2007/11/24(土)07:37
何でも食べられる子に
(美味しいイタリアのチーズ)
ここ北イタリアのヴェネト州は朝晩冷え込み、すっかり冬の気候になっている。
週に1度でかけるメルカート(市場)の八百屋に並ぶ野菜も、夏から秋、そして冬へと模様替えをしたようだ。
夏野菜のナス、ピーマン、いんげん等の値段が上がり、代わりにかぼちゃ、キャベツ、ほうれんそう等が比較的安い値段で買うことができるようになった。
先日は、大根も「DAIKON」と言う名前で売られていたので、嬉しくて早速1本購入したところだ。
さて、それにしてもイタリアは根菜の種類が少ないなあと日頃から思う。
根菜だけでなく野菜の種類も少ないので、毎週メルカートで買う野菜はいつも同じものだ。
「にんじん」「じゃがいも」「玉ねぎ」「かぼちゃ」「ほうれんそう」「きゃべつ」「ブロッコリー」「トマト」「サラダ菜」
・・・とこれが我が家における定番の野菜である。
この、これしかない野菜に日本から送ってもらう「乾燥しいたけ」や「乾燥大根菜」等の便利な乾燥野菜を加えて、毎日とっかえひっかえ頭をひねりながら献立を作っていく。
20代の頃ドイツで一人暮らしをしていた時には、外食ばかりで食事の栄養を考えることは何もしなかった。
ドイツからイタリアに移りダーリンと暮らすようになって、ようやく栄養を考えて作るようになり、そして今では「風邪でも引かせたら大変だ!」と言う気持ちでダーリンと2人の子供に栄養価が高いと思われるものをせっせと作っている。
最近鉄分を取ってない、と思えばほうれん草を使った料理をし、繊維が足りないと思えばひじきやわかめを食べる。
それなのに、こんなに栄養を考えて食べている私よりもイタリア人のほうが体力があるのは一体なんでなんだろう?
それから、8歳の隣の姪は偏食がひどいのにどうして病気一つしないんだろう?
この姪は先日我が家で夕飯を一緒に食べた時に、私があげた野菜の名前をことごとく
「嫌い!」
と討ち死にさせた。
普段は野菜だけなくほとんど何も食べなくてママを困らせているのに、風邪一つ引かないのだから全く不思議である。
一時あまりにも不思議で、
「もしかして私が毎日考えている食べ物の栄養って実はあんまり意味がないのかな・・・。」
と疑問が湧いていたことがあった。
でも、前回の日記にも書いた『台所育児』の本に、
「子どもの小さいうちに、目に見える効果があがるわけではありません。」
「見えないものを育てるつもりで」
と言う言葉が書いてあったので、途端に自分のしていることに自信が持てるようになった。
栄養を取っている子と取ってない子が全く同じように育つわけがない!(と信じたい)
この本には他に、国際人として育てるには
「何でも食べられる(偏食をしない)」
「見慣れぬものを食べられるような食の幅をひろげられたら・・・」
と書いてある。
我が家の子ども達には、この「何でも食べられる」国際人に育ってもらいたいなぁ。