最も古い記憶写真館に連れて行かれた記憶が、最も古い記憶である。正確には、その帰り道である夜の道を歩くときの会話が記憶として残されている。 私は父と母に両手を引かれて歩いている。 「♪お手手んぷら、繋いでこちゃん、野道をゆけばリカン~」 と母が歌っている。 この替え歌が父と母では違っていたらしく、「私はこう歌っていた」とお互いの歌詞の違いを話し合っているという場面が記憶として残されている。 数年後にこの日のこと母に聞き、これが2歳の誕生日の記念写真を撮りに行った日の出来事だったということを知る。 世の中には、替え歌というものがあり、元歌があり、バリエーションがある、ということまでを2歳児でも理解する能力があったかどうかは定かではないが、なんでも知っているはずの大人でも、例え一緒に暮らしていても、人によって違う考え方というものを持つのだと、おそらくこの時に知ったのだと思う。 人生最初の記憶は、美しい風景でもなく、悲しみを誘う音楽でもなく、「新しい概念の形成」であった。 激しく揺さぶられた喜怒哀楽の情動を伴わなくても、それまでの脳に書きこまれたものを書き換えるという働きはある。 たまたま後々の記憶にも長く残ったのが、この時の「対立」という概念であった。 幸いだったのは、「対立」は勝敗を決めるべきものでもなく、諍いへの発展を約束するものではなく、単に「存在する」というだけのものとしてインプットされたことであった。 私の脳が強い刺激と感じるものの傾向はこの頃からあらわれている。 誰でもだいたいそういうものであるかもしれないが、後々の「古い記憶」は殆ど「新しい概念の形成」に基づいたものばかりが脳に書き込まれている。 |