狎鴎亭的横濱生活

2004/09/05(日)08:27

とうとう明日日本に行ってきます。

最後に母に会ってから半年。 私の母は今病院にいる。(もう一人のハルモニ) 私の中で、母に会わずに頑張れるリミットが半年何だって事がここ1年ほどで分かってきた。といっても、病気がこれほど深刻化してからの話。以前は1年ぶりでも、会わずにいても、電話で話してれば大丈夫だった。 でも今は電話で話せない。母は舌が思うように動かず、聞き取るのも大変になってきた。 話せなくなってからというもの、母に会いたいという思いが病気のようになってしまった。 元気だった頃は、日本に帰るたびに仕事帰りの母と待ち合わせたり、迎えに行って、一緒にご飯と食べたり、ショッピングをしたりしていた。 最近この辺を歩いている母娘、まだ結婚してないか、子供がいないくらいの娘とその母親が仲良く歩いてるのを見ると、無性にその時が恋しくなる。 もう二度とできない事。そう思うと、涙が出るくらいその時を取り戻したくなる。 最後に母に会って半年。やっと日本に行かなくて良いの?という話が持ち上がるようになってきた。 そう言われるまでは、なかなか行きたいと言えない。もちろん母に急変があれば別だけど、なるべく義両親から話が出るまで待つ。気持ちよく行かせてもらうために。 最初は、子供二人を連れて行って来ようかと思った。パパは仕事で行けない。子供を連れて行けば、1週間くらい入れるかなという考えだった。 でも私たちには帰る場所がない。子供二人を連れて行くなら、どこか泊まる場所を確保しないといけないくて、しかも誰も助けてくれる人がいないのに、病院と泊まる場所の往復、必要な買い物などなどやるには、私も大変だけど、子供たちにもかなりの負担になるんじゃないか、とパパが言った。 確かにパパの言うとおりだ。 今回は母と話す時間が必要だ。 麻痺が進んでいる母は、とうとう食事の飲み込みが難しくなってきたそうだ。食べる時にむせる事が多く、これがひどくなると肺炎になってしまい、命取りになる事もある。 先生からは胃にチューブを通す事を勧められたらしい。弟にその話が行き、先生と二人、母のところに行って説得した所、母は大泣きしながら、絶対に嫌だ、自分で食べられるとわめいたそうだ。 先生はあきらめ顔、弟はそんな母に怒っていた。 私は母の気持ちも弟の気持ちも分かる。 母は怖いのだ。もうすでに手も足も動けず、首もあまり動かない。表情もこわばったままだ。食べ物を噛んで飲み込むという作業は、数少ない母の「自分でできる事」なのに、それまで諦めてしまうのは、とても怖いのだ。 肺炎なんかで母を失いたくない、と弟は思う。それなのに、子供のように泣き喚いて冷静になれない母を見て、どうする事もできない弟は、腹が立って仕方ない。弟は悔しいのだ。 今回子供を置いて一人で行く事にしたのは、そんな母と少しの時間でも向き合ってゆっくり話したいからだ。 4日間しかないが、できるだけのことをしたい。 母は私に心を開いて話してくれるだろうか。 私は母の力になる事ができるだろうか。

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