被災生活 行動はよく考えて
11日の夜は寒かった。車のガソリンは満タンであったが23時頃迄エンジンを掛け、暖をとりワンセグでニュースを見て、寝るときは節約のためエンジンを切った。それはハッキリわからなかったが・・・・・ワンセグで福島第一原発の事を放送していたと思う。最悪の場合に妻の実家(横浜)に避難しようと思っていた。夜が明けて娘夫婦宅では電気・水はダメだったがガスは使えた。食事をして片付けし(2階のタンスが倒れていた)気になっていたサッシも車のジャッキーのハンドルで締める事ができた。9時ごろ私たちの部屋を片付けに向かった。まだガス臭かったが、ガス臭いのはガスの配管が壁ごと崩壊してしまったためらしい。部屋の前に着くと隣の奥さんが近くの小学校で水の配給があると教えてくれた。余震の続く中、恐る恐る部屋に入り片付けを始めた。私の部屋は電気・ガス・水道・・・・・ライフラインは全てダメだった。だけど突然、電話が鳴ってビックリした。電話に出ると義父だった。いきなり「なぜ電話に出ないのか」と叱られました。(電気は駄目でも電話は使えるのですね)事情を説明し片付けを再開した。どの部屋も、どれから手を付けていいか迷うほど滅茶苦茶に散らかっていた。テレビは倒れ食器棚の物は殆ど下に落ち割れてたり・・・・・押入れの中は崩れ落ち、戸が開いてた夢中になって片付けていたので水の配給を忘れていた。これから先の事を考えて水の配給を受けることにした。バケツを持って近くの小学校に行くと大勢の人が並んでいた。校舎からあふれんばかりの行列。だけどスルスルと進む・・・・・・30分くらいで運動場の見えるとこまで進んだ。見て唖然とした。それは給水車のイメージが違ったからです。10tonタンクローリーで配給してるのかと思っていたから・・・・・2トンダンプの荷台に浄化槽を改造したオレンジ色のタンクを載せ、それにホースに蛇口が6個付けて給水していました。市の対応は早く感謝してますが・・・・・・直ぐにタンクの水は無くなり、ピストン輸送(最初は1時間位か)諦めて帰る人のためスルスルと行列は進んでた訳でした。私たちも1時間近く並んでましたが、そこから先は進まず・・・・見てると白い袋を持った人たちが・・・・(停電のスーパーが入場制限をして販売していたらしい)水はペットボトルがまだあったのにこちらに並ぶべきだったです。私は給水は諦めて部屋の片付けを再開し、妻はスーパーにむかいました。店内に入るのに1時間並んで、薄暗い店内で解けかかった冷凍食品を買って帰ってきました。つづく