姓世界の夫婦の姓----------------------------------東洋と西洋の氏(姓)の形とその意義 ---------------------------------- 家族制度は、民族や国の歴史文化伝統によって、独特の形をとっています。それぞれの形には意味があって、どこの国が進んでいるとか、遅れているとかいった評価をすべきではありません。 家族の氏(姓)については、国によって様々な形が見られます。その背後には、その国の文化、宗教伝統が存在しています。それを、私たちと関係の深い儒教とキリスト教の国についてみておきたいと思います。一般的に氏(姓)には、大きく分けて、別姓、同姓、結合姓の三つの形がみられます。 ------------------ 儒教国は夫婦別氏制 ------------------ 儒教の伝統の強い大陸中国は、父系の血統主義にもとづく家族制で夫婦別姓制をとってきました。子供は父の姓となり、妻の姓は、血統が夫と異なるため、婚姻によっても変わることはありません。このような中国の夫婦別姓は、男尊女卑の産物ともいえます。逆に姓を同じくする男女は、血脈のある同族の可能性があるので、その結婚は禁じられて同姓不婚とされてきました。中国では、王さんと王さんでは結婚は無理ということになるわけです。 儒教を封建的として否定し去った共産主義社会の今日の中華人民共和国においても、その思想的背景と制度は全く変わったけれども、依然として別姓が中心なのは変わることがありません。 同じ儒教国だった韓国は、民主化された今も、中国と同様に儒教的血統主義に則った厳格な夫婦別姓制です。しかも「同本(出身地が同じ)同姓不婚」とされています。家は男が継ぐものだから、別姓の女性はお墓に名前すら書き込まれない場合が多くみられます。もともと全体の姓が三百もない国民ですので、最近ではさすがに同姓でも結婚できるように民法改正の動きも出ているようです。 儒教が国教の中華民国(台湾)では、他とちがって女性は婚姻により自己の姓の上に新たに夫の姓を冠する「結合姓制」をとっています。王さんと結婚した陳さんは、王陳になるという具合です。 同じ儒教の影響を受けてきた日本も、歴史上の人物でも、源頼朝の夫人は結婚した後も北条政子であったし、足利義政の夫人は日野富子というように、結婚しても女性が姓を変えるということはなかったのです。国民皆姓となった明治の始めに、西洋キリスト教国の夫婦一体型の夫婦同氏制を採用しました。 ------------------------ キリスト教国は夫婦同氏制 ------------------------ 東アジアの儒教国と違って、西洋のキリスト教圏の国々では、神によって結ばれた夫婦は「人格的に一体となる」との思想から、姓も一体化して一つになります。それゆえ夫婦はお互いにベターハーフ、良き伴侶というわけです。伝統的には妻が夫の姓を称する「夫婦同姓制」です。従って子供も親の姓と同じになって、家族が皆一つの姓になります。「姓」を英語で「ファミリーネーム」と呼ぶのは、このことを意味しています。近年になってこの慣行が破られる例も一部にでできています。 慣習法の国の英国では、最近では、この夫婦同姓の慣行は必ずしも女性の改姓の「義務」を伴うものではない、と解されるようになって、一部に別姓夫婦もでてきているようですが、原則として夫婦同姓制です。 英国の慣習法を継承したピューリタンの米国は、はじめから夫婦同姓制の国でしたが、その後世界の諸民族、諸宗教者が移民者として流れ込み、さらにウーマンリブやフェミニズム運動、それに少数民族らのマイノリティの権利獲得運動などが起こってきて、社会的に混乱を引き起こし、その対応も五十もある各州の法律でまちまちです。男同士、女同士の同性愛結婚も法的に認めるべきか否かをめぐって議論し、全米で宗教者は勿論のこと政治の世界でも家族の伝統的価値の見直しの動きが高まっています。 ------------------------------------ 家族のファミリーネームのもつ重い意味 ------------------------------------ 夫婦の氏、とくにキリスト教圏の同氏制と儒教圏の別氏制について、中国思想と儒教に詳しい大阪大学の加地伸行教授は、二つの大事な問題を指摘して次のように説明しています。すなわち家族制度上において問題となるものの一つは、血脈を同じくする近親相姦の問題で、これは生物学上及び人倫の道徳の問題ですが、どこの国でも禁じております。そのためには、血脈を有する同族であるかどうかの識別が非常に重要となってきますが、その標識として「ファミリーネームの持つ重い意味がある」というのです。 さらにまた「キリスト教では神に誓って結婚した二人の間に生れた子すなわち嫡出子の権利を保護し、非嫡出子とりわけ父親に認知されていない子とははっきり区別します。そのとき、父親の姓を名乗っていることが重要な意味を持つ」と述べて、いま一つの大事な点を指摘しているのです。つまり「極めて現実的に言って、近親相姦を防ぎ、正常な婚姻に基づく家族の財産を保護するという意味がファミリーネームにはあるのです。キリスト教文化圏の女性は、結婚するとファミリーネームの中に入り夫婦同姓となったのです。これは人間の知恵である。」というのです。 道徳的退頽による社会混乱の著しいアメリカでは、この同族関係がおかしくなって近親相姦、とくに父子相姦などが増えて大きな社会問題となっていることを思えば、なおさら重大な視点といえます。 たとえば、再婚した妻に年頃の娘がいた場合、もし夫婦親子三人が姓を同じくすれば、同族の家族の意識が働くけれども、とくに父が別姓の場合は、別姓の娘を他人のようにみて手を出すことも起り得るというのです。また血のつながりがなくて親子の関係がうまくいかないと継父母による子供の虐待を招きやすいというのです。これは問題です。 ------------------------ 夫婦別氏制は前近代の遺物 ------------------------ 一方、夫婦別氏制の中国でも、形の上では別姓だけれども、家の中では「同族化」が行われているので、実質的には夫婦同姓と同じなのだというのです。妻の異姓は、夫一族とは血統の遺伝子が異るということを示すだけの意味、すなわちそれは今日的に言えば、「遺伝子記号上の標式」にすぎないというのです。 中国でば「婚姻した女性は異姓として他人扱いにするのかというと、そうではない。婚姻後、一族の一員として正当化するために、結婚して〈妻〉となった女性に対して、〈婦〉に昇格する儀式を一族として行い、一族の女性として認知する。だから、死ねばもちろん一族として墓をつくるし、祭祀することになる。すなわち、形式上、夫婦別姓であるが、それは遺伝子記号上の標識にすぎず、実は同族化、つまり夫婦同姓と同じ意味なのである」と。 中国では、女性が異姓であるのは、このような中国人特有のリアリズムが根底にあってのことだというのです。この夫婦別氏制の同姓不婚と子が父の姓をもつという儒教圏の制度にも、先にのべたキリスト教国の夫婦同氏制のファミリーネームのもつ意味と同じような重い意味が含まれており、これも東北アジアの「人々の知恵」だというのです。 日本では、夫と墓まで一緒にしたくない、ましてや夫の家の墓などには入りたくない、そのために夫婦別姓がよい、などと主張する人もいるくらいです。これなどは、一族化を拒否して同族の解体化をめざす個人主義エゴイズムの典型で、中国の夫婦別姓とは全く違います。 洋の東西を問わず人間社会の夫婦の氏のあり方としては、夫婦同氏(姓)制が基本なのです。加地教授は、日本でも江戸時代までは、一部武家社会では、儒教的別姓結婚が行われていたが、明治の近代になって折角国民が皆近代的同姓制になったのに、また前近代へ逆戻りするような夫婦別姓こそ「前世紀の遺物」とまで明言して、別姓化に反対しているのです。 ( Shinto Online Network Association )
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