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カテゴリ:その他・考えたこと
こないだ『プロメテウス』という映画を見たのだけれど、どんなウイルスや細菌がいるかもわからないのにウェーイ系乗組員がいきなり宇宙服のヘルメット外したり、調査が始まったばかりなのに船に帰ると言い出す奴がいたり、仕事が終わってないのに船内でいちゃいちゃする奴がいたり、未知の生物に不用意に手を出して噛まれる奴がいたりして、何兆円もかけた宇宙探索プロジェクトのわりにお前ら幼稚園児かよというくらい協調性や計画性のない自己中心的な馬鹿ばかりでひどいものだった。あまりにもひどかったので、なぜSF映画がつまらなくなるのか考えることにした。 ●登場人物がだめ人間ばかりで魅力がない ・トラブルは見せ場になるけどだめ人間を見せ場にしてはいけない SF映画では宇宙船の乗組員が順調に作業をこなしていたらたんなる作業映像になってしまって見せ場がない。そこで宇宙生物がいたり、天変地異が起きたりして、予想外のトラブルの対処にてんやわんやするのがSF映画の見せ場になる。しかしそのトラブルの原因を登場人物の性格に頼るのは安直なやり方で、宇宙を舞台にする必然性さえなくなるのでだめである。『アルマゲドン』のように急ごしらえの民間人チームなら不和や連携ミスが起きるのにリアリティがあるけれど、『プロメテウス』は企業が入念に準備した宇宙探索計画なのに命令を無視する馬鹿だらけでリアリティがない。 ・登場人物が活躍しないので魅力がない 基本的に宇宙船は高いし乗員も限られるのでエリートしか乗れない。『プロメテウス』の宇宙船のクルーは専門家ぞろいらしいけれど、専門的知識を披露して活躍する場面がないまま自己中心的な行動をして失敗する場面だらけなので、まるで専門家に見えないし、専門家ならではのかっこよさがどこにもない。 ・登場人物が成長しないので魅力がない 主人公が馬鹿というのは少年漫画にはよくあるけれど、少年だから馬鹿でもまだ許されるしその後にイニシエーションと精神的成長が待っているから成立するのであって、いい歳をした大人の宇宙飛行士が馬鹿だったら今まで何をやってきたんだという話になる。人間は失敗から学んで成長するけれど、だめな宇宙SF映画は失敗が死亡フラグになって失敗を反省して成長する前に死んでしまって、コイツ何しに来たんだという呆れた感じだけが残る。 ・登場人物に動機がないので魅力がない 『エイリアン』は人命よりも金儲けを優先しようとする資本主義への批判や、アンドロイドを信用できるか否かという葛藤があったので、それが主人公のリプリーの行動の動機になっていて物語にリアリティがあった。しかし『プロメテウス』の主人公のエリザベスは仕事中に恋愛したりいきなり人類を救うだの言い出したりして場当たり的な動機しかなくて、科学者としての知性が感じられないだけでなく人間的魅力もまるでない。さらに巨人が人類を滅ぼそうとする動機についても不明なままで、エリザベスがこれから探すというオチで物語が終わっていて、作中で話が完結していない。『プロメテウス』はエイリアンシリーズの前日譚だそうだけれど、これでは単なる蛇足である。たくましいリプリーなら一人で何でもやるだろうけれど、エリザベスみたいなポンコツが一人で巨人の星に行ったところですぐドジ踏んで死ぬだろというようにしか思えないので、主人公がダメなせいで含みを持たせる終わり方が裏目に出てつまらなさを際立たせてしまっている。 ●敵に魅力がない いいフィクションというのは敵にも魅力があるものである。『プレデター』は宇宙から来た侵略者でありながら動機や個性を持っていて、強い相手を戦士として認めて最終的に人間とコミュニケーションがとれているところが面白い。『機動戦士ガンダム』シリーズは地球と月の人間が敵対する話で、敵も思想や個性を持つ人間だからこそ面白くなる。この敵の設定が突き詰められていないことが宇宙SF映画のつまらなさになる。 いいフィクションというのは登場人物や視聴者に価値観の転換をもたらすことがある。正しいと思っていたことが間違っていたり、悪だと思っていたことが悪でなかったりして、登場人物たちは本当にこれでよいのだろうかと逡巡したりして、思想を深めて人間味を増していく。スタジオジブリの映画なんかは典型的で、『風の谷のナウシカ』で人類を滅ぼす敵だと思っていた腐海や蟲が実は環境を回復させているとわかってナウシカが人類と蟲の和解の仲介役をしたり、『もののけ姫』でアシタカは対立している人間ともののけの間に立って共存できる道を探してエボシを説得したりしている。 ●まとめ だめなSF映画は登場人物の人間性を捻じ曲げてまで無理やりSF的な話を展開しようとして、人間の物語でなくなることがつまらなさになる。登場人物が苦境に直面したときに人間らしく苦悩して奮闘するからこそ人間である視聴者は共感して感動するのであって、地球外生命体や宇宙船やロボットとかのギミックが出てくるSF的な展開にしたら無条件で面白くなるわけではなく、その設定の中で人間が表現できていなければその設定にすること自体に意味がなくなる。結局は人間に向き合わないとよい物語は作れないのである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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