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燦こけし by 松田ひろむ

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弥治郎系

2020年03月22日
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カテゴリ:弥治郎系

古作!佐藤栄治22㎝が出現、ただいま101.5万円!

ヤフオクで今日終了の佐藤栄治(飯坂)22㎝が大変なことになっている。画像のように若干の傷はあるものの描彩がはっきりとしているもの。これは欲しいを思っていたが1000円スタートでどんどん競り上がって現在100万円をこえ1,015,000円(税込み)となってしまった。こうなると小生の資力では指をくわえて見ているしかないが、せめて画像は資料としては残して置きたいもの。なお出品者は佐藤喜一、栄治型としているが、喜一ではなく栄治だろう。

本日(322日)2142分終了だが、普通は終了の直前に競り上がるもの。とすればこれで収まるはずもない。どうなるか、ただいまは見守っているしかないようだ。

過去の高額落札結果のベスト5は以下の通り。今回の栄治はこれに迫るのではないだろうか。

(過去の高額落札結果2010-2020年)

   奥山運七32cm 3,001,000円、20014103

   奥山運七25cm2,223,222円、2015731

   盛秀太郎152,202,000円、2014919

   佐久間浅之助17.5cm2,001,0002014104

   大沼岩太郎(推定)181,901,00020171216
★結果として1,123,100円(税込み)での決着となった。最終的には2名の競り合いでそれ以外のの参戦者がいなかったので、この金額となった。小生は途中で諦めて4番手だった。
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最終更新日  2020年03月23日 08時56分49秒
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2020年02月06日
カテゴリ:弥治郎系

東武百貨店『伝統工芸展WAZA2020』に新山吉紀・真由美工人

新山吉紀・真由美工人夫妻から「伝統工芸展WAZA2020」のご案内をいただいた。こけしは宮城伝統こけしとして新山夫妻のみの参加らしい。新山夫妻とは昨年の弥治郎こけし村以来なので、会いに行く予定。やはり私にとっては弥治郎といえば栄治・喜一型だろうか。案内はがきにも小さいながら栄治・喜一型が掲載されている。

<伝統的工芸品展 WAZA2020>

2020年2月20日(木)~25日(火)10時~20時(25日は17時まで)

場所:東武百貨店池袋店8階催事場
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最終更新日  2020年02月11日 13時34分10秒
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2020年02月03日
カテゴリ:弥治郎系

完成形か?ゆき子春二型三態 2/3

最近、東京こけし友のなどで、井上春未(はる美・はるみ)に注目している。それに関心があるとなぜか、母の井上ゆき子も欲しくなってきた。

たまたまヤフオクなでで、ゆき子の春二型のタイプを入手することが出来た。春二型といっても形態はいろいろ。胴模様も旭菊や重ね菊など。これが春二型としては優れた完成形ではないだろうか。

向って左から24.5㎝「55106日 地蔵型」との書き込みがある。私のイメージの地蔵型とは違うように思えるが、そう言われればそうかなという感じ。中央は27㎝。もっとも丁寧な作で表情もよく保存状態もいい。これは「群馬伝統こけし愛好会創立10周年」の印がある。創立10周年ということは1996年(平成8年)である。これは会長の井田丈夫氏(前橋市)にお聞きして判ったことである。すでに25年前の作であるが、新品同様の保存状態がうれしい。左は細胴段付きで一側目。これには「59.1」つまり1984年の作であった。ゆき子工人48歳から64歳までが揃ってどれもお気に入りとなりそうである。


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最終更新日  2020年03月05日 23時40分34秒
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2020年01月21日
カテゴリ:弥治郎系

謎の多い西須正芳(政芳)を入手・きかん気な少女

西須正芳(にしす まさよし)とは聞いたことのない工人であるが、きりりとした表情に魅かれて入札。戦前作ということもあって、思いもよらず9名の競り合いとなったが、運よく落札することが出来た。13800円とは小生としては相当厳しい額だった。ヤフオク2020119日終了。18㎝。

入手した本品は、細めの二側目もきりりとして、きかん気な少女のようで眺めて飽きないものがある。気品があるといってもいいだろう。胴模様は赤と緑の重ね菊で、緑はかすかに残っている。胴底は切りっぱなしで旧蔵者によって「西須正芳」と書込みがある。他の文字は判読が難しいが「弥治郎」と読んだ。『こけし辞典』の鹿間蔵に近いのでおそらく昭和10年から13年ごろのものであろう。

西須正芳は『こけし辞典』(M)に詳しいが、弥治郎系といいながら蔵王高湯系の影響もあるという。ただし本品は弥治郎系として問題はないものだろう。

西須正芳は謎の多い工人で、『こけし辞典』では本名政義とし「西須正芳」として立項しているが文中ではすべて「政芳」と書いてある。『東北のこけし』でも「西須政芳」で蔵王高湯系に掲載されている。政芳名義には弟政広のものが混入しているというが、『東北のこけし』では、一側目の政広を別に掲載している。これは『こけし辞典』の政芳名義の小山蔵(S16)に近いので、とりあえず一側目は政広。二側目は政芳としておく。もちろん本品の様な二側目が好ましい。

 ヤフオクでは過去10年間に12点の落札があり、うち4点はえじこ。名義はここでも「正芳」と「政芳」と二様がある。ただし、えじこの裏に本人の署名と思われるものに「米澤市 西須政芳 三十四」とあったので、工人としては「西須政芳」と統一しておくべきだろう。そうすると『こけし辞典』の見出しの「正芳」は誤りということになる。

 欲目ではないが、政芳のこけしでは、本品がもっとも出来が良いと思える。


【西須正芳】にしす まさよし(1907-1945

〔人物〕明治40年、米沢市御守町に西須政太郎長男として生まる。本名政義、こけしに署名するときだけ政芳を用いる。大正9年県立米沢工業学校を卒業、春日町で石井木工所を経営していた石井酒(みき)に弟子入りする。石井酒は名古屋で修業した木地師でこけしは作らず、小林吉太郎より下請の仕事の依頼を受けて、木管、糸巻き等を製作していた。昭和2年に年期が明け、北寺町で独立開業。職人として撟本力蔵を雇い入れ、こけしを初めて知り、蔵王高湯の能登屋岡崎嘉平治方でこけし作りを覚えて帰郷した。 昭和4年米沢市御守町に西須木工所を設立、ボビン織機等の撚糸関係の木地製品を挽くかたわら、こけしも作るようになった。 職人として平塚安兵衛が昭和45年ころに、佐藤伝喜が8年から11年まで、佐藤伝伍が9年ころから、佐藤豊治が10年ころよりそれぞれ働いた。昭和5年より弟政広、同7年に弟政明を弟子とした。この間伝喜•伝伍兄弟のこけしを模したこけしを作り始め、昭和9年ころより販売用に作ったという。昭和16年、東京の茶房「鴻」でこけし製作実演。昭和20615日米沢で没。39歳。同木工所は弟政広が受け継いだ。

〔作品〕橋本力蔵や岡崎嘉平治のこけしを見本として作つたと言われるが、 このころのものは残っていない。現在残っているのは昭和8年以後のもののみである。このころは頭のベレーや前髪、胴紋様が伝喜のこけしと酷似しており、完全な弥治郎系といえる。昭和123年ころから 旭日菊を赤と緑で交互に描くようになり、 蔵王高湯系の影響が見られる。昭和145年ころよりこけしを多量に作り始め、菖蒲を描いたり、髫付等を出し、新型こけしの嚆矢であった。西須兄弟のこけしはすべて政芳名儀で知られたが、政広のこけしがかなり多数まぎれこんでいることがわかった。〔伝統〕弥治郎系。一般型。佐藤伝喜の影響が最も強いが、橋本力蔵、岡崎嘉平治、佐藤豊治等の影響も若干ある。晩年の作は彼自身の工夫が加わり、一概に弥治郎系とはいえない。(『こけし辞典』(M))

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最終更新日  2020年02月04日 00時42分21秒
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2020年01月03日
テーマ:こけし探訪(85)
カテゴリ:弥治郎系

花屋商店(昭和1617年)の渡辺求25


戦前作いわゆる古品はなるべく求めるようにしているが、お正月早々に岩代熱海の渡辺求の
25㎝がやってきた。頭部の緑は消え眉間に小さなアタリ傷があるものの落札結果5100+送料850円はまずまず。

胴底に「渡邊求製作」「熱海コケシ」「岩代熱海温泉花屋商店」と右書きの三行のスタンプがあって、KokeshiWikiによれば、これは昭和1617年ということらしい。それはいいのだが、求は当時郵便局の配達夫をしていて寡作だったため遠刈田の佐藤好秋の代作があるという。これはまさにそれ。好秋の場合は上部の菊の模様の先が下がるというが、これは蝶のように上がっている。求に間違いない。

戦前は撥鼻というがこれは猫鼻。「木の花」14号によれば後期のもの。緊張感という点では中期にやや劣るが、面描をよくみるとしっかりした意志が感じられ、また一種のほのぼの感もあって、これはこれでいいものだろう。花屋商店のスタンプも今となっては貴重。

なお熱海は「あたみ」と読む。これは旧領主安積(伊東)祐長の出身地の伊豆の熱海温泉に因む。なお旧国鉄の駅名は1898年「熱海駅」(岩越鉄道)-1925年「岩代熱海駅」-1965年「磐梯熱海駅」と変遷している。 【渡辺求】わたなべ もとむ(1898(明治31)-1968(昭和43)

[人物] 福島県双葉郡浪江町権現堂に10人兄弟の四男として生まれる。家は金具鍛冶職で、親、兄弟に木地の関係者はいない。父が毎年鎌先温泉に湯治に行っていたので、木地細工に目をつけ、明治44年、14歳の求を宮城県弥治郎の佐藤栄治に弟子入りさせた。求は佐藤栄治やその長男伝内について木地を修業した。相弟子に蔦作蔵、鎌田文市、本田鶴松、佐藤雅雄などがいた。そのころ、青根からきた伝内の従兄の佐藤久蔵や先輩の本田鶴松、伝内の末弟の五月などの指導も受けたという。大正7年、21歳のとき7年間の年期があけて、引き続き3年間職人として給料を貰って働いた。ついで、そのころ弥治郎にいた本田鶴松の家で働き、その後、浪江に帰って大国屋木工場で会津から来た5人の職人と共に働き、約1年火鉢や傘のロクロなどを挽いた。その後、一時上京して船員を志望したが果たせず、市電の車掌になったが東北訛りで停留所名を乗客に正しく伝えられず断念して東北に戻った。その後、青森県三厩の佐藤(白川)久蔵、弥治郎の佐藤栄治、小野川の蔦作蔵、飯坂の佐藤栄治、白石の鎌田文市などのところを転々とし、昭和4年岩代熱海(現在の磐梯熱海)に落ちつき、独立して木地屋を開業した。しかし、磐梯熱海は木地製品の販路狭く、売り上げも限られていたので、昭和13年より同地の郵便局に配達夫として勤務した。以後、余暇にこけしを製作した。昭和36年ころ、郵便局を退職し土産物店を経営のかたわらこけしを挽くようになった。
昭和38年自宅の前に住んでいて幼いころから可愛がっていた佐藤孫右衛門の長男佐藤正が弟子入りを志願した。正は鉄道の保線区勤務のかたわら木地を挽き、昭和40年から渡辺求譲りのこけしを作る様になった。
昭和42年ころより体力、視力衰えこけしの製作量は非常に少なくなった。最晩年には佐藤正のこけしを店に並べていた。(KokeshiWiki

[作品]〈こけしの追求〉によれば師匠の伝内はこけしを作らず、主に伝内の父栄治がおもちゃを挽き、こけしは上手であったという。明治末年から大正初年にかけての弟子時代はこけし専門に作り、主に7寸までで6寸からはめ込みにし、5寸で五銭位であったという。
中屋惣舜旧蔵品は、一見青根風の作りつけで、中屋惣舜は佐藤久蔵に仕込まれた頃(大正25年)の作ではないかとしている〈木の花・14〉。 天江コレクションにある4寸(〈図説「こけし這子」の世界・50図)も同種の作。これらはおそらく大正初年ころの作か、あるいはその頃に佐藤久蔵に仕込まれた型を継承して作ったものと思われる。佐藤春二によれば、求は久蔵に強く影響を受けていたという。
昭和4年、岩代熱海に来たころの作品として〈こけしと作者〉〈こけしの美〉96図がある。小野川の蔦作蔵の初期作品に酷似したこけしである。あるいはこの手の作品の中には、作蔵の職人をしていた小野川時代(正末昭初)の作品も混在しているかもしれない。
中屋惣舜は〈木の花・14〉で渡辺求の年代変化を議論しているが、額に描かれる青・赤・青の半円型の飾りとベレーの周囲に描かれる髪との関係が一つの決め手になると指摘している。(1)半円型飾りと髪との間に殆ど空間がない 昭和2~3年以前。
(2)半円型飾りと髪との間に広く空間がある 昭和4~5年ころ。
(3)半円型飾りと髪との間の空間に二筆で斜めの髪をくわえる 昭和
67年以降。
ただし、大筋ではこの傾向が認められるが、必ずしも決定的な鑑別特徴ではないと思われる。〈図説「こけし這子」の世界〉の一本は大正10年に手に入れたものであるが、様式は(2)に近く、また同書掲載の昭和2年入手といわれるものには半円型飾りと髪との間の空間に一筆ではあるが斜めの髪が描かれている。
昭和1416年の作品には、面描に撥鼻、胴下部に牡丹を描く様式のものも作った。
昭和167年頃に岩代熱海駅前の花屋土産物店で売られた渡辺求型のこけしには、店主の依頼で遠刈田の佐藤好秋の代作がある。〈鴻・14〉でその鑑別が議論された。基本的には、胴模様の重ね菊上部花弁が、求の場合は終端が上向きで重ね菊全体が蝶のようになるのに対し、好秋のものは遠刈田式重ね菊で上部花弁も下がったように描かれている。
戦後はややずんぐりした体型のこけしになったが、寡作ながら製作は続けた。昭和42年に体調を崩し、以後はさらに寡作となった。弥治郎の佐藤栄治の作風、さらに佐藤久蔵の作風を偲ぶことの出来た貴重な作者であった。(KokeshiWiki抜粋)
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最終更新日  2020年01月06日 12時02分35秒
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2019年12月12日
カテゴリ:弥治郎系

佐藤喜一復元の面白さ難しさ-旧北原コレクション

新山吉紀工人の佐藤喜一復元作を見比べていると面白いことに気付いた。

それは私の所蔵の昭和13年ごろの旧北原直喜18㎝コレクション写し。これを3本お願いしたのだが、並べてみると微妙に異なるのだ。

それは画像でも判るように目の位置、鼻の形が微妙に異なってそれに伴い印象も異なってくる。特に目尻が鬢まで接しているかいないかで、原も左は離れて右が接しているが、写しはそれが3様となっているのだ。それが手作業の面白さであり、また難しいところでもあるだろう。

画像は左から原、右3本は吉紀工人の写しである。
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最終更新日  2019年12月26日 01時39分23秒
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2019年12月05日
カテゴリ:弥治郎系

12/5新山吉紀の喜一型だるま・人形笛など


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月にやってきた新山吉紀工人の佐藤喜一型だが、こけしだけでなくいろいろな木地玩具もお願いした。

おひなさまは、喜一とは関係がないが、だるまは喜一の色紙によるものという。人形笛(こけし笛)は喜一型と本人型。これは形だけで実際には鳴らないもの(残念)

こんどは佐藤栄治型をお願いしてみたい。『こけし古作図譜』97(鹿間蔵)、『図譜「こけし這子」の世界』45(天江コレクション)あたりが目標だろうか。
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最終更新日  2019年12月13日 10時52分55秒
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2019年10月19日
カテゴリ:弥治郎系

書肆ひやね三土会に初参加-弥治郎と遠刈田 

いよいよ書肆ひやねで開かれている三土会にも参加。1019日。文字通り第三土曜の午後3時から。ここではテーマを決めて講義がある。
今日は鈴木康郎さんの、「弥治郎と遠刈田」(正式な名称は失念)で、弥治郎と遠刈田が街道で峠を挟んで交流があったこと。その中で、婚姻関係もあって互いに、技術的にも影響があったことをスライドと現品を示して説明された。

1時間ほどの講義のあとは、飲み会となる。わたしにとっては極楽の気分。

画像は鈴木康郎さんの佐藤直助、尺だろうか。

また書肆ひやねの通りは神田駅からから西口商店街より一本東京駅寄りの出世不動通り。その名の由来の出世不動は、ひやねの真向いにある。ビルに挟まれて窮屈そうである。

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最終更新日  2019年10月25日 01時44分33秒
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2019年10月13日
カテゴリ:弥治郎系

鎌田孝志・美奈枝の佐藤喜一型

佐藤喜一の復元を新山吉紀工人にお願いしたが、鎌田孝志・美奈枝夫婦も喜一型を作っている。

最近、これもヤフオクで落札することが出来た。鎌田孝志のそれは14.6.7と書込みがあるもので平成14年のもの。しかも孝志工人のものは頭がゆるくてややくらくらと動く。これは原を意識したものだろう。

前に復元をお願いした吉紀工人には仮にABCと3種の型をお願いしたが、それと鎌田孝志夫妻のものと比べると、私が仮にC型とした旧北原コレクションの昭和13年のものと近い。

画像は左から吉紀、孝志、美奈枝と並べてみた。前髪の黒い部分が鎌田夫妻のものがやや大きくて違和感を感じたが、喜一の妖しさはそれなりに感じることが出来た。

喜一型は弥治郎系としては特異であるものの、わたしにとってはなんとも魅力的で、各工人の型にも興味を持った。
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最終更新日  2019年10月17日 23時39分39秒
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2019年06月28日
カテゴリ:弥治郎系

先の614日~16日に開催された挽物玩具ねぎしの<下谷こけしまつり>で、新山吉紀工人に佐藤喜一の復元をお願いし快諾していただいたが、どの喜一をお願いするかいまでも迷っている。

手持ちの喜一を並べているうちに吉紀工人は黒頭しか復元していないことに気付いた。そこで所蔵の喜一のうち頭が手柄のものを復元してもらうのも面白いかと思った。その手絡のものを並べてみたら、いまさらながらその顔(面描)がまったく違うことに気付いた。三本三態であった。

向って左がもっとも古いものと思える。大きさは左から18.0cm、18.5cm、19.0cmと少しずつ大きくなっている。

一番左は眉も眼も比較的中央にあり眼の長さも短い、また鼻もほぼ割れ鼻である。おそらくこれは昭和8年以前であろう。私の思っていた喜一らしくない穏やかな表情である。もしかしたら栄治かと思ったが、鬢が喜一とされているものだった。

中央は眉も眼も長くなる。鼻も割れ鼻上部が直線である。昭和8年以降と思われる。

右は眉が長く左右とも鬢に接している。眼も湾曲が大きくなり向って左目が鬢に接している。これは胴底に「昭和十三年」と書かれているが確かにその時代だろう。「こけし綴り」掲載品つまり北原直喜旧蔵として入手したもの。だんだんと私のイメージしている喜一らしい異形の顔となってくる。

以上三本三態三様、どれも捨てがたい。迷うばかりである。いっそそれぞれ復元をお願いしようかとも思っている。


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最終更新日  2019年06月28日 06時19分01秒
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