狎鴎亭的横濱生活

2004/09/10(金)18:16

母に会ってきた

昨日日本から帰ってきた。 短いような長いような滞在だった。 母と会い、主治医と話し、弟夫婦と話し合ってきた。 おかげでものすごい寝不足。 おまけに、帰ってくる便は朝一番だったので、もうフラフラだった。 母は元気そうだった。前より太ったし、顔色も良かった。 だけど、話がほんとうに分かりづらくなった。食べさせると、口の中に食べ物が残るようになった。あんなに嫌がっていたオムツをしないといけなくなってしまった。 麻痺が進んでいる。それは本当にそうなんだ、といろんな場面から分かった。 まず、口周りや舌の動きが悪くなったため、言葉がうまく話せない。食べても舌が回らないので、食べたものが口の中にくっついてしまう。トイレに行って、座っていられなくなったので、オムツになってしまったと聞いた。 先生からの話を伺った。 7,8月でむせる事が突然増えたという。むせる事で気管支に入ってしまい、肺炎を起こすと命取りになってしまう。人工呼吸器を使わないといっている母にとっては、一番避けたい事なのだ。だから、先生としては8月中に胃ロウを作りたかったらしい。 とりあえず頑なに拒否してる母には、まだしなくていいよといったらしいが、本当だったら今にでもしたい事らしい。 そして先生は、そろそろ一度母と「肺の筋力が低下した時。本当にどうするか」再確認をしておいた方がいいと言われた。 どんな決断をしても家族はあとで「本当にこれでよかったのだろうか」と思うものだ、だけど本人の意思を確認しできるだけそれに沿った決断をしたときは少なくとも「本人の意思に添えた」と思う事ができる。後悔しないためにも、一度話し合う方がいいと言われた。 先生と話したあと、母の所に戻ると「先生何だって?」とすかさず聞いてきた。 「胃チューブの話だよ」と答え、これがいい機会かもと母と話す事にした。 「多分OO(弟)とは話にならないだろうし、私はあさって帰っちゃうから、今話すんだけどさ」と切り出し、胃ロウのことをまず話してみた。 母は茶化してしまい、「その時考えるわ」なんて言う。 私は何で今そうしないといけないのか、そうしないとどうなるのか、等など事細かに説明した。 母はそんな私を見て、まるで看護婦さんみたいとでも思ったみたいで、又笑ってる。 「分かったわ。」と言い、「でも、やだ」とにやっとした。 でも最後は真剣な顔で言った。 「わたしね、死ぬの怖くないよ。覚悟してる。私の人生、悔いはないのよ。」 「最後まで機械を使って生きたいくないの。」 私は、思いつく限り母に言ってみたつもりだった。 今拒否してもいずれ食べられなくなって結局チューブを入れないといけなくなるかもしれない。それまで待って、肺炎になるリスクを作るより、今してしまえば、未然に防げるんだよ、チューブ入れたからって食べられなくなるんじゃないんだよ・・・言う言葉、言う言葉何だか空回りしているようで、何を言っても「私はこれだけでも自分の力でやりたいの、それで死んじゃっても仕方ないのよ」という母の言葉の前では、何の力もないように見えた。 帰ってから、弟夫婦と話した。 弟は先生から「これさえ予防できれば、進行自体はとても遅いから、1年、2年長く生きられるかも知れない」と言われてるのに、こんな事で失いたくないという気持ちは変わらなかった。 だから、弟にもう一度母を説得してみなさいと言った。もしそれでも母の気持ちが変わらなかったら、その時は「勝手にしろ」とか言わず「分かった」と受け入れてあげないといけないんだよ、と。 弟はもう少しで泣きそうだったように見えた。 この年で、誰も頼る人もいなくて、こんな事を考え決定しないといけないなんて・・・重過ぎる、そう思った。 そのあと、パパとも電話で話した。 パパは言った。「あのね、そんな風にお母さんの気持ちばかり気にして自分の気持ちを言わないでいたら、あとで後悔するよ。お母さんは病気でも貴方たちの親なんだよ。子供に責任があるの。それに、貴方たちは、お母さんに子供としての気持ちを伝えたって良いんだよ。言わなかったら絶対後悔するよ。それでもお母さんがいやだって言ったら、それは仕方ないでしょ。」 あまりにも淡々と言うパパは、まるで他人事を言ってるようで、つい「パパには分からないよ」と言いそうになった。それっぽい事を言ってしまった。 だけど、パパの言う事も分かった。 私は母を失いたくない、そう伝える事は悪い事ではないんだと思うようになった。 翌日、あまり時間がない中、母に言った。 「私さ、これから行かないといけないところあるから、言うんだけどね。胃のチューブのこと、お母さんの気持ちは分かったけど、もう一度考え直してみてよ。お母さんはこんな風に生きてるのもう嫌だって思ってるかもしれないけど、私はお母さんにいつでも会いたいの。もっと長生きしてほしいの」 母は声を殺して泣いた。泣かせたくないから言わないでいたけど、でも泣かせてしまった。 弟が又あとから母と話すだろう。母がどう思って、どう判断するか、分からない。もう生きることにそれほど執着しなくなってしまった母は、私の理解を超える所に行ってしまった気さえするのだ。 「生きていてほしい」 これは完全な家族のエゴだ。 だけど、やっぱり生きていてほしい。その先に明るいゴールがないのに、こんな事言って苦しめてはいけない、という思いと一緒に、一日でも多く母の顔を見ていたいし、子供たちの成長を見届けてほしいと思うのだ。

続きを読む

総合記事ランキング

もっと見る