い,心を込めて告知をして,必ず私が助けるからと約束して,精神療法,音楽療法,毎日煎じる漢方薬,一日10回作る有機野菜のジュース,びわ葉のお灸,さらにはガンの医学文献を読みあさり,世界中の最新情報を仕入れ・・・・必死で看病しました。

奇跡(だと大学病院は言った)が起こって,ガンが縮小し,余命1ヶ月が3ヶ月になり,6ヶ月になり,抗がん剤治療を行いましょうということになった時,大学医学図書館から副作用軽減に関する国際誌文献を取り寄せて,見合ったビタミンを決まったタイミングで継続的に母に投与することで,あの強烈なシスプラチンの副作用さえも全く経験することなく,劇的な良い効果が得られました。

母は,『私のふたつめの命は,娘のあなたがくれたのよ。ほんとうにありがとう。』
と,言ってくれました。

そして半年後には退院でき,自宅(兵庫県)で母と二人,幸せに過ごしました。
当時,東京勤務だった父も毎週末には帰宅して,楽しい時を過ごしました。
母は顔色もよく,私の食事療法のせいでシミもそばかすも消えて美しい肌になりました。

でも,自宅で数ヶ月過ごした頃,40度を超える高熱が続き,病院でも末期ガンによる熱だというばかりで,胆汁を体外に排出していた管からの感染であるとわかったのはかなりあとになってからのこと。
医師から,その管の耐久期限3ヶ月を超えて長生きするのは想定外だったとのことで,私はそれをきいて非常な怒りを覚えると同時に,自分が気付いてあげられなかったことを深く悲しみました。

高熱の間に,嘔吐の激しさのため,私の食事療法もジュースも漢方薬もビタミン療法もできなくなり,身体は衰弱して,またガンが進行して腹腔内の隙間もないほど埋め尽くしていました。

最後まで,望みは捨てることなく,ホスピスに入ってからも,できる限りの私なりの療法は続けました。
それでも,結局は,ある朝方,私がそばにいて,会話をしながら,『息が苦しい』と。
心不全が起こり,亡くなってしまいました。

ただひとつ,幸いだったのは全く痛みが出なかったこと・・・奇跡的だと,よほど精神的に安定していたからかもしれないと,病院から言われました。
私の行ったどの療法がどう効いたというよりも,私のあまりに一生懸命な姿を見て,または,私との密度の濃い心通い合う時間を通じて,母の精神に効いていたのかもしれない。

亡くなってしまったのは,
『足がだるい』と言われて足をさすり,
『抱きかかえてほしい』と言われて,抱きかかえたあとでした。
もっと上手に抱きかかえていれば,とか,もっと寝ずにずっとそばでいればよかった,とか,しまいには,私にもっと医学の知識があれば良かった,病気の根本も分かっていない,もっともっと私に力があれば,と・・・。
私の必死の看病に対して,母を実験台にした,と私を非難した親戚もいました。

・・・約束が果たせなかった。
自分の命に代えても大好きな母を助けるんだと心から思っていたのに,どうして自分は生きているんだろう。いや,生きているのか?お母さんと一緒に私も死んでしまったのか??
しばらくは母との強烈な連帯感から,自分も死んでしまったような気がしていました。
寝ても悪夢,覚めても悪夢でした・・・

やり場のないむなしさと,自分と医学と医師への腹立たしさから,
結局,医学の道を志すことになりました。
自分が無我夢中で母に行ってきたことは,正しかったのかどうか,客観的に判断できるほどの知識と環境が欲しかったのです。


そして,医学を学んで悲しみを紛らわすようにガンガン研究して博士までとって大学で教える立場になっても,
やっぱりあの頃の私にアドバイスできることはなにもないのです。
ただ,『よかったのだろうか』,『もっとああしていれば』,『わたしのせいかもしれない』・・・こんなふうに思っていた,すべての不安や後悔や悪夢を,ひっくるめて,よくがんばったよ,と,ほめてあげられるように,やっとなれたかもしれない・・・これは,月日と今の家族がそうさせてくれたのかもしれないと思うこの頃なのです。


母のバースデーの次の日,3月26日は祖父の命日。
6人兄弟のひとり娘である母をことのほか可愛がっていたおじいちゃんは,先に逝ってしまった母のバースデーを一日遅れでお祝いしにいってくれたのかもしれない。

毎年送っているおじいちゃんの御供え,今年も送りました。。。

お母さん,お父さん,おじいちゃん,
安らかにお眠り下さい。




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Last updated  March 29, 2008 05:10:45 PM
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