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居酒屋こはる

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修善寺ハリストス正教会

【修善寺ハリストス正教会】
修禅寺から修善寺駅方向へ二〇〇メートル程下り、「みゆき橋」を左に折れて少し坂を上がると、緑を背にくっきりと白い教会の尖塔が見える。この教会が
「修善寺ハリストス正教会顕栄聖堂」である。この教会は明治四十五年(一九一二)六月二日落成 静岡県指定の有形文化財である。文化財に指定された理由として
一、 姿形が美しい事(ビザンチン様式)
二、 技術的・芸術的に大変優れている事(軒に並ぶ持ち送りの葡萄飾り及び聖障のロココ風装飾など)
※葡萄飾りは一個づつ形が違う。その当時の左官達―松崎町の有名な『伊豆の長八』の弟子達―がひとつづつ丁寧に創ったもので素晴らしい芸術品である
三、 伊豆の宗教発展の歴史に貢献している事、等があげられる
次項で紹介しているが、この教会はニコライ大主教ご病気治癒を祈って建てられたのであるが、修善寺の信徒達は祈りと共に昼夜の区別無く総勢七〇名の信徒職人達が一体となって必死に建設し、三ヵ月半という驚異的な速さで完成させた
※現在では三年かけても出来るかどうかと言われている
当時、洋風の建築など手掛けたことのない伊豆の大工さん達は(棟梁は旧中伊豆町小川地区の方)は大変苦労したようである
色々考え工夫の上、基本は日本建築であり、洋風に仕上げたのでそれこそ珍しく貴重な、技術的に優れた建造物となった

構造は木造漆喰塗り、建坪約122平方メートル 東西18,9m 南北7,2mの舟形 鐘楼の先端までの高さ18m イコノスタスはイオニア式の柱(ギリシャ神殿風)で区画され、ロココ風のパステル調で日本においては大変珍しく貴重で赤坂離宮の様式に近いという
また尖塔の8角形クーポールは特有の形態で、南北入口、ひさしの天井はコロニアルスタイルの菱組格天井を用いている。
室内のバニカジーロ(シャンデリア)は水晶製で帝政ロシア時代のものである。この様に素晴らしい建造物ではあるが、老朽化も著しく一般には公開されていないのが残念である

しかしなぜ、この山深い伊豆の地にロシア正教は広まったのであろうか。答は山一つ越えた
戸田(へだ)の地にあった

安政元年、ロシヤの軍艦ディアナ号が戸田港へ廻港の途中暴風雨により駿河湾に沈没した
当時の韮山の代官、江川太郎左衛門は艦を失った露人達を気の毒に思い、艦の建造を戸田港で行う事を許した。代わりに彼らから造船の技術を教わった。またそればかりではなく、パン・ぶどう酒の作り方、また様々な技術を習得した。その時、滞在中の彼らにハリストス正教の祭礼の自由を許した。これが伊豆の住人達の心にハリストス正教の灯がともっていくきっかけとなったのである。
教会建設当時が最も華やかな時代で修善寺温泉だけで100軒の信徒があったと聞く。それがロシア革命・太平洋戦争などを経て信徒は激減 現在は数軒となった。伊豆全体でも50軒程である。信徒が少ない事から常駐する神父はおらず月一回の礼拝には小田原教会より神父を招いて行っている。

このハリストス正教会に当時3つの鐘があった事をご存知だろうか。 毎日曜日 ミサの終了に合わせて、カラン・コロンと3つの和音で鳴るその鐘のエキゾチックな音は、桂谷の温泉街に響き渡ったという。教会は村はずれの小高い丘の上にあったので、今の様に高い建物もない当時、他所へ出ていて村に帰ってくると一番先に目に入るのが教会の塔だった。だるま山に登れば一番先に見つける事が出来たとそうだ。信徒もそうでない人達にとっても、教会は大切な村のシンボルだった。寒い冬の朝など、鐘の音はそれは澄み切った神々しい音だったと聞く。

1200年の古い歴史を持つこの街にロシア正教の教会があり不思議な縁ではるか海の彼方の異国から送られたイコンが掲げられている。長い時の流れに翻弄されながらも、変わらない美しい音色で鐘は鳴る。たったひとつ残ったその鐘は、ここまで続いた歴史の糸を、どうか未来へと繋いでくれと願っているようにも聞こえる



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