209739 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【ログイン】

三角猫の巣窟

PR

カテゴリ

カテゴリ未分類

(0)

小説

(662)

教養書

(125)

エッセイ

(55)

戯曲

(13)

詩・写真集

(5)

その他

(11)

フリーページ

キーワードサーチ

▼キーワード検索

バックナンバー

お気に入りブログ

2017第九届中国国际… モモンガ2006さん

読書備忘帖 iyaharuさん

サイド自由欄


純文学の小説を中心に読書録を書いています。基本的にネタばれしています。
小説の構成や描写技法を中心に考察しているので、小説家を目指す人にとっては参考になる部分もあるかもしれないし、小説家を目指すつもりでない人も次に読む本を選ぶ参考程度にはなるかもしれません。
古いほう読書録はほとんどこのブログへの訪問者がいなくて日記代わりに雑感をメモしていただけなので他の人が読むほどの内容じゃないです。自分で読書録を読み返してもあらすじを思い出せない本があって、もうちょいあらすじなり特徴なりを詳しく書いておけばよかったと反省したので、最近は時間をかけてちゃんとレビューするようにしています。
いち本好きとして良いと思った小説は賞賛して悪いと思った小説は罵詈雑言を浴びせているのですが、小説の感想というのは個人の知識や価値観を反映させるので、結局のところ自分で読んでみないと意味がないのです。
ネットの中をさまよって偶然この読書録にたどりついた人は、面白いと賞賛しているのを読んでみたり、逆に罵倒している小説がそんなにつまらないはずはないと読んでみたりするのもよいでしょう。
この読書録がきっかけとなって他の人にも本が読まれることで、小説の発展にほんの少しでも貢献できればよいと思っているのです。

 ∧ ∧
(=‘ω‘ =)つお勧め本
辻原登『東京大学で世界文学を学ぶ』

評価基準:
★★★★★:感動したニャー
★★★★☆:技術や感性に芸術性があって面白いニャー
★★★☆☆:暇つぶし大衆小説程度ニャー
★★☆☆☆:描写技術や知識が出版に満たないレベルニャー
★☆☆☆☆:ゴミニャー

 ∧ ∧
(=‘ω‘ =)<みかんの妖精のLINEスタンプを作ったのである。
2017.08.14
XML
カテゴリ:教養書

メアリ・シェリーの『フランケンシュタイン』を基にして小説技法と批評理論を解説した本。こないだ『フランケンシュタイン』を読んだのでついでに読むことにしたのだけれど、あらすじが解説されているので『フランケンシュタイン』を未読でも問題ない。
文学研究書はかなり高くて1冊2000-4000円くらいするので、文学理論の定番の本を一通り買うと数万円かかる。それに比べてこの本は780円+税という値段設定で各理論の要点をかいつまんで紹介しているので、入門書としては内容と値段の面でよくできている。

●小説技法篇の内容
・冒頭:読者が虚構の世界に入りやすくする。
・ストーリーとプロット:ストーリーは出来事を起こった時間順に並べた物語内容、プロットは物語が語られる順に出来事を再編成したもの。
・語り手:一人称と三人称、枠物語、信頼できない語り手。
・焦点化:外的焦点化(焦点人物が物語世界の外側にいる)と内的焦点化(焦点人物が物語世界の内側にいる)。
・提示と叙述:提示は語り手が介入して説明したりせずにあるがままを示し、叙述は語り手が前面に出てきて出来事や人物の心理について読者に対して解説する。
・時間:アナクロニー(ストーリの出来事の順序とプロットの出来事の順序が合致しない場合)、時間標識(作品の中の時間を特定する具体的情報)、物語の速度(省略法、要約法、情景法、休止法)。
・性格描写:性格を重視するイギリス文学。
・アイロニー:言葉のアイロニー(表面上述べられていることとは違う意味)、状況のアイロニー(意図や予想と実際に起きていることの相違)。
・声:モノローグ(作者の単一の意識と視点によって統一されている)とポリフォニー(多様な考えを示す複数の意識や声が独自性を保ったままお互いに衝突する)。
・イメジャリー:メタファー(あることを示すために別のものを示して共通性を暗示)、象徴(類似性のないものを示して連想されるものを暗示)、アレゴリー(具体的なものをとおして抽象的な概念を暗示して教訓を含ませる)。
・反復:筋、出来事、場面、状況、イメージ、言葉の反復。
・異化:普段見慣れた物事から日常性を剥ぎ取って新たな光を当てる。
・間テクスト性:他の文学テクストとの関連性。
・メタフィクション:語り手が前面に現れて読者に向かって語り自体について言及する。
・結末:閉じられた終わり(はっきりした解決)、開かれた終わり(無限の異なった解釈が可能)。

●批評理論篇の内容
・伝統的批評:道徳的批評(『フランケンシュタイン』は道徳的か否か)、伝記的批評(作者の夫がフランケンシュタインのモデル)。
・ジャンル批評:ロマン主義文学、ゴシック小説、リアリズム小説、サイエンス・フィクション。
・読者反応批評:読者としての怪物。
・脱構築批評:テクストが論理的に統一されたものではなく不一致や矛盾を含んだものだと明らかにする。
・精神分析批評:フロイト的解釈(作者の創作とフランケンシュタインの怪物創造の関連)、ユング的解釈(集団的無意識としてのアニマ(男性の心理に潜む女性的精神)/アニムス(女性の心理に潜む男性的精神)との関連)、神話批評(『フランケンシュタイン』は英雄の原型をパロディ化した物語)、ラカン的解釈(フロイトの理論に言語の要素を加えて、フランケンシュタインをエディプス・コンプレックスを乗り越えられなかった男の話として読む)。
・フェミニズム批評:『フランケンシュタイン』は子供を産むことに対する母親の不安を書いた「出生神話」。
・ジェンダー批評:ゲイ批評(フランケンシュタインとクラヴァルはホモだちで怪物は性的伴侶を奪われた苦悩を味合わせるためにクラヴァルとエリザベスを殺した)、レズビアン批評(ジャスティーヌとエリザベスの会話はレズ的)。
・マルクス主義批評:文学作品を歴史的「産物」として扱い、その生産に不可欠の政治的・社会的・経済的条件を探求する。産業革命が起きて人工的に作られた新興労働者はばらばらの人間の寄せ集めで統一を欠く怪物。
・文化批評:価値評価で作品を位置づけず、文化的背景で作品を関連付ける。『フランケンシュタイン』や怪物は他の文学、演劇、映画にも取り入れられて書き換えられていく。
・ポストコロニアル批評:西洋に植民地化された第三世界の文化の研究。作者が第三世界をどう書いているかに焦点を当て、『フランケンシュタイン』のトルコ人父娘にはキリスト教徒の西洋的価値が付与されていて帝国主義による東洋世界の定型化があり、クラヴァルのインドでの植民地建設やウォルトンの北極探検などのヨーロッパ人による帝国主義的侵犯は挫折している。
・新歴史主義:文学作品を歴史的背景との関連で研究するのが歴史主義だが、新歴史主義はニュー・クリティシズムで歴史的背景が無視されたところにまた歴史の要因を持ち込み、歴史を文学作品の背景とみなさずにより広範なものとして社会科学として位置づける。『フランケンシュタイン』は単に先行する神話や文学作品とつながりがあるだけでなく、人間を機械とする新しい見方もとりいれている。
・文体論的批評:テクストの言語学的要素に着目して、語や語法をいかに用いているかを科学的に分析する。『フランケンシュタイン』は曖昧な言い方をしたり言葉を濁したりするのが特徴。
・透明な批評:不透明な批評(テクストを客体として見て形式上の仕組みをテクストの外側に立って分析する方法)と透明な批評(テクストの中に入り込んで論じる方法)。フランケンシュタインはどこへ行ったのかをテクストの中に入り込んで考える。

●感想
小説技法については、ここに書かれている技法が小説技法のすべてというわけでもないし、技法を知ったからといっていい小説が書けるというわけでもない。しかし小説投稿サイトに投稿している素人の小説が多少ましになる程度の役には立つかもしれない。
下手なエンタメ作家は作者が登場人物になりきって一人称で自分語りするイタコ芸が多い。これを文学理論用語でいうと内的焦点化で叙述しているわけだけれど、作者が異性の登場人物を書くときにイタコしきれなくてリアリティがなくなるし、異性をイタコするのが苦手だからといって同姓の登場人物をイタコする楽なやり方を続けるといつまでも上手くならないし、使える技法のバリエーションも増えないのでワンパターンになる。一方で三人称だと焦点人物が増える分だけ構成が複雑になって、作家の技量が作品に反映されやすい。
というわけで、手っ取り早く小説を書きたいという人は一人称で書けばいいけれど、歴史に残るような傑作小説を書きたいという人は三人称で書くほうがよい。

批評理論については、文学専攻の学生は理論を一通り知っていると卒論のテーマでどの作家のどの作品をどう論ずるか、あるいは既に論じられた事にどう反駁するかという論旨を決めやすくなるので、この本を読んでみて損はないと思う。しかし広く知られている理論だからといってそれが正しいというわけでもなく、ソーカルが科学用語をいいかげんに使っていたジャック・ラカンやジュリア・クリステヴァを批判したように、難解そうな用語を無駄に使う衒学にまどわされないように注意したほうがよい。
それに理論というのは単に偏見でこじつけるだけにもなりかねないので、ひとつの見方だけで作品を論じるのでなく総合的に作品を見る必要がある。たとえば151ページに解釈が衝突する例が載ってあって、精神分析批評では怪物はフランケンシュタインの自我の一部で怪物はフランケンシュタインの分身だから怪物が彼に代わって本能や醜悪さを抑圧する周りの人々を破壊していると解釈して、フェミニズム批評では女性の表彰としての怪物が家父長制を破壊すると解釈して、マルクス主義批評では労働者階級の表彰としての怪物が資本主義を転覆させる話として解釈して、ポストコロニアル批評では植民地の表象としての怪物が帝国主義を転覆させる話として解釈して、解釈が矛盾しあって互いに脱構築して作品に中心的な意味がないと言っている。こういう批評は違う色のサングラスをかけた人同士が花の色を議論しているようなものでお互いに話がかみ合うことはなく、どれかの解釈だけが正しいということもないので、ひとつの批評理論だけを研究してもあまり意味がない。だからといって理論を満遍なく理解する必要があるかというとそうでもない。たとえば私が猫批評理論の創始者になって、怪物は飼い主を探している野良猫の表象で、フランケンシュタインの気を引いてかまってもらうためのいたずらとして関係者を殺していく物語として無理やり解釈しても説得力がないようなもので、くだらない理論ならまともに相手にしなくてもよい。

さて文学理論を知ると読書に役に立つかというとそうでもない。結局は読者にとって重要なのは作品が面白いか否か、金を払って時間を費やして読む価値があるかという点で、それは理論とは違った指標だし、文学研究者でない一般人が理論を知ったからといって作品がより面白く感じるというわけでもないし、自分にとってつまらない小説を理論で面白い小説に変えることはできない。理論を知るメリットがあるとすればなぜその小説が技術的にへたくそでつまらないのかを説明しやすくなるというくらいしかない。
読書をする際に理論武装してビシバシ分析すればいいのかというとそうでもなく、素直に直感で面白いと思う小説を読めばいいし、つまらない小説は古典の名作だろうが無理して読まなくてもいいと私は思う。たとえばエズラ・パウンドの詩のような「教養ある読者」の教養水準がものすごく高い難解な作品は教養がないアホな私には評価不可能なのであまり面白くないし、苦労して読むくらいなら別に読まなくていいと思っている。私は読者としてあらゆる小説を完璧に理解しなければならないという義務があるわけではないし、私が作者が想定した読者像からはずれているのは私のせいではない。論語に知好楽というのがあるけれど、無理して難解な作品を読んでもただ内容を知るための読書にすぎず、その作品が好きでもなくて、読書が楽しくないなら、そんな読書をやってもあまり意味がない。つまらない読書は暇な文学研究者に任せておいて、一般人はラノベだろうが官能小説だろうが自分の教養に見合った面白い小説を楽しめばよいと思う。

★★★★☆

批評理論入門 『フランケンシュタイン』解剖講義 (中公新書) [ 広野由美子 ]







最終更新日  2017.08.14 16:42:29

Copyright (c) 1997-2017 Rakuten, Inc. All Rights Reserved.