山崎豊子『沈まぬ太陽』
航空会社で組合活動をして経営陣と対立したせいで海外の僻地をたらい回しにされた恩地が飛行機墜落事故後の企業の体質改善のために抜擢される話。●あらすじ・アフリカ篇上国民航空のアラフォーの恩地元(おんちはじめ)は中近東からアフリカの僻地に送られて、仕事の合間に狩りをしている。ナイロビでの会議で社長にナイロビ就航を促すものの、本社はやる気がなかった。恩地が左遷された原因は労働組合だった。恩地は本社予算室の精鋭に抜擢されたエリートで委員長をやる気がなかったのに労務部の八馬から勝手に委員長に名指しされて、薄給激務で作業員が事故死したりする中で恩地がまじめに組合員のために会社と交渉しても会社が賃上げや労働時間削減に応じないので、首相が海外訪問から帰るタイミングでストを起こして桧山社長や堂本常務らの経営陣と揉める。副委員長の行天が肝炎になったので恩地が二期委員長をして泉沢が次期委員長になると、恩地は懲罰的人事でパキスタンのカラチ支店への転勤命令がでて、組合が不当配転に抗議して自主的にビラを撒くと会社は恩地の指示だと言いふらして、桧山は二年で戻すと言って配置転換を強行して、堂本は行天に恩地がアカで組合を利用していたと吹き込んで行天を組合活動から遠ざけた。恩地はカラチ支店で総務をしながら妻子を呼んで生活していると、スチュワーデスの三井美樹から行天が堂本や八馬と仲良くして出世してサンフランシスコ支店に栄転することを知る。パキスタンがインドに宣戦布告してカシミールで戦闘が始まって恩地は邦人の救援機手配の対応に追われ、視察に来た八馬に詫びて組合と縁を切れば日本で管理職にしてやると言われるものの断る。沢泉からの手紙でサンフランシスコで整備ミスが原因で起きた飛行機事故を会社が隠蔽しきれずに行天が安全神話に仕立ててうまくごまかして切り抜けていたことを知る。恩地は日本に戻れずにテヘラン支店を開設するためにイランに転勤になる。・アフリカ篇下恩地が島津支店長の下でテヘラン支店の開設準備をしていると、母が死んだと連絡が来て日本に戻り、桧山社長は2年で日本に戻すと約束する。その頃会社では畑委員長による経営陣側の新労働組合が作られて1社に2つの労働組合ができる事態になり、旧組合は引き抜き工作や不遇な配置転換を受けて規模が縮小していた。島津は様々なトラブルに対処して就航にこぎつけたのちに日本の子会社の役員になり、恩地は妻子を呼ぶ。元上司の人事部長の清水がテヘランに来て恩地が今後組合活動をしないなら日本に戻すと言うものの、恩地は旧組合員のために断ると、アフリカへの就航準備のためにケニアのナイロビに無期限で一人で行くように辞令がでて、納得できない恩地が出張の理由をつくって日本に戻ると桧山が入院して泣きながら謝るので、もはや桧山が社内に影響力がないと悟って恩地は辞令を受けることにすると、運輸省から天下りした小暮副社長が社長になる。恩地はナイロビで一から営業所を作り、コーヒー農園主の耀子ヒギンズのパーティーに呼ばれて獣医の兵庫らと交流する。妻子が来て、妻は子供を預けて恩地と暮らすというものの、恩地は会社に負い目を負わせたいので断る。ロンドン発羽田行きの国民航空の飛行機がニューデリーで墜落して行天が事故調査にあたり、副操縦士のミスだという結論になって国民航空の信用が落ちるものの、小暮社長は続投してケニア政府との交渉を打ち切り、恩地は放っておかれたのでやさぐれる。小暮は国会に呼ばれて責任を追及されて、組合活動をしたために十年僻地に飛ばされた恩地のことが話題になり、団体交渉で恩地が日本に帰れることになり、都労委で不当人事を証言すると都労委が会社の非を認めて全面勝利するものの、堂本は小暮を見限って都労委の是正命令に従わずに裁判をする方針を固める。1974年に恩地に日本帰還の辞令が出る。・御巣鷹山篇堂本が社長になり、54歳になった恩地は閑職の国際旅客営業部で国民航空の創立記念パーティーでケニア大使の相手をしていると、御巣鷹山に飛行機が墜落して自衛隊が救助に向かう。国民航空の山岳部員が招集されて恩地も救援隊に加わるものの、警察は国民航空を加害者として現場への立ち入りを禁止したので、藤岡市に待機している乗客の家族の世話係をすることになる。行天は事故原因を調査しようとして警察の許可を取らずに生存者の落合に面会に行って新聞に証言を載せたことが群馬県警や記者の熊野の怒りを買う。ニューヨークタイムズが事故原因は7年前の1978年のボーイング社のしりもち事故の修理ミスだとスクープして、修理ミスに気付かなかった国民航空も批判される。49日の慰霊祭が終わって現地対策本部が解散してひと段落ついても、恩地らは現地に残って遺族対応をしていると、恩地は窓際族を集めた大阪の遺族相談室の応援に駆り出されて遺族と補償交渉をすることになる。辞任を決めた堂本社長は弔問行脚をして遺族に批判されて、遺族会の「おすたか会」が国民航空を告訴して聴聞会が紛糾する。・会議室篇上利根川総理は国民航空を新体制にするべく参謀の龍崎を使って労務に明るい関西紡績の国見を会長に据え、海野社長と三成副社長が就任する。国見は現場の声を聴いて回り、国民航空労組、新生労働組合、乗員組合、客室乗務員組合に分裂して昇給差別されている状況を知って、組合統合のために会長室の部長に恩地を抜擢する。次期社長を狙う堂本派の秋月専務は国見に事故の責任を取って辞めろと言われ、新生労働組合で裏金作りをしている轟の金で人事権を持つ運輸大臣に働きかけて留任工作をするものの、轟は秋月を見限り、専務が廃止される代わりに行天が常務に昇進した。国見はコクピットを見学したり海外支店の社員から役人のたかり体質を聞いたりして実態を把握していると、新生労組委員長の長野が自殺して生協の納入業者から益田の汚職を告発する文書が届いたので恩地が裏付けをとるように命じられて国航商事専務の伊部に助言を求めて調査するものの、労務部の畑は秋月の復帰を信じて恩地に協力しようとしなかった。行天は三成と画策して懇意の記者に新生労組の会長批判の新聞記事を書かせて、旅行代理店からのキックバックで私服を肥やしていた田丸営業本部長は三成の永田町への中元用に一億円を集める。恩地は御巣鷹山に登り、贖罪の意識がない社内の連中をはびこらせてはいけないと決意する。・会議室篇下規制緩和で路線獲得競争が起きて、新生労組と通じている運輸族議員が国見を批判して、利根川総理も国見が無報酬で働いていて利権獲得に与しない厄介者だと気づく。義憤にかられた監査役の和光は国見にドル十年先物予約の巨額の為替差損と国航開発の社長の岩合ホテルの乱脈経営を進言して、恩地はニューヨークのグランドホテルの調査に行く。行天は航空局の石黒課長の愛人との密会用のマンションをペーパーカンパニー名義で購入してやり、社長命令で恩地を止めるためにニューヨークに行き、恩地より先に事情を調査して出世のために秋月と岩合を解任して力を削ごうと考える。岩合は雑誌に国見批判の記事を書かせて、恩地たちも広報部の行天が動いていることに気付く。国見に相談された元総理の永田が問題を預かり、記者に公表する。行天にペーパーカンパニーの社長にさせられた細井は顛末をノートに書いて東京地検特捜部に送って自殺する。十年先物は副総理の竹丸と日本産業銀行会長の池坊がインドネシアのODAを利用した裏金作りだったので閣議決定で国民航空の経営責任は問われないことになる。国見は総理の背任を知って岩合を解任してから辞任する意向を龍崎に告げると留意された挙句に更迭させられて、恩地には海野からナイロビ支店長になる辞令がでて、会社の思い通りに解雇されないために嫌々ナイロビに行く。行天は東京地検特捜部に呼び出される。●感想三人称。山崎豊子は新聞記者上がりの小説家のせいか、淡々としたドキュメンタリー風の文体でポエジーや遊びがない。1冊400ページで5冊分もある長編小説なのに、各章を盛り上げるためのストーリーアークが練られていないのはつらい。三人称しか書きなれていないのか、2巻で耀子ヒギンズが一人称で語る部分は下手で不自然な語りになっている。構成も下手で、アフリカ篇の冒頭部分でアフリカにいる現在と労組の過去の時間軸がちょくちょく変わるのが読みづらい。冒頭の状況に追いつくまでに600ページ分かかっていて、過去編が長いのなら下手に時系列をいじらずにそのまま時系列順に書いたほうがまし。それに冒頭で恩地が僻地を転々としていることを書いてしまったせいで、桧山社長が2年で戻すという約束を守らないということを作者が自分でネタバレしてしまっている。冒頭で読者が知らない異国の世界を書いて興味を引くのはつかみとしてはよい場合もあるけれど、アフリカを書いてもヘミングウェイほど魅力があるわけでもないし、動物の剥製を経営陣に見立てて撃つというのは安直にとってつけたような比喩で、その辺は文学的な工夫が乏しい。小説に「チェーホフの銃」という概念があるけれど、物語の前半で銃を持ち出したなら後半で使うべきなのに、アフリカ篇の最後で脇役のヒギンズに友情の証として銃をあげてから銃の出番がなくなり、結局恩地はただ銃を撃ったことがあるだけの人になっていて日本に帰ってからはハンティングの経験がまったく役に立っていないので、プロットの後半で銃を使うつもりがないなら無用な脱線は書くなという話である。内容としてはアフリカ篇は恩地が会社にいじめられる話が延々と続くけれど、恩地が自発的に行動するというより恩地の外側の事件に巻き込まれる形で物語が動いていて、恩地がなぜ航空会社に入社して何をしたいのか、なんでうんこみたいな会社にしがみついているのかよくわからない。そもそも海外転勤が嫌なら海外転勤がある会社に入社しなければいいし、無理やり労組の委員長にされてやる気がないなら適当にやり過ごせばいいのになぜか張り切って会社と対立して伝説の委員長になるし、そのくせ国見が会社を改革しようとするといったん社長室を断るし、出世したいのか組合活動をして待遇を良くしたいのか適当に定年まで大企業にしがみつきたいのか何をしたいのか意味不明。過去編を遡るなら新入社員時代の恩地の動機も書けばいいのに、そこを書かないので恩地に目的と動機がなくなっていて、物語の芯がない。会社の理不尽が気に入らないにしても、カラチで八馬を闇討ちするなり社長の約束の言質を書面に残すなり会社を辞めて外資系に転職するなり自分で会社を立ち上げるなりすればいいじゃんと思うのだけれど、恩地が経営陣に突っかかる割には喧嘩のやり方が下手だし結局は会社にしがみつこうとしているし、ヘタレの泥仕合を見ても面白くないので1巻を読み終わった時点でもう恩地に主人公としての期待をもてなくなった。会社が理不尽というより恩地の先読み能力がなさすぎて短絡的だし、ナイロビの税関でわざわざ職員を挑発して逮捕されるくだりは馬鹿すぎるし、恩地がエリートと言う設定に説得力がなくなっている。2巻の中盤からは恩地本人のネタが尽きたのか大企業の腐敗というテーマと無関係の現地人のエピソードの寄せ集めになっているのもよくない。パキスタンに妻子呼んで返して、イランに妻子呼んで返して、ケニアに妻子呼んでと同じことを繰り返しているのも話が冗長で、左遷ツーリズムとでもいうようなまだるっこしい展開。観光情報を知りたくて小説を読むわけじゃないんだからさっさとテーマを進めてほしいのに、伏線にもならない脇役がどっちゃり出てきて身の上話をしだして無駄に冗長になっている。恩地はサイの密猟を問題視している割には象牙をコレクションしていて、当時は象牙が合法だったのだろうけれど、この時代の人の倫理観はどこかおかしい。恩地を主人公にするなら御巣鷹山篇は恩地の視点から事故や会社の対応をどうとらえたかということを書くべきなのに、事故が物語の中心になってしまっていて、恩地が不要な脇役になっているのは小説としては決定的な欠点である。一部の遺族や関係者の名前は実名で書くのも中途半端で、ノンフィクションをやりたいのかフィクションをやりたいのかどっちつかず。補償問題のオチもついていなくてほったらかしたままになっている。取材と資料をもとにして書いたせいでこんな書き方になったのだろうけれど、御巣鷹山篇全体が小説というより山崎豊子選の事故エピソード集になってしまっていて、小説としては見どころがなくなっている。さらには会議室篇は国見が主役になっていて恩地はお使いを頼まれる程度で出番が少なく、国見が理想主義者として書かれているのに対して恩地が企業や仕事をどうとらえているのかが掘り下げられていない。恩地がライバルの行天を直接追い込むわけでもなく行天にやられっぱなしで、行天は終盤にぽっと出てきた脇役にちくられるという取ってつけたような終わり方で、政治家の裏金のほうはうやむやなまま。長編小説でこのオチは雑すぎる。恩地の娘の結婚式に行天を呼ぶ話題を出しておきながら結婚式の様子は書かないとか、岩合は解雇されても轟や益田の処遇は書かれていないとか、終盤に来ても投げっぱなしの脱線があちこちにあって、プロットがしっかり組み立てられていないので長編小説に見合うだけのカタルシスもない。取材して事実に基づいて小説的に再構築したものだと記して主要参考文献を80冊くらい列挙しているように、この作者は小説家というよりは情報をまとめるノベライズ作家で、ネットがなかった当時に一般ピープルが知らない業界で偉そうにしている連中の実態をあばくという着眼点こそよいものの、本や取材から得た一次情報を解釈しなおして別の物語として昇華させる力が弱い。飛行機墜落とかのセンセーショナルな話題で細部のリアリティがあるように書かれていると一見してよくできた小説のように見えるけれど、人が大勢死んだ様子を書けばすごい小説になるわけでもないし、登場人物が揉めれば面白くなるわけでもないし、ページ数が多いから傑作になるわけでもない。小説は単に出来事を列挙するのでなくテーマや構成が大事である。調べたことを全部書こうとして登場人物を増やしすぎて余計な脱線だらけになって、利益優先の大企業に逆らう人道主義者の恩地の話で始まったのに途中から主人公不在になって小説としてのテーマを掘り下げられなかったという点では失敗作である。作者は盗作で有名なのでどんなもんじゃろうと思って読んでみたものの、やっぱり盗作するような人は小説家の資質としてどこか欠けていて、小説として何が必要なのかを理解していないんじゃないかと思う。これなら事故遺族がなけなしの補償金を集めて恩地がケニアのヒギンズに頼んでウェズリー・スナイプス似の巨根の凄腕アサシンを雇ってコンクリートジャングルの巨悪を狩っていく痛快アクション巨編とかのほうがまだましだった。★★★☆☆沈まぬ太陽(一) ーアフリカ篇・上ー【電子書籍】[ 山崎豊子 ]